2期・59冊目 『悪人列伝 近代編』

久しぶりにこのシリーズを読むことになりました。4冊目では近代編(江戸後期〜明治)です。

後世の創作物に多く登場し、実像よりも悪人ぶりがグレードアップされている人物が中心のようですが、天一坊や高橋お伝はほとんど知らなかったなぁ。
天一坊は八代将軍・吉宗の落胤を名乗った詐欺師みたいな人物。*1高橋お伝は裕福な商人を殺害して金を奪った上で、仇討ちと称した作り話で罪を逃れようとした悪女。それぞれ昔は知名度があったようですが、他の悪人と比べるとどうにも小物のようです。


この中で悪人ぶりが際立つのが鳥居耀蔵井上馨
鳥居耀蔵は遠山の金さんの敵役として一般的にも悪人ぶりが名高い人物。頑迷固陋な保守主義者で蘭学や西洋技術への憎悪が私怨と絡み、老中・水野忠邦の下で蛮社の獄を引き起こす。水野の失脚に殉じていれば、あそこまで悪名を残さずに済んだのでしょうが、風向きが変わると水野さえ裏切るという悪辣さです。
井上馨は、井上聞多と呼ばれた幕末の志士時代の活躍が、明治維新後の政府高官となると一転して金の亡者と言えるほどの政財界の癒着を起してしまった人物。
どちらにせよ、その働きは個人の持つ能力の高さと信念の強さあってのことで、波乱の時代の憎まれ役となってしまった面もあるようです。
特に井上馨については、明治政府における外交・経済に関しての功績が実を結ぶのはもっと後になってしまったので、後世になって悪い面が強調されすぎなのかもしれません。


大槻伝蔵田沼意次の記述を読むと、2人に共通する面があるように思いました。

  • 元は身分が低いものの、主君に気に入られて成り上がった
  • 経済などの能力に長けて財政の立て直しに貢献
  • 主君の死後まもなく失脚、敵対者によって悪評が強められる

彼らには主君を誑し込んで出世したという悪評があるのですが、それはほぼ後世のでっちあげらしく、実力相応の働きを正しく認められた結果なのに、代々高禄を食んでいる門閥層に疎まれたのではないかというのが著者の考えです。
実力と相応の意欲を持つ者が出世するというのは現代では当たり前ですが、身分が細かく固定されていた江戸時代のこと。既得権益にしがみついている立場からすれば、身分の秩序を乱す者はそれだけで敵対者となってしまうのです。
成り上がり者にとっては後ろ盾となる者が無くなってしまうと、弱みをつかれて何もかも失ってしまう非情な世界。ある意味現代でもそれは言えるのでしょうが、近代以前ではそういう面は強いようです。


田沼意次について、江戸時代は賄賂が常識となっていたのに彼だけが格別悪評高く言われる点を指摘しているのはさすが。*2
しかし、政策の拙さや人格的な卑しさでやっぱり著者はお嫌いな様子。大石慎三郎氏らによる史料の検証と人物の再評価は1990年代に入ってからなので、ある意味仕方がないのでしょうね。

*1:著者は葦原将軍のような誇大妄想症患者と指摘

*2:彼の後を継いで寛政の改革を行った松平定信でさえ職に付くために賄賂を行っていたとか