9期・12冊目 『ポーツマスの旗』

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
日本の命運を賭けた日露戦争。旅順攻略、日本海海戦の勝利に沸く国民の期待を肩に、外相・小村寿太郎は全権として、ポーツマス講和会議に臨んだ。ロシア側との緊迫した駆け引きの末の劇的な講和成立。しかし、樺太北部と賠償金の放棄は国民の憤激を呼び、大暴動へと発展する―。近代日本の分水嶺日露戦争に光をあて交渉妥結に生命を燃焼させた小村寿太郎の姿を浮き彫りにする力作。

日露戦争終盤、日本にとっては陸海にて勝利という形で締められたけれど国力的にはもはや限界にきていました。
時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの講和斡旋がまさに渡りに船だったわけですが、軍部・政府首脳が講和で一致している日本はともかく、主戦派が根強く皇帝も継戦に傾いていたロシアがそれに本気で乗ってくるかが不鮮明でした。
そうした中で講和条約締結への期待を一身に背負い、ポーツマスの地に向かった小村寿太郎使節団の静かなる戦いの様子を描いた作品となります。


日清戦争後、近代国家として興隆してきたとはいえ、日本にとっては大国ロシアとの戦い大変厳しく、成人男性の多くが兵士としての出征した他、相次ぐ増税のために国民に多大な負担がかかっていました。
そんな中で奉天会戦と続く日本海海戦の完全勝利は不安と不満に満ちていた国民を歓喜させ、講和会議のために渡米する小村らを熱狂的に送り出しました。
しかし当の小村はこれが帰国する時にはこの声援は罵声へと変わるだろうと予感しています。
後世の私たちからすれば、許せるかぎり戦争の状況を公開して、国民に理解を求めれば後の日比谷焼打ち事件など起こらなかっただろうと思いがちですが、すでに講和を巡る駆け引きが始まっていたために苦しい台所事情など明かせなかったわけです。
ロシアにとっても国内情勢が悪化して改革への機運が高まっていましたが、どちらもまだまだ戦えるという強気の姿勢を見せつつ、国際社会や平和のためという建前をもって会議のテーブルに着く。
そんな過程が描きだされていて、まさに当時の外交を象徴するようです。
また気軽に庶民に触れ合い、メディアを利用することに積極的だったウィッテらロシア側代表団に対して、沈黙を守った日本側。
それはメリットもあればデメリットもあったわけですが、近代国家として歴史の浅い日本の外交はあえて同じ路線を踏まずに誠実さをもって当たろうという小村らの苦労が垣間見えました。
軍が主導権を握るようになった昭和と比べて、日露戦争期の日本は情報戦や外交に関しては巧く立ち回ったという印象だったのですが、やはり欧米と伍していくために必死だったんだなぁと感じましたね。


交渉に関しては、どちらも内心は講和を希望しつつも国としての体面を保つために譲れぬ一線もあり、条件摺合せが続く場面は緊迫感がよく伝わってきました。
結果自体は知られていますが、そこに至るまでの過程を(小説とはいえ)こうやって読むことができるのは歴史好きとしては堪りませんな。
著者の主観を排して淡々と事実を描くような文章となっているので、質の良い歴史ドキュメンタリーを見ているかのように感じました。
劇的な幕切れによって講和条約が結ばれるも、領土と賠償金について大幅に譲歩することになったことを知った日本国民は憤激。
東京を始めとする国内各地で暴動が起こったのは史実の通りです。
小村寿太郎自身は桂内閣の総辞職と体調不良によって一度は外交大臣を辞任するもその後も再任されてアメリカや清国、韓国との外交に尽力します。
ただ講和で譲歩したことをきっかけに国民からの感情は死ぬまで冷淡なままだったそうです。
今となっては当時の小村寿太郎の働きは正当なるものだと思えます。
そういう意味では政治家・外交官の客観的な評価は、ある程度の年月が経たないと難しいのかもしれません。