9期・11冊目 『教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために 』

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために

内容紹介
これほど残酷な「いじめ」を、なぜ親も教師も見抜けないのか。クラス全員が加害者となり1人を追い込んでしまう地獄の構図は、なぜ生まれるのか――。恐るべき速度で「進化」しつづける「いじめ」の正体を、気鋭のカウンセラーが暴き、解決法をわかりやすく示す。内容は1陰惨ないじめを乗り越えた子どもと家族の話 2大人からは見えない巧妙ないじめのパタン、3被害者以外は全員が加害者にまわるいじめの心理 4いじめにあっている子を持つ親が何をすればいいのか、学校と何を話し合い、どう解決すればいいのかの具体策 5いじめを見つけるチェックリストなど。いじめ問題の核心をズバッと突いた、1時間で読める衝撃の一冊。

児童相談センターに勤め、児童心理司として数多くの子どもの問題に取り組んでいる著者がいじめに関して実際の例を挙げてその解決策を著したのが本書になります。
現代ではいじめによる自殺の報道が頻繁になされていて、表面的な事実は知ることができても、具体的な原因や経過などを詳しく知ることはありません。
しかし子を持つ親としては、いざ自分の子がいじめに遭ったらと思うと気が気ではないことは確か。
そこで少しでも参考になればと思って本書を手に取った次第です。


まず「第1章 「いじめ」は解決できる―――雄二君(仮名)の相談事例から」で酷いいじめに遭っていた児童の解決例を挙げています。
なぜ最初にもってきたかというと、現実のいじめは大人が聞いても残酷で容赦がなく救いが無いから。
誰にもいじめられていることを言えず、心体ともボロボロに追い詰められていた被害者が著者のもとを訪れて相談に乗り、両親と力を合わせて解決の道を探ってゆく。
最終的に学校・加害者へは責任追及ではなく、みなで協力していじめを無くすという方向で道を拓いていきました。
責任を取らせたいという親の気持ちよりも、これからもそこに通う子どものことを第一に考えてという結論に納得させられました。


「第2章 大人に見えない残酷な「いじめ」」の具体例はここまでするのかと思うほど酷い例ばかりでした。
子どもは純粋だというのは幻想であり、大人が思うよりストレートかつ効果的に他人を傷つけることができるだということ。
私たちが子どもの頃は、何らかの原因(運動オンチ・不潔とか)があって*1、からかい・いじめが始まったものと記憶しています。
しかし現代のいじめは加害者のきまぐれや悪意によって、まったく事実でないことを理由にでっちあげられ、それが広まるほど既定事実としていじめが正当化されてゆくので、一度被害者になったら一人でなんとかなるものではない困難さがあります。
そしていじめというのは基本的に先生など大人に隠れて行われるものであり、頻度の調節や手加減などで明るみになるのを防ぐのと同時に、被害者自身が親などに訴えにくい心理(恥や裏切り)に持って行く点で狡猾さを感じました。


「第3章 なぜクラス全員が加害者になるのか?」ではいじめ反対や被害者擁護をしにくい空気を扱っています。
中心メンバーはいるものの加害者は固定されず、いわばクラス全員がいじめに対して連帯責任のような雰囲気があり、いじめに参加しないことが裏切りになってしまう。
普通に考えればいじめをすること自体がおかしいのに、いじめに参加することが正義になってしまうその異常な感覚に気付かない怖さを感じます。


もしも自分の子供がいじめの被害に遭っているのでは?と感じたり、事実として知った場合、いざとなるとうまく対処できるかわかりません。
そこで「第4章 「いじめ」を解決するための実践ルール」にて「親にできること、すべきこと、絶対にしてはならないこと」を具体的に記述してあったので、参考になった部分の引用も含めて順に紹介します。


1.被害者を守る
・学校を休ませる

親としては、いじめの事実を伝え、学校、担任が子どもの安全を守るべきと思うかもしれないが、それは不可能であると言ってよい。いじめの事実を担任が子ども達に伝えれば、いじめはますます陰湿化し、担任の見えないところで行われるようになる。

・親としてのメッセージを伝える

いじめの被害にあっている子どもは、正常な判断力を失っている。だから子どもに判断させず、親が判断すると同時に、学校を休ませるのは、子どもの安全を守るためであるということをきちんと伝える。

・子どもひとりで外出させない
・いじめに関して、無理に聞き出さない

いじめというのは子どもの心に強烈なダメージを与える。
(中略)
どんなに聞きたくとも、子どもの心のダムが決壊するまでじっくりと待たなくてはならない。

・家の中では、明るく、楽しく、子どもと過ごせる時間をたくさん持つ
・子供の話を、まるごと真実として扱う

いじめを「客観的に調査する」ことはナンセンスである。ひとりでいじめを受け続けてきた被害者の目に映る世界と、みんなで思いつくままにいじめをしてきた加害者の世界が同じはずがない。
いじめられて「傷ついた」心の痛み」と、いじめる側の「傷つけた」自覚が同じはずもない。

・いじめられる側にも原因がある、とは絶対に考えない

少しでも「この子の方にも何か原因があったのでは?」と考えてしまうと、子どもはそれを感じとり、口を閉ざし、心を閉ざしてしまう。
(中略)
現代のいじめは、誰もが加害者になり、被害者になり得る。いじめられる理由など、ないのである。

・いじめに、立ち向かわせない。耐えさせない

殺されそうになったら、人間は逃げるではないか。いじめは、いじめという言葉にくるまれた犯罪なのである。

・子どもの許可なく、学校に相談にいかない

大人たちは子どもに対する自らの力を過信していたのかもしれない。教師がいじめを指摘し、止めるように言えば、被害者の親が出てくれば、いじめはなくなると思っているのかもしれない。だが、そんなことはない。


2.いじめをなくす
・学校との話し合いは、校長、副校長に同席してもらう
・話し合いは、「相談」ではなく、事実を伝える場

どう調査したって、加害者は自分のいじめの事実を百パーセント認めるはずがない。いじめは、大人のわからないところで行われるからいじめなのである。

・いじめの解決と責任追及は別々に行う

責任追及を始めれば、学校と親は敵対関係になってしまう。解決について建設的な話し合いができないばかりか、下手をすれば、学校が謝罪をして終わってしまうかもしれない。それだけでは何も解決しない。

・解決を学校に委ねない
・加害者に伝える
・クラス全体への周知

誰が何をしたのか、個々に子供に聞くことは、意味がない。そんなことをすれば、みなが保身に走り、他人に責任をおしつけ、自分のせいではないと主張し、当事者意識がなくなってしまう。
重要なのは、「全体で行われたことだ。被害者以外全員が加害者であると判断し、取り組む」というメッセージを伝えることだ。

・学校全体への周知


我が子がいじめに遭っていたと知ったら、親としてはその矛先は学校や加害者に向きがちです。
でもそこで大事なのは感情的にならないこと。
仮に謝罪を引き出して一時的に溜飲が下がっても、学校に通う子どもに対するいじめが一層陰湿化して継続してしまったら意味がありません。
まずは子どもの安全を第一に考え、問題解決に動くこと。
学校を敵としてではなく協力関係を築き、いじめ根絶のために取り組んでもらうこと。
それでいじめが無くなれば理想的ですが、実際はいじめの程度や年齢や相手によってケースバイケースになるのかもしれません。
第1章で紹介されたように家族だけでなく第三者に相談することで打開できるかもしれません。
とにかく現代はネット普及によって、子どもの人間関係が大人には見えにくくなってきています。
子どもの出すサインを見逃さないようにしなければなりません。
かといって過剰反応すると今度は嫌がられるしで難しいところですが…。

*1:だとしてもいじめていいわけではないが