サブタイトルにある通り、茶の湯や能、歌舞伎といった戦国時代に発展した文化が江戸時代にどのように変わっていったか、また鎖国を始めとする江戸幕府初期の政策がメインとなっています。
読み終わった直後の印象ですが、やはり武断政治から文治政治への変換が一番のテーマでしょうね。*1
歴史を年表上で見ると、区分的には戦国時代というのは室町時代と安土桃山時代に挟まれた百年にも満たない時代*2であり、政権交代による戦乱はあっても、天下統一によって平和な時代が始まったような錯覚を覚えます。
例えば秀吉の唐入りを「せっかく戦国の世が終わって平和な時代が到来したのに、また大掛かりな戦争を始めて、大名以下、武士も庶民も嫌がっていた」と教科書などに書かれていたりします。
実際、そう思った人々はいるにはいたが、出世し安定した地位を得て、それを守りたい大名くらい。つまりヒエラルキーで例えればほんの僅かな上位層のみ。
中位から下位を占める武士・足軽達*3は、新たな戦による出世を夢見ていた者も多かったのではないかということです。
なぜ例として秀吉の唐入りを出したかと言うと、本書でも結果的には失敗したということで悪く言われているが、実際は政策上、外征が必要でもあったという指摘があるからなのです。つまり国内を統一した英雄は、本人の野望だけでなく、配下や兵士の要望にも答える為に外征して世界史に名を残しているということを、アレキサンダー大王やチンギスハーンを例に挙げて言及しているのです。
つまり秀吉は世界的英雄になり損ねたというわけですな。
要は戦国の世は終わっても、人々の間に残る戦国の気風は、江戸時代に入っても簡単には拭い去ることができず、余剰戦闘要員のリストラ問題(同時に浪人対策でもある)も含め、意識改革が江戸幕府の至上案件として長い間携わることになっていたことを具体例を挙げて論じています。
豊臣政権の後を継いだ江戸幕府としては、外征が失敗した以上、国内問題として対応しなければいけない問題に、基礎固めの意味もあって最初は力で押さえる政策にて臨み、結果的に島原の乱(キリシタン問題としたのは幕府によるすり替えとしています)や由比正雪の乱という結果を導いたわけです。
そのあたりは、前に読んだ『名君の碑』にて保科正之を始めとする四代将軍家綱の政治ブレーン達が苦心した経験を読んで知っていました。
『名君の碑』は保科正之の伝記的小説ですから、文治主義については彼の生涯でほぼ転換を達成されていたかのような認識をしていました。
しかし実はそんなことはなく、五代将軍綱吉の代になって大幅な意識変革の為の法令を出す必要があった・・・。
これ以上書くのもなんですが、ともかく本作の一番の目玉は「綱吉名君論」でしょう。これは秀吉の唐入りの理由以上に興味深い内容です。
忠臣蔵も含め綱吉論は次回にも続きます。楽しみですね。