6期・14冊目 『エロス』

エロス 広瀬正・小説全集・3 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)

エロス 広瀬正・小説全集・3 (広瀬正・小説全集) (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
芸能界に確固たる地位を築いた大歌手、橘百合子。その歌手生活37周年記念リサイタルを前に、ふとしたきっかけで振り返った過去―あの時、もし違う選択をしていたら、どんな人生だったのか?回想はデビュー直前の昭和8年に遡り、歌手になることのなかった「もうひとつの人生」が浮かびあがる。そこで見えてきた意外な真実とは。人生の切なさを温かく包む、パラレル・ワールド小説の傑作。

誤解されやすいタイトルなんで、Wikipediaのリンク貼っておきます。
wikipedia:エロース

エロスは、ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。


大物歌手である橘百合子があるアンケートによる回想の中で自ら問いかけた選択、もし歌手となるきっかけであったあの映画に出かけなかったら?
そこからもう一つの彼女の過去が綴られていく物語です。
田舎から出てきた平凡な18歳の少女・赤井みつ子。偶然の出会いによって高名な音楽家にその美声を見出されてたちまち売れっ子歌手になるというのは一つのシンデレラストーリーではあります。
しかしそんな出会いが無ければ普通に恋をし結婚してささやかな生活を送ったであろうと、もう一つのみつ子の人生を中心に昭和初期の風俗がかなり詳細に描かれているのが特色です。
みつ子の人生が変わることで周囲もそれなりに違う人生を送ることになるのですが、その最たる人物が両想いでありながらお互い気づくことなく別々の人生を歩んだ片桐慎一。
もう一つの過去ではみつ子は決して華やかなスターの道ではなくとも片桐と結ばれ堅実な主婦としての面を見せ、片桐はテレビ技術者として創成期のテレビ放送に尽力していくのです。
しかし、ちょうど昭和十年代ということもあってもろ戦争の影響を受けて個人の意思など捻じ曲げられてしまう。そんな中での片桐のささやかな秘密は自ら作曲した「エロス」という曲。こればかりは別の人生を歩もうが変わることのないものでした。
このまま平凡な締めくくりを迎えていくのかと思いきや、実はさりげなく歴史上の改変を差し込んだのは、著者の遊び心なのかなと思いました。