5期・64,65冊目 『王妃マリー・アントワネット(上・下)』

王妃マリーアントワネット(上) (新潮文庫)

王妃マリーアントワネット(上) (新潮文庫)

王妃マリーアントワネット(下) (新潮文庫)

王妃マリーアントワネット(下) (新潮文庫)

日本での知名度は非常に高く数々のメディアに登場するものの、その作られたイメージ像が一人歩きしているとも言える歴史上の人物・マリー・アントワネット
その生涯は実際どのようなものであったか?
歴史上の出来事に沿いながらも、民衆側の視点では創作の人物を交えて当時の世相に触れているので、マリー・アントワネットが死に至るまでその実像と虚像の両面を堪能できる作品だと言えます。


オーストリアの女帝であるマリア・テレジアの末娘として生を受けたマリー・アントワネットオーストリア・フランス間の外交の成果としてルイ15世の孫・ルイ・オーギュスト(後のブルボン朝第5代フランス王ルイ16世)と結婚するところから物語は始まります。
来仏当時は戦争に疲弊した民衆から平和の象徴として大歓迎を受けるのですが、後の運命を知る立場としては結構意外に思えました。すでに革命の機運が高まってきたとは言え、まだまだ王室は安泰に見え、マリー・アントワネットも民衆から愛されているという感覚を抱くのですが、実はそれが不変ではないことに王妃自身もずっと後になって気づくのです。


夫であるルイ16世が凡庸で何の魅力も無い男性(下巻はともかく上巻では良いところ無し)であることがわかって以来、マリー・アントワネットの派手な遊興が始まるのですが、後の中傷に反して男性関係に関しては潔癖を保ちます。そこには国の王妃であることという動かしがたいプライドがあり、彼女の中でレーゾンデートル(存在理由、存在価値)であったかのようです。*1
ただ王妃であることを除けば、ごく普通のと言ったら変ですけど、無邪気で美人のお嬢様といった印象を受けましたね。夫のルイ16世も趣味に没頭する以外は善良で優柔不断で妻に振り回される部分が目立つものの、夫婦仲としては悪くはなく、もし二人が王室ではなく国政に関わらない地方領主であったならば幸せな家庭を持てたのかもしれません。


しかし革命への流れは日ごとに大きくなり、やがてフランス王室がその流れに飲み込まれていく様が描かれます。財政悪化に関わらず濫費を続けたり財務大臣による財政改革案を握りつぶしたとかいろいろ書かれていますが、仮にその態度を改めたとしても焼け石に水だったろうなということは感じ取れます。
むしろ王妃の存在そのものが苦しみにあえぐ民衆の憎悪の的になってしまったわけで、ここではマルグリットという王妃に似た容姿を持ちながらも不幸な生い立ちのために苦労し、王妃を憎むことを生きがいとする女性が対比するように描かれているのが特徴です。
まぁなんだか読んでいる方としてはマリー・アントワネットに同情の余地が無くはありません。


王室一家がベルサイユ宮殿から追い立てられて、パリの宮殿とは名だけの古びたテュイルリー宮に移った段階ではまだ民衆側も派閥で対立していて、そこに付け込むように有名な亡命事件(ヴァレンヌ事件)が起こります。ここから愛する王妃のために私財を投げ打って計画を立てるフェルセン伯爵の一途な想いが伝わってきますね。
しかし見通しの甘かった王室一家のいくつかの失態と手違いにより脱出行は結局失敗に終わってしまうのですが、本作ではその追走劇が意外とスリリングに描かれていて、ひょっとすると亡命に成功した可能性もあって、歴史の流れが変わったのかもしれないと思わせる部分がありますね。


国民から見放された王室一家は暗転の道を転がり続け、タンプル塔での幽閉、そして処刑へのカウントダウンが始まります。
30代にして銀髪と化すような心労と不便な生活を強いられたものの、宮廷と違って家族が一つになれたここからの場面こそが実は本作の真骨頂ではないかと思われます。
フェルセン伯爵による脱出計画は続いていたものの*2、もはやマリー・アントワネット自身は己の運命の知ったかのような静かな心境にあり、ひたすら夫と子だけを思っていました。
最後まで王妃としての気品を失わず処刑されたマリー・アントワネット。その場面を読んだ後はなんとも言えない感慨を覚えました。
やはり時代の波に翻弄されたという言葉が一番似合う女性かもしれません。


【参考までに】
wikipedia:マリー・アントワネット
革命に飲み込まれた王妃

*1:唯一心中で愛していたフェルセンの存在はあったが、最終的には良き母として夫と子を選んだとされているところが彼女を憎めない大きな要因

*2:史実にも王党派による脱出未遂があったらしい