10期・9冊目 『恐怖の日常』

内容(「BOOK」データベースより)
ひどくむしゃくしゃする。不輸快な感情が体の中を駆けめぐる。全身に毒素が回り、内臓が焼けただれていくようだ。吐き気がする。もうがまんできない。ぼくはどうなっていくのだろう。これもみんな黒い雲のせいだ。―さりげない日常や家族の団欒の裏側に潜む、真の恐怖を描いた表題作など、不安な現代を生きる病める精神たちの相貌が、ホラー小説の姿をとって描かれる。すでにして、戻るべき場所はない。家庭という名の楽園は失われ、関係性の渦の中で悲痛な叫びを圧し殺すだけ…。そんな新しき世代による、新しき時代のための本格恐怖小説集。

「山の家」
人里離れた山の家で大学受験の勉強をしている息子と食料調達のために狩りにいく母。
何か違和感を感じながら読み進めていくと、ある侵入者によって驚きの事実が明らかにされる。
「窓」
窓の向こうを見ることに夢中なるあまりに仕事が疎かになってしまい、カウンセラーを訪れた若いサラリーマン。本来自分は窓の向こうの世界の人間なのではないかと疑いを持っているのだという。
「白い少女」
友人が散歩している時にある屋敷の二階の窓から見下ろしていた少女と目が合って一目惚れ。意を決して訪問すると、意外にも両親から歓迎される。
しかし少女は奇形であるために準備が要るので直接会うのは後日にしてほしいという。
そして唐突に消息を絶った友人を探しに屋敷を訪れた「私」が見たのは…。
「大きくなあれ」
小学生の時に体が大きいことを口実にいじめたことをしたことを悔やみ、かつての友人宅を訪れたが拒絶されてしまう。しかしその家には何か秘密があるらしい。
「反乱」
かつて虫が苦手だった「私」は逆に積極的に攻撃し殺しまくることで恐怖を克服した。
そして休暇のために別荘に訪れたが、そこで虫たちの復讐としか言いようのない攻撃を受ける。
「葬られた薬」
友人から突然呼び出された主人公。不老不死の薬を開発したので相談に乗ってほしいという。
実は友人の妻と不倫関係にあり、そのことで詰問されるのではないかと危惧していたために内心安堵する。
しかし話は次第に不穏な展開になってゆく。
「子宮の館」
妻の妊娠をきっかけに疎外感を感じていた夫は気晴らしのために訪れた歓楽街にて子宮の館という店に入る。
そこでは子宮からの疑似出生を体験できるという。最初はぼったくりのように思えたが、一度体験するとやみつきになってしまう。
「屋上の老人たち」
老人たちの暇つぶしのバードウォッチの集いは鑑賞対象として事件・事故などのアクシデントに変わっていった。
そうそうアクシデントなど都合良く起こるわけでもないため、当番制で人為的に起こすようになったのだが、刺激を求める老人たちの欲求心はエスカレートしていき、当番はプレッシャーのあまりに自らの死さえ選ぶようになる。
「恐怖の日常」
勉強はできたが体が弱かった弟は両親の過干渉の末に自殺してしまった。
ずっと家の中に見えていた黒い雲は弟の死後消え、仲の良い家族に戻った。
しかし今また黒い雲が現れ、両親の視線は僕に向いてきた・・・。


前に読んだ『水銀虫』が人の感情に訴える怖さだとすれば、こちらは日常の中でふと見せる非日常の怖さと言えましょうか。
どちらが怖いかとは比べるのは難しいですが、こちらは人によって押し寄せるイメージだけでもう怖気がふるうかもしれないですね。
特に「反乱」は虫が苦手な人には悪夢としか言いようのない内容でしょう。
別に虫嫌いでなくても、大群が統一された意思をもって犠牲を問わず襲いかかってくる様に恐怖を覚えます。
一見童話的な「山の家」はまさかの展開に驚かされました。
「葬られた薬」はオチまで巧くまとめられていて面白い。
「窓」と「子宮の館」はある意味本懐を遂げたということで、若干不気味さを感じるもののハッピーエンドとも言えるかもしれない。
「大きくなあれ」と「白い少女」はどちらも人外の怖さですが、そうさせたのは人間の心理であるわけで。特に後者は終盤の展開がすさまじいと同時に哀れを催しました。
「屋上の老人たち」は集団狂気といえましょうか。実際あり得そうで怖い。
ラストの「恐怖の日常」は子供目線で読むと、どうしようもない絶望感で終わるため、この中で一番怖い気がしますね。