7期・59冊目 『水の城−いまだ落城せず』

水の城―いまだ落城せず 新装版 (祥伝社文庫)

水の城―いまだ落城せず 新装版 (祥伝社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
「なぜ、こんな城が!」五万余の軍勢を率いる石田三成は、蓮沼に浮かぶ小城を前に歯がみした。天正十八年(1590)、太閤秀吉が関東の雄・小田原北条家に怒濤のごとく襲いかかった。百を超す支城が次々と陥落する中、なぜか三成が攻略する武蔵・忍城だけが落ちないのだ。足軽・百姓合わせてたった三千人弱の兵力にもかかわらず…。戦国史上類を見ない大攻防戦!書下ろし長編時代小説。

のぼうの城』が去年あたりに漫画化、そして近々映画公開されるとのことで書店には原作の文庫が並べられていますが、ブームに対して天邪鬼な私は沈静化した頃に読めばいい。今はあえて同じ題材を取り扱っている別の小説を読んでみようかと思ったわけです。


1590年(天正18年)、西日本を制し徳川家康をも従えた豊臣秀吉は北条氏の支配する関東へと大軍を催します。
それに対して北条氏はその本拠・小田原城籠城を中心とする持久戦法。
秀吉は小田原城に対する力攻めはせず、別動隊を関東一円に派遣して諸城の攻略を命じます。その中の一手に文官だがこの際に戦功を立てさせたいという秀吉の親心から大将になった石田三成がいました。
当初二万余を率いた三成はまず手強いと思われた上州・館林城を囲み、効果的な攻めで痛めつけた後に交渉により開城に成功。
次に目指すは武蔵北部の忍城。館林城攻略で自信がついた三成らは主力無き小城など簡単に攻略できるとふんでいたのですが・・・。


一方、忍城では城主・成田氏長を始めとする精鋭は本拠小田原城に向かい、残るは老齢・年少の者が大部分。
しかも高齢ながら経験豊富な城代・成田肥前守が病に斃れ、跡を継いだ息子・長親は連歌は得意だが戦の実績は不明。聡いのか愚かなのか掴みどころが無い男でした。
序盤から気の強い甲斐姫(城主の娘)に振り回され、そのくせ密かに憧れを抱いているちょっと情けないというか人が良すぎる四十男の様子が浮かんできます。
その長親が城代を引き継いだ時に言った言葉が「あとは野となれ」。
聞いていた将兵でなくとも、こんなんで本当に大丈夫なのかと思いはしますが、武将らしくないところがこの男の強みだったりするわけで。
わずかな数の城兵を補うために籠城に際して領民を城内に引き入れ、俄か仕立ての兵士としてなんとか三千人ほどの兵を確保するわけですが、城代自ら見回って兵たちの士気に気を遣ったり、一介の町民から防御のアイデアを取ったり。いわば現場を知る人であり、戦となると勇猛ではないが、粘り強い戦い方を発揮します。
一方寄せ手の石田三成は、決して戦を知らないわけでもなくて、とことん理詰めで攻める。
意外としぶといことに業を煮やした三成が水攻めを進めるも、察知した城側による妨害工作などにより失敗。その後激戦が続くもなんと小田原城開城後も守りぬき、結局守備側の有利な条件による講和として終わります。


もともと「水の城」と言われるほど湿地・沼に囲まれた攻めにくい城であること。
水攻めが効果を発揮しにくい地形であること。
いろいろあって城側が一致団結したこと。
様々な要因があって忍城は籠城戦に勝利したわけですが、そこには城代・長親の器の大きさや領民の感情、それに混成軍で指揮系統が統一されていない攻撃側など多角的な面から描かれていてとても読みやすかったです。
逆に歴史小説らしくない現代風の言動やあっさりした戦場描写がちょっと気になったのですが、それは読みやすさを重視した理由によるのかもしれないですね。


【参考】
忍城に関する歴史
忍城攻め−戦国の中間管理職・三成の悲劇
※水攻めを指示したのは三成では無くて秀吉とも。