11期・10冊目 『信長の血脈』

信長の血脈 (文春文庫)

信長の血脈 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

織田信長の傳役、平手政秀が自害したのは主人の奇行を諌める為だという通説は本当か?伊吹山に日本原産ではない薬草があるらしい、という話から閃いたありうべき戦国秘話とは?「秀頼の本当の父親はだれか」への加藤流推理はいかに?島原の乱の真の首謀者は?戦国時代の陰の主役たちを照らし出すスリリングな小説。

信長の棺』でデビューを飾り、その後の光秀・秀吉と続く三部作を書いた著者ですが、取材途中で気にかかった平手政秀の死の謎など戦国時代から江戸時代初期にかけて書きたかった歴史の狭間に隠れた謎や人物たちを取り上げており(あとがきより)、歴史好きとしてはたまらない内容です。


「平手政秀の証」
傅役であった平手政秀がそのうつけぶりを諌めるために自害したというのは信長の若き頃のエピソードとしては有名な話です。
でも当時、信長は数えで二十歳。もうとっくに成人して家督も継いで妻(帰蝶)を迎えている。
今更うつけぶりを諌めるために自害などするものか?*1
そんな疑問が出発点だったそうで、丹念に描かれた当時の信長を取り巻く状況を読んでいるうちに別の事情が浮き彫りになっていくのです。
また、信長が出生順では三番目として書かれていたのが意外でした。
庶子の兄がいたことは知っていたのですが、信勝(一般には信行として流布)が先に生まれたが、父・信秀は織田氏が分裂して争う尾張の状況を鑑みて、大人しい信勝よりも行動が破天荒な信長に後継者としての器を感じて跡取りとして指名。
出生年の記録をあえて改ざんしたという設定にしています。
本作は平手政秀を主人公として幼き信長との交友を含めた心情が細やかに描かれており、非常に読み応えありました。
その死に際しての理由についても衝撃的ではあるものの、ある意味納得。
その後の信長の人生に影響を与えたという点でも彼の存在とその死の意義は大きかったのだと思えます。


伊吹山薬草譚」
古くから薬草の栽培地として知られていた伊吹山にはなぜか二、三の欧州由来の薬草が存在するという。
そこから生まれたのが本作。
信長により、南蛮由来の薬草の栽培地として許されたのが伊吹山ですが、そこは元から日本の薬草が栽培されていました。
しかし宣教師の一団は一帯を焼き払って強引に進めてしまったことから地元民との摩擦が起き、その訴えを聞いた阿弥陀寺の住職は対応に苦慮する。
そして伊吹山には別のおかしな集団も現れて・・・。
キリスト教を保護した信長の時代に実際に有りえたであろう、一般民衆レベルでの確執・暗闘を描いたものです。
地味ですが切り口が新鮮で、なかなか興味深く読ませてもらいました。


「山三郎の死」
父・秀吉とは似て似つかない大柄で美男子の秀頼。
身ごもった時期(九州出征中)からして、別の種なのではないかというのが昔からよく言われていた話です。
関ヶ原の戦い後、一大名の地位に落ちた豊臣家の家老・片桐且元を主人公に父親として疑われた名古屋山三郎の追跡、そして自身の子でもないと知りつつも必死に跡継ぎとして保護しようとしていた秀吉の心中を察する内容となっています。
武芸達者だった山三郎が同僚との喧嘩であっさり殺されたところに陰謀が絡んでいたというのは自然な流れに思えます。
またこれを書くために調べまくったという出雲の阿国が主演の歌舞伎の様子がとても生々しくて印象に残っています。


「天草挽歌」
草の乱直前、肥前唐津藩の天草領にて富岡城代を勤めた三宅藤兵衛が主人公。
藤兵衛は父が明智光秀に仕えた秀満(旧姓・三宅)の子(妻の連れ子)であり、光秀死後にその娘である細川ガラシャ夫人に保護されるも、関ヶ原の戦いの時に夫人が死に再び流浪。
その後、九州肥前にたどり着いて寺沢広高に気に入られて仕えるようにあったという苦労人。
そのせいか性格は温和であり、天草の実情を知らずに民への苛斂誅求をもってする藩上層部の方針との間で板挟みになってしまうのです。
本能寺の変で脚光を浴びた明智秀満。その息子が島原の乱にて当事者として居合わせたという、何か不思議な縁を感じます。
日本におけるキリスト教布教の実態を第三者的な冷めた視線で考察しているのが面白い。
ただ結局、乱の初期に多勢に少数で立ち向かわざるを得なくなり、早々に退場することで、物語としては少々物足りない気がしたのも正直なところです。

*1:武士道としての切腹が確立された江戸時代と違って、戦国時代は明らかな大罪や籠城時の敗北の責任を取る時くらいで、そう簡単に自害などしなかたったであろう