7期・12冊目 『そして殺人者は野に放たれる』

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
心神喪失」の名の下で、あの殺人者が戻ってくる!「テレビがうるさい」と二世帯五人を惨殺した学生や、お受験苦から我が子三人を絞殺した母親が、罪に問われない異常な日本。“人権”を唱えて精神障害者の犯罪報道をタブー視するメディア、その傍らで放置される障害者、そして、空虚な判例を重ねる司法の思考停止に正面から切り込む渾身のリポート。第三回新潮ドキュメント賞受賞作品。

覚せい剤や飲酒、精神病既往歴、その他「基本的に病人には優しい」鑑定人や裁判官が常識では有り得ないと感じた犯罪*1に対して、被告は「精神的に異常であった」と判断されると心神喪失心神耗弱が適用されて無罪または罪が軽減されてゆく。
そこには被害者および遺族感情を斟酌することなど無く、なぜか加害者への行き過ぎた配慮があるのみ。
その悪弊の元となっている刑法39条、そして日本では精神異常犯罪者を収容する施設が無く、殺人者が野に放たれているに等しい現状を論じている内容となっています。


正常な心理によって為された犯罪よりも、(本人が原因も含む)異常な精神状態であるとされたら罪が軽減される*2。それも裁判官や鑑定人による極めて主観的な判断によってなされるのは第三者としても承服しがたいものであります。
しかし日本ではいったん異常者による犯罪の被害者・遺族となったら泣き寝入りを強いられてしまう、法治国家とは思えない数多くの事例が挙げられていることには恐ろしいという言葉しか出ません。
それから細かいところで言えば、加害者が逮捕時に怪我を負った場合は入院費用や移動費用は国が負担するのに、被害者が捜査によって荒らされた室内の修繕費用や裁判での移動費が自己負担なのはどうも理不尽が気がします。そういったことはあまり知られていないですよね。


とはいえ気になった点としては、本書における批判対象である裁判官・弁護士に対する人格攻撃を含めた過度の感情表現ですね。
取材と通して犯罪被害者に対して思い入れが生じるのは仕方ないとは思います。
しかし、殺人事件に対して、被害者と一緒に憤っているだけならば誰にでもできること。ジャーナリストならばもう少し冷静な視点で述べて欲しかったです。それに挙げられている例はとても多いのですが、被害者側の取材はともかく、資料からの引用しただけの例も多くて、警察・検事といった実際に事件に関わった側の取材がほとんどありませんでした。そういう意味でも客観性には乏しいと言えます。


それでも多くの精神異常犯罪者が信じられない理由で無罪もしくは軽い刑(執行猶予など)を科されただけで社会に出て、再犯を重ねていく実情が一般に知られるきっかけになるのではないでしょうか。
今でこそネットによってマスコミで報じられない情報も入手することは簡単になりましたが、ここで挙げられていた80〜90年代は新聞・テレビでは詳細が報じられずに埋もれていった事件は多かったようです。
寡聞にして近年の裁判における精神鑑定の影響はわからないのですが、ニュースなど見ている限りは少年犯罪や酒気帯び運転に対して重罪傾向にあるようです。
そして賛否分かれた後に導入された裁判員制度によって民意を反映させようという試みは本書で書かれたような加害者への過度の配慮と被害者無視の傾向に対しての批判の結果だと思いたいですね。

*1:通常の意識ではないから犯罪が起こるわけであって、異常では無い犯罪とはなんだろう?

*2:著者は疾患などによる場合は過失致死・致傷が相当と主張している