3期・74冊目 『元禄御畳奉行の日記』

元禄御畳奉行の日記 (中公文庫)

元禄御畳奉行の日記 (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
無類の記録マニア朝日文左衛門の27年におよぶ日記「鸚鵡篭中記」は、元禄に生きた好奇心旺盛なサラリーマン武士が,泰平の世の武士や庶民の生活を的確に、倦むことなく綴った記録である。この時代の人と生活、文化に精通した著者によって、はじめて明らかにされた、話題沸騰の超ベストセラー。

時代劇などのような作られた庶民像などとは違って、元禄の世を生きた尾張藩士が自身の体験や世間の出来事を赤裸々に綴った日記である「鸚鵡篭中記」。その内容を生活や文化によるテーマごとに紹介しています。


現代でいうサラリーマンに例えられることもある江戸の武士ですが、実質は公務員(官僚)と言った方が正しいでしょうか。まず最初に元禄の武士の実情に驚かされます。
文左衛門の日記によると、当初の仕事は月に3回当番として城に詰めればいいだけ。しかもその間に同輩と堂々と酒盛りしているのだとか。元々城の警備役としての役職のようですが、平和な時代に攻めてくるような相手もいないお気楽な仕事です。*1
もっとも、盗賊の侵入を許したとか、武士の命である刀を紛失したとか、いわゆる面子の問題となると、切腹あるいは藩外追放などいきなり重い処分が科せられる(または責任を取らされる前に自ら腹を切る)のが現代とはおおいに違うところです。


そして畳の普及に伴って新設された御畳奉行の職に運よく昇進できた文左衛門なのですが、仕事の気楽さは変わらなかったらしい。というか日記には仕事の内容はあまり書かれず、趣味の話題や世間の噂ばかり。
珍しく仕事の記事かと思いきや、酒と女と芝居三昧で綴られた京・大坂への畳買い付け出張旅行。経費は取引相手の商人が持つ上に、嫉妬深い妻の目から離れてやりたい放題。今日はどこそこで誰と何をして遊んだという記述ばかりで、最後に日になってようやく仕事を思い出して慌てて商談したそうな。とんでもない役人がいたものですが、さすがに気がひけたのか遊郭に行ったことを当て字を使ってごまかすなど実は小心な文左衛門の姿を思うとちょっと笑えます。


戦国の気風もすっかり消えて、世襲の役職を穏便に勤め上げれば良い腑抜けた武士の姿が日記から垣間見えますね。特に尾張徳川という御三家の大藩なので、初期から経済的に苦しく早めの改革を強いられた地方外様藩よりのんびりできたのかもしれません。
その辺が幕末になって、俊敏に動いた薩長などの一部外様藩と、太平の眠りからなかなか覚めなかった徳川親藩の違いに結びついていくのかなぁと思ったりしました。


解説で週刊誌記者に例えられるほど、この朝日文左衛門という人物は実に好奇心旺盛で、事件が起これば早速飛んでいって記録する几帳面ぶり。でもそのおかげで当時の庶民の暮らしぶりがよくわかります。
ただし、後世大事件とされる事柄(生類憐みの令や赤穂浪士討ち入りなど)についてはごくあっさりとした記述なのが意外でしたね。むしろ尾張藩主親子のスキャンダルも含めて、藩政への批判には遠慮無いです。江戸時代の一般に人々は日本国という概念はあまりなく、あくまでも藩が世界であったことが窺えます。
でも、そうなると文左衛門の死後この日記が400年もの間、藩の倉庫に厳重に保管されていたのか不思議な気もしますね。たかが日記と言えど、後世に史料的価値が出ると予見したのか、いや案外これは表に出すと面倒だからとりあえずしまっておかれて忘れ去られたままだったのか、想像をたくましくさせられますね。

*1:戦が無くなった平和な時代の武士に与えられる仕事には限りがあった。