5期・56冊目 『江戸大名のお家騒動』

江戸大名のお家騒動

江戸大名のお家騒動

内容(「MARC」データベースより)
百万石伏魔殿の怪(加賀騒動)、主君謀叛その裏の真実(黒田騒動)、惨たり天狗党の地獄図(水戸騒動)…。親子も、兄弟も、忠実な部下にも裏切られ…。今も昔も変わらない相続争い、「江戸大名のお家騒動」を多数紹介。

江戸時代に実際にあった大名家のお家騒動。なかでも有名な三大お家騒動(下記)に薩摩藩島津家のお由羅騒動を加えて4大騒動として取り上げられています。

これらに関しては、背景と経緯の詳しい説明があります。
また当時の風評や資料による考察まで付け加えてあるので参考になりますね。


それと別に多数のお家騒動の概要が記載されており、こちらは読み物というよりは歴史好きとのネタとしての事例集みたいなものですね。
とりあえず一例ずつ登場人物の関係図があるのがありがたいです。大名家は養子縁組やら異母(正室・側室)による子が何人もいたりとか、家臣の階級とか複雑ですからね。そのあたりで家中の関係が原因となった確執が多いようです。
これが江戸時代以前ならば、跡目相続争いが戦に発展するもの(最大の例が応仁の乱)ですが、幕府が天下を治めているという建前上、問題を公にするわけにいかず、陰に篭っている感はあります。
藩にとっては万が一騒動が明るみになって取り潰し*1にでもなったら多くの藩士が路頭に迷う羽目にになるので、お家存続が大事で時には君主の命は等閑にされてしまう傾向があるようです。
江戸時代も中盤以降になると、藩主が藩政改革を行うために能力主義によって新参者を重用したり今までの慣例を破ったりすると、保守派家臣による反発に遭い、藩主が隠居を迫られたり新参者が悪者にされてしまったりとか。有名な上杉鷹山の改革でも一歩間違えれば重臣の圧力によって潰されていた可能性があったのではないでしょうか(wikipedia:七家騒動)。
組織の中の新旧対立というのはどの時代でも見られるケースですねぇ。


特殊な例で言えば、津軽・南部の積年の恨みから発展した弘前藩主狙撃未遂事件(wikipedia:相馬大作事件)が興味深い。元はと言えば初代・津軽(当時は大浦)為信の津軽地方乗っ取りが端緒であり、当時は戦国末期でそれ自体は格段珍しくもないのですけど、そのままの配置で何百年も続いてしまったことが異例じゃないかと思いますね。それが両藩の領地問題(wikipedia:檜山騒動)を経て、藩主の位階が並んでしまったことで再燃してしまった。*2
主犯の元盛岡藩士の下斗米秀之進(別名・相馬大作)は結果的に死罪となったわけですが、数年は江戸で普通に暮らしていたり、後に吉田松陰が影響を受けて当地を訪れ歌を詠じたりと、意外と世論的には同情を得られていたようで赤穂浪士に通じるものがあったのかもしれないですね。

*1:初期の武断政治の頃は特にその傾向が大きかった

*2:幕末にはwikipedia:野辺地戦争へと続く