9期・48冊目 『異国合戦 蒙古襲来異聞』

異国合戦 蒙古襲来異聞

異国合戦 蒙古襲来異聞

内容紹介
鎌倉時代の二度にわたる元寇で歴史に名を残した肥後の御家人竹崎季長の活躍を軸に、攻め寄せる元の皇帝フブライの思惑や、元の圧政に苦しみながら先鋒を務めた高麗の指揮官や兵士の戦いぶりをも描く、長編歴史小説
季長が文永の役の恩賞を求めて、九州から鎌倉まで直訴に赴いた顛末など、単なる合戦ものにとどまらない人間ドラマとなっている。

1274年(文永11年)10月、対馬壱岐を蹂躙した元・高麗軍は九州の博多付近に上陸。
急遽召集された九州一円の武士団が迎撃に当たり、各地で戦闘が勃発しました。
その中の一人、肥後の御家人竹崎季長は父急死後の争いに敗れて領地を持たない惨めな境遇から脱するためにこの戦を機に何が何でも手柄を立てようと焦っていました。
そのためにわずか五人の手勢を連れて元の軍勢に突撃を試みるのですが、敵の集団戦法や打ち鳴らされる楽器、毒を塗り込められた矢や「てつはう」と呼ばれる火薬武器など、本邦とはあまりに違う戦闘方法にとまどいます。
負傷しながらも先駆けを果たしますが、恩賞の沙汰はなく、このままでは武士の面子が立たない季長は馬を売り払うなどして旅費を用立てて、鎌倉まで訴えに行くことにしたのです。


文永・弘安と二度にわたって起こった元寇(元側からすると皇帝フビライの日本征討)を攻める元帝国と守る日本、それに間に挟まれた高麗というそれぞれの立場から描いた一大群像劇となっています。
日本側の主人公は二度とも前線に出て奮戦した竹崎季長
教科書にも載っている「蒙古襲来絵詞」を描かせた御家人として有名です。
自分の手柄を認めさせるために肥後からはるばる鎌倉まで訴えに行ったというエピソードと自身の活躍を絵詞として描かせたということから、きわめて自己顕示欲の強い人物という印象でした。*1
しかしこの中では実直な武人として描かれており、所領を持たない貧乏御家人から脱するために一命を賭したわけです。
どちらかというと後先考えずに無鉄砲に行動する人物であり、幸運が重なって訴えが認められて、晴れて地頭として領地を持つものの、再度の異国警固番に伴う出費に苦労する。
その描写は非常に人間味あふれていて、どこか現代のサラリーマンか中小企業の経営者を彷彿させます。


一方、元に征服されて属国である高麗側としては宰相であり、かつ征日本都元帥に任じられた金方慶、そして李という下級兵士の立場から、日本征討の為に戦艦建造や物資・兵力供出など多大な負担を強いられ疲弊しているさまが重苦しく描かれています。
もしも日本が陸続きで侵略をじかに受けていたら同じ立場になっていたかと思うと恐ろしい。
元側としてもフビライ側近の耶律希亮*2による客観的な視線からの内部事情がわかりやすい。
いくら大国といえどもこの時代に海を超えて遠征することの困難、それに(弘安の役では台風に助けられたとはいえ)日本武士団の健闘ぶりが印象深かったです。
後世に伝えられたような神頼みはあくまでも建前で、情報収集に怠りなかった幕府、そして前線では戦訓を生かして戦い方を変えるなど、実践的な武士たちの強さが目立ちました。
今まで日本側から読むことが多かった元寇ですが、本作はこの戦役を巡って東アジアの複数の国の人々による激動の国際史ドラマとして味わえたのが良かったです。

*1:絵詞については、褒章の際に恩を受けたが霜月騒動で滅んだ安達親子や少弐経資らの鎮魂の意味もあったらしく、ラストでもそのように描かれている

*2:かつてチンギス・ハーンに仕えた耶律楚材の孫