67冊目 『安土往還記』

安土往還記 (新潮文庫)

安土往還記 (新潮文庫)

ジェノヴァ生まれの船員の目を通して心理面まで鋭く踏み込んだ織田信長像が描かれています。
この主人公はただの船員ではなく、傭兵として働いていた経験から、鉄砲に関する技術・戦術や艦船の建造・築城などの知識を持っている為、信長から友誼を得て、そのアドバイスが史実の戦いに反映されたように書かれています。
まぁ、そこまで行かなくても、もしかしたら実際に西洋の軍事知識を与えた複数の外国人がいたとしても不思議ではないのが、現代から見た織田信長の日本人離れした発想でもありますけど。


織田信長と言えば、その激しい行動から、天才的な独創性と妥協なき合理性と同時に、冷血・残忍さも指摘されています。
良くも悪くも近世日本史を代表する人物であるわけですが、人としての付き合いやすさという面では、織田家当主になる前の若年期を除けば、非常に難しい人物だったのではないかと思われているわけです(羽柴秀吉のような特殊な人物を除いて)。


そこが不思議なことにキリスト教イエズス会)宣教師達には、親しく振舞い便宜をいろいろと図っています。
同じ宗教を奉じる者として、国内の仏僧が堕落し世俗にまみれた争いにうつつを抜かしているのに対し、宣教師達は万里の波涛を越え、遥かな異国の地まで布教に来る為に人生を捧げたその真摯な姿勢を買ったのだとよく言われています。
また実利面では、西洋の技術や物資を得る為に利用したのだとも。*1


その内情を本作の主人公は、その身近な宣教師一人一人の人格を挙げて、信長との共通点まで見出しています。つまり「事を成す」ために極端なまでに余計なものを排除する姿勢です。

大殿(シニョーレ)がヴァリニャーノに魅せられたのは、、こうした自分との戦いに生死を賭しているこの巡察使の孤独な、真剣な、ひたすらな生に共感したからである。


そういう意味で、求道者であった信長ですが、同時にその深い孤独を理解できていたのはごく一部でした。
結果的に相容れられず謀反していった武将(荒木村重明智光秀)という結末に導いています。
合理性を極端にまで突き詰めていく信長の強さに惹かれるのは、こうやって後世から見ているからであって、実際に同時代に生きている人間にとっては、そんなに強くは生きられないのだろうな、とも思いますね。

*1:あれほどのキリスト教に親しみを見せても、決して洗礼を受けなかったことからも