朱川湊人 『幸せのプチ』

夜中になると町を歩き回るという、銀色の仮面をつけた男。
不気味な男の正体を探る少年に、中年の警官は言った。
「あの人は悪いことはしないから安心していい。いつか君にもわかるときがくる」―-

都電が走るこの下町には、どこか不思議で、ささやかな奇跡が起きる。
ほっぺが落ちる「ほそ長いコロッケパン」に、みかければラッキーな「白い野良犬」、
迷路のような道路の先にそびえる銭湯の高い煙突、赤い公衆電話。

その町に出かければ、若い自分が残してきた苦い記憶、生きている限り
忘れないあの光景に出会えるのだろうか。町の名は、琥珀(こはく)――

1970&1980年代の懐かしいアイテム、思い出を背景に
繰り広げられる、ひとりひとりの切実な人生模様。

朱川湊人氏の作品は久しぶりです。1970年代から1980年代前半。都電の走る琥珀という下町が舞台になっています。
ソフトホラーというか人情怪談というか、ちょっとした不思議感漂う連作短編集です。
プチという名が付けられた白い犬とか、登場人物の何人かがちょこっと登場して、別人物の目線で描かれるのがいいですね。

「追憶のカスタネット通り」
神田川」『『いちご白書』をもう一度』といったフォークソングを思わせるような若いカップルの男性目線です。主人公は付き合っていた彼女、尚美が急性緑内障に罹ってしまい、動転して逃げ出してしまった立場。
数十年の時経ち、癌に冒されて先が長くないと知り、青春時代を過ごした琥珀にやってきて思い出を辿ります。懐かしさと同時に罪悪感を覚えながら。
主人公ほどじゃなくても苦い過去、恥ずかしくて捨ててしまいたい過去があるとよくわかる話。女性の方が逞しい?


「幸せのプチ」
ごく普通の男子小学生だった私にとって、苦手なもの。それは飼い犬をけしかけてくる近所のおじさん。さらに怪しい巨漢の人物、通称ゴリラ・モンスーン。
それが白い犬、プチとの出会いによって、急激に変わっていくのです。
そういえば、昭和の頃は普通に野良犬がいました。人に馴れている犬もいたけど、吠えたり噛む犬もいて、体の小さな小学生には脅威でした。
もっとも、作中に登場するプチはただの犬というより、主人公にちょっとした幸せをもたらす精霊みたいな印象ですが。

「タマゴ小町とコロッケ・ジェーン」
パン屋の娘・美佐子と向かいの肉屋の娘・和美は幼馴染。店は近隣で働く朝昼に買いにくるので忙しい日々を送っていました。
そんな中、美佐子は一人の男性客が気にかかるようになって…。
昭和の女性視点でなかなか興味深いです。美佐子、和美ともに美人でモテるらしく、浮いた話がないわけじゃないのです。しかし、美佐子にとっては地元の同級生より、遠くから来た垢抜けた年上男性の方が気になるようで。

「オリオン座の怪人」
高校生の朔が楽しみにしていたのがラジオの深夜放送。視聴者からの不思議体験談を紹介するコーナーで、深夜に徘徊する怪人の話が地元であると知る。そこで朔は確かめてみようと話に出ていた公園に向かいます。そこで一匹の白い犬と出うのでした。
ラジオの深夜放送といえばAMでしょうが、私はAMはあまり聞かず、FM放送を聞いていた方ですね。
朔は怪人の正体を確かめようとしたら、当の本人に会ってしまいます。それが人生の転機になるのというのが面白い。

「夜に旅立つ」
独身のまま自分を産んだものの、すぐに捨てた母の代わりに育ててくれたのが祖父母。祖母の死後は祖父と2人で過ごした勇治。そんな彼も大阪の老舗料亭に就職が決まり、生まれ育った町を出る日が来ました。勇治は世話になった人たちを訪れ、挨拶を交わします。
そんな中、勇治の心残りはいつも見ているだけだった車椅子の女性でした。どうにかして彼女と言葉を交わしておきたいと思って勇気を振り絞ろうとする。実は酒好きな女性、「のんべえの化粧品売り」が前話に続いてここでも重要な役割を果たすのでした。
板前の修行に出るなら「包丁一本、晒しに巻いて~」なんとなく聞き覚えがあるような。
最後の話にふさわしく、これまで登場したことのある人物が出てくるのがいいですね。