5期・15冊目 『梓特別攻撃隊』

梓特別攻撃隊―爆撃機「銀河」三千キロの航跡 (光人社NF文庫)

梓特別攻撃隊―爆撃機「銀河」三千キロの航跡 (光人社NF文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和20年3月11日、鹿児島県鹿屋基地を発進した24機の「銀河」は、最年少17歳の少年兵を含めて72名の「いのち」を抱いて、確実な死の待ち受ける南方へ飛行する。梓特攻に殉じた搭乗員、遺された肉親、見送った友、そして奇しくも生き残った元隊員たちの知られざる手記、証言から作戦の詳細と実相を描くドキュメント。

1944年10月頃より始まった航空機による体当たりを前提にした特攻作戦、その中でも米軍機動部隊の泊地であったウルシー環礁*1への長駈攻撃をしかけた梓隊。生き残った関係者の証言や豊富に使われている写真、残された手記、それに加えて戦後アメリカより提供された資料などにより丹念に綴ったドキュメントです。


まず組織的に航空機による体当たり攻撃が始められた経緯が書かれていますが、その思想は戦況が逼迫してきた1944年頃になって前線から出てきたというよりも、もっと早い時期から軍上層部によって計画されていたという事実が明かされます。
そして本題である「銀河」の概要と梓隊が作られた経緯はもとより、攻撃隊の誘導機であった二式大艇や周辺空域の天候観測を行った一式陸攻、そして銃後で銀河の増槽や高度方位暦*2の作成を担った女学校生徒など、攻撃に関わる人々の広範囲な取材も含めて時系列で記されており、出撃が迫り緊張が高まる様子や当日の刻一刻とした敵味方の状況*3が手に取るようにわかります。
やはり生還を期さない片道攻撃を前にした隊員たちの描写が真に迫ってますね。遺稿には軍人らしき勇ましい言葉もありますが、同時に幼い妹弟を気遣ったり先に逝く親不孝を詫びる言葉もあり、ほとんどが二十歳前後で占められた隊員たちを想うと、そちらの方に本音が垣間見えて胸を打ちます。


銀河によるウルシー攻撃は九州南端の鹿屋から片道約2400km(現在の航路で例えれば成田〜マニラ間に相当するとのこと)におよび、すでに機動部隊が失われて制空権無しに守勢一方の日本軍にとっては敵の意表を衝く一手であろうことは想像できます。それだけに、元々高い技量を持つ母艦乗組経験者と当時新鋭高速爆撃機であった銀河が組み合わされたのですが、それをむざむざ特攻に使わざるを得なくなっていたところに悲しい現実を見ます。そこには真珠湾攻撃を代表とするような、正攻法ではなく奇手を好む(見方によっては取らざるを得ない)日本軍の体質もあるような気がしてなりません。




【参考】
『梓特別攻撃隊』
wikipedia:銀河 (航空機)
wikipedia:二式飛行艇
wikipedia:一式陸上攻撃機
wikipedia:特別攻撃隊

*1:西太平洋カロリン諸島、ヤップ島の東方

*2:目標物の無い洋上や夜間飛行に必要であった

*3:アメリカ軍の戦闘レポートまで記載されているのが客観的に見るのに丁度いい