2期・41冊目 『火星人ゴーホーム』

火星人ゴーホーム (ハヤカワ文庫 SF 213)

火星人ゴーホーム (ハヤカワ文庫 SF 213)

誰もが想定しなかったかたちでの火星人。少し長いですが、作品内の表現を借りれば

かれらは1人の例外もなく、口が悪く、挑戦的で、こうるさくて、胸糞がわるくなるようで、横暴で、喧嘩好きで、辛辣で、無作法で憎ったらしく、礼儀もしらず、呪わしく、悪魔的で、軽口ばかりたたき、おっちょこちょいで、うとましく、憎しみと敵意にみち、お天気屋で、傲慢で、分別にかけ、おしゃべりで、人を人と思わない、やくざな、実にもって興ざめな輩だった。
かれらは眼つきがいやらしく、人をむかむかさせ、つむじ曲がりで、金棒曳きで、品性下劣、吐き気がしそうで、あまのじゃくで、ことごとに拗ねてみせ、ひねくれ者で、争いを好み、乱暴で、皮肉屋で、気むずかしく、平気でひとを裏切り、残忍このうえなく、野蛮で、ゆかしさにとぼしく、癇癪もちで、他星人ぎらいで、べちゃくちゃと騒々しく、わざと人間に嫌われるように、そして出くわす相手はだれかれの見境無く困らせてやろうと、たがに鎬をけずっているのだった。*1

そんな緑色した小人が地球人口の1/3に匹敵する数で突如襲来。
それに伴って引き起こされる世界中のパニックは、どちらかと言うと悲喜劇を醸し出します。
火星人たちは地球に来た目的をはっきりと知らせず、ただ言葉でからかって人を怒らせるのを無常の喜びとしている様子。物理的な被害は一切与えないのだけど、逆に排除することも不可能。歌劇や葬儀での演出をそのお喋りでぶちこわし、ポーカーの手札から軍事機密まで何でもばらして楽しむ火星人たちの為に、人間達の生業はほとんど立ち行かなくなってしまうのです。
昔読んだ筒井康隆小松左京らのドタバタSFを思い出しますね(個人的にそう思っただけで、時代的にも『火星人ゴーホーム』の方が本家なんでしょうけど)。
1960年代を舞台にした古い作品ですけど、そのユーモアさで気にせず充分楽しめます。


世界中に火星人がはびこった後、なんとか火星人を消滅させようとする3者(未開民族の祈祷師・民間の発明家・SF作家)の行動を描くあたりから急展開。
火星人が去った真の原因についてはぼかされていますが、実は作者が一番書きたかったのは、精神病を患ったSF作家を通して、認識論や独我論という哲学的なテーマだったのかなぁと思われました。

*1:この部分だけでも英語で読んでみたい気が。