6期・57冊目 『通りゃんせ』

通りゃんせ

通りゃんせ

内容(「BOOK」データベースより)
小仏峠の滝で気を失った二十五歳の青年サラリーマン・大森連は、介抱してくれた時次郎とさなの兄妹から、ここは武蔵国中郡青畑村*1で、今は天明六年だと告げられる。驚きつつも江戸時代を懸命に生き抜こうとする連に、さなは想いを寄せていく。いっぽう連の歴史知識から幕閣の政変を知った時次郎は、村の領主である旗本・松平伝八郎の立場を守ることに成功。時次郎はいったい何者なのか?天明の大飢饉が迫る中、村の庄屋が殺害される事件が起こる。現代の知識だけで人々を幸せにすることはできない…。江戸へ向かった連は、思いがけない再会を果たすが。連の運命は、そして元の世界には戻れるのか?時間を超えた、感動の長編時代小説。

最近著者の時代小説を読み始めたのですが、タイムスリップを扱った作品があったとは驚きでした。しかも現代人の主人公視点で江戸時代の農村の実態を描くというのがなかなか新鮮です。
タイムスリップとなると、歴史改変がよくテーマとして出ますが、そういった点にほとんど触れることなくまさに庶民感覚のタイムスリップものと言っていいでしょうか。


自転車旅行の最中に道に迷って滝の裏から落ちた大森連。気がつくと古びた農家にて着物姿の女性に介抱されていたという出だし。
何やらわけのわからぬまま天明六年の武蔵国中郡青畑村に来てしまったのです。
江戸時代の人からすれば現代人の背格好はまさしく異人であるわけですが、偶然彼を見つけた時次郎・さな*2兄妹の理解によって、生活できるようになったというのが幸運でした。なんの伝手のないまま下手な行動してたら下手したら野垂れ死にしていたか、不審者として役所に突き出されていたことだろうと示唆されてますね。
現代に戻る術が無い以上、表向きは時次郎の従弟の連吉として農業や家事を手伝い、ともに食事をする。時が経つに連れてこの時代の暮らしに徐々に馴染んでいく様が丁寧に描かれていきます。
記憶にあった歴史知識から天明年間が飢饉の年であり、それを裏付けるように異常気象によって村に迫る危機。
時次郎・さな始め村人たちと関わっていく内に村の暮らしに愛着を覚え始めた主人公は青畑村を救うべく真剣に行動します。そのあたりで現代人気質が良い方へ動くこともあったり。かと思えばいつまでも仕事や別れた彼女のことを気にするあたりがちょっと滑稽だったりします。ただ故郷に残した親を想うあたりは切ないですね。距離と違って時間はどうにもできないですから。


特殊な知識・技能の持たない現代人がタイムスリップしたら、という点では妙にリアリティを感じさせる物語でした。
やはり現代人視点で見る庶民の暮らしの描写がとても面白く、特に江戸の街並みや夜の吉原の様子は実際に見てきたような錯覚に陥りました。




【オチ・ネタばれあり】
村祭りの巫女のお告げにより、連は無事現代に戻れて、しかも偶然出会った女性はさなの生き写し。やや強引な気がするけど最後はハッピーエンドと言っていいのでしょう。
しかし、想いを遂げた後のさなの死が納得いかなかったなぁ。かと言っていずれ別れを迎えるわけだし…。
ゆくゆくは時次郎はもとの身分に戻し、連吉がさなと夫婦になって名物庄屋として村の歴史に名を残したというのも面白いかも。その子孫が有名人物になり、連のタイムスリップは歴史に組み込まれていたとかね。どうみても妄想です。本当にありがとうございました。

*1:架空の地名。現在の東京都八王子市付近と思われる

*2:ただの百姓ではなかった二人の素性は後に明かされる