10期・78冊目 『男装の麗人・川島芳子伝』

男装の麗人・川島芳子伝 (文春文庫)

男装の麗人・川島芳子伝 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
清朝の王女として生れながら大陸浪人の養女となり日中15年戦争中には軍服を着て大陸と日本とを往復し「東洋のマタ・ハリ」とも謳われた川島芳子。日本の敗戦で売国奴として銃殺刑に処せらた彼女は如何なる人物で実際にどんな行動をしたのか。兄妹の証言や新資料をもとにその素顔を戦後はじめて明らかにする。

川島芳子(漢名:金璧輝)は「男装の麗人」または「東洋のマタ・ハリ」といったあだ名が付いて、その悲劇的な生涯は何度も作品化されており、私自身も名前くらいは聞いたありますがその生涯は詳しく知りませんでした。
よく言われる男装の麗人はわかりますけど、そもそもマタ・ハリってどんな人物だったのでしょうか?
wikipedia:マタ・ハリ
簡単に言えばマタ・ハリことマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレ(オランダ生まれ)は第一次世界大戦時のドイツ・フランスの高級士官あるいは政治家を相手とする高級娼婦であり、同時に諜報要員でもあったと言われていますが、スパイとしての活動実績には疑問がもたれているらしいです。
では川島芳子日中戦争時に諜報活動に従事、それも自身の容色を使って行っていたのでしょうか?
そこで脚色されている小説よりも、川島芳子の素顔に迫っていると思われる本書を手に取った次第です。


本作では川島芳子出生の背景、父である清朝皇族・粛親王の事績から書き起こされています。
国力が衰え、相次ぐ対外戦争の敗北で列強の植民地化が進んでいた清朝末期、皇族として要職に着いていた粛親王開明的かつ有能な人物であり、明治維新を成した日本に倣って清朝を改革によって立て直そうと奔走していました。
そうした時に清朝に派遣されて警察組織の一新などに従事していた川島浪速と親交を結んだのが後に養子となる縁だったようです。
考えてみれば腐っても皇女の一人を一介のお雇い外国人の養子とするには釣り合いが取れないと思ったのですが、清朝が滅亡して亡命王族となったことと、親王と浪速が義兄弟の契りを交わしていたこと、子の無い川島夫婦のもとで日本人として育ててもらおうという意図があったらしいです。
しかし後に養女となった粛親王の孫(長男の二女)・廉ろ(金偏に呂・日本名:廉子)と違って、芳子は日本国籍ではなかったのが、戦後の芳子の運命に大きく関わってくるのでした。


浪速と共に日本(松本)で過ごした少女時代の芳子はともかく皇族出身らしからぬお転婆というか行動が破天荒であったようです。
校則は平然と無視して馬で登校したり友人の金策のためにヌード写真騒ぎを起こしたり。
実父の葬儀のために休学した松本高等女学校でしたが、新しい校長に今までの問題行動を疎まれて復学が認められずに中退となったのでした。
そして17歳の時に自殺未遂事件。
思春期にありがちな恋愛絡みだったと思われ、その相手は養父浪速も含めて色々取沙汰されていますが、はっきりはわからない模様。
それがきっかけとなったのか、突然断髪して男装の麗人としてのスタイルが確立。*1
清朝皇族出身の上に端正な顔立ちもあいまって、この頃からアイドル的な扱いでマスコミに取り上げられるになります。


そして結婚と離婚を経て、上海に渡った芳子は日本陸軍軍人と交際するようになった関係で大陸権益取得を画策していた関東軍のために働くようになったとされます。
ただ芳子としてはあくまでもその出自より、清朝復活を第一に満州国建国に尽力していたように思えます。時には横暴な日本軍人を痛烈に批判し、日中両国が対等に手を携えていくことを真剣に説いていました。
調べればすぐにばれる嘘で騒ぎを起こしたりとエクセントリックな行動は見られますが、目的のために戦場に立つことも厭わない健気さを感じます。
自身がただ利用されているに過ぎないことを十分自覚していていながら、行動を止めるわけにいかなかった悲しさがありますね。
そういう意味では「東洋のマタ・ハリ」というのはあまりにふさわしくなく、まだしも「東洋のジャンヌ・ダルク」の方が合っているのかもしれません。


本人の手紙や写真はもちろんのこと、存命の関係者への聞き取りの他、残された一次史料が多く記載されていますが、当時の文体のままで中にはカナ混じりの漢文もあって読みやすいものではありません。
そういう意味では気軽に読める内容ではないのですが、その分脚色された創作物とは違う川島芳子やその周囲の人間性が浮き彫りになってくるのです。
あの時代、日系2世を始めとして、二つの祖国を持つ人の多くは戦争によって困難な人生を送ることになったわけですが、清の王族でありながら二人の父親を持つ川島芳子もその一人であったと思われます。
日本人の養子とされながらも日本国籍を持ちえず、結果的に勝者である国民党政府に害を成したとみなされて、漢奸として処刑されてしまいます。
あくまでも芳子自身は中国のために活動していたつもりであったので楽観視していたようですが*2、捕縛の翌年に死刑執行という速さには一因として芳子の諜報活動から政府要人の醜聞が明かされるのを恐れたという事情もあったらしい。
まさに戦乱と謀略に翻弄された末の死であったのは確かですが、そこには二カ国(の男たち)を股にかける大胆な女スパイではなく、理想を貫こうとして不器用に足掻き(女性であることを捨てようとして捨てられず)夢破れた孤高の女性の姿を見たように思えました。

*1:一人称として「僕」を用いるようになった

*2:表向き強がってはいながらも、死刑回避のために養父に工作を依頼していたが実らなかった