7期・1冊目 『彗星夜襲隊』

彗星夜襲隊―特攻拒否の異色集団 (光人社NF文庫)

彗星夜襲隊―特攻拒否の異色集団 (光人社NF文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和二十年四月、沖縄が決戦場となり、陸海全軍特攻の嵐が吹き荒れる只中で、強固な信念のもとに正攻法を採り続けた日本海軍芙蓉部隊。夜襲戦法を発案した指導官美濃部少佐と隊員たちは、不利な戦況をいかに戦い抜いたのか―戦場を熟知する塔乗員と整備員たちが結集し、熾烈な沖縄戦に挑んだ最後の戦いを描く。

太平洋戦争終盤、フィリピンに押し寄せる米軍に対して、もはや質量ともに劣る日本軍ではその勢いを止められることは困難であり、当初は非常手段として実施された体当たり攻撃、すなわち特攻。
実質死を強要する、もはや戦術とは言えない愚劣な攻撃を1年近くの間実施され、多くの若者の命が散っていったことはよく知られている通りです。
【以前読んだ関連本】
『特攻と日本人』
『指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく』]


志願という名の強要を行ってきた司令・参謀といった人間が(一部現場の士官を除き)戦後はその責任を逃れてのうのうと過ごしてきたことにも触れていますが、本書のテーマはそれではなく、航空部隊のほとんどが特攻へと流されていく中で、あくまでも正攻法による航空攻撃を取り続けた士官・美濃部少佐とその部隊(芙蓉部隊)の戦いぶりを丹念に描いたものです。
ちなみに本作を知ったのは2010年の人力検索での質問になるので、いつか読もうと思っていてもう1年以上経ってましたね。。
http://q.hatena.ne.jp/1271084618#a1009292


太平洋戦争後半、航空戦においては米軍があらゆる面で凌駕するようになり、その決定的な戦いがマリアナ海戦〜フィリピンの戦いであったわけですが、特攻が生まれた時期と同時に選ばれた搭乗員と機材によって夜襲による攻撃方法を企図していた士官、それが美濃部少佐であったことが綴られています。
といっても、まだフィリピン戦線においては準備不足や時勢の悪さもあって挫折の憂き目に遭い、せっかく集めた航空機材は失われ、部隊が苦労して撤退するところが序章。
やがて日本本土に戻って、ちりぢりになった搭乗員集めと機材確保、そして拠点確保とまさしく一からの部隊編成を行います。
部隊を立ち上げ、そして実戦に通用させるまでの訓練や機材・人員調達を巡る美濃部少佐の手腕と創意工夫がすごい。
航空機が足りなければ工夫された座学と訓練方法で補い、主力とされた彗星艦爆が高性能ながらも整備に難があれば整備員確保だけでなくメーカーをも巻き込んだ講習によって稼働率を上げていく。
すでに本土が敵の重爆だけでなく艦載機による空襲を受けていたことから航空機の隠蔽にも腐心して戦力の温存を図る。
また、夜襲という攻撃法のために搭乗員に昼夜反対の生活と夜目が効くような訓練を施す。
まさに目的のためにいかに合理的に組織を仕上げていくかと考えていたことがわかります。


やがて沖縄戦が始まったことによって芙蓉部隊も鹿児島に移動して実戦参加するのですが、攻撃だけでなく索敵や制空にもその高い稼働率がものを言って、実績が積みあがっていくのです。
そういった努力と指揮官の強い意志によって芙蓉部隊は特攻を行わず、夜襲による通常攻撃によって、戦果をあげていくさまが描かれます。
それは決して楽な戦いではありませんでした。VT信管を含む米軍の強力な対空陣とレーダーを搭載した夜間戦闘機が立ちふさがり、さらに長い往復距離に伴う燃料切れなどによる墜落といった消耗が続きます。
それでも練習機までも投入しながら戦果をあげられない特攻とは一線を画する戦いであったと言えましょう。
皮肉なことに芙蓉部隊がその戦術と組織として理想的であることがわかるほど、他の航空部隊がいかに無為無策のまま若い命を散らしていったことが浮き彫りになるということですね。
芙蓉部隊が異色の存在としてこうして描かれることが太平洋戦争そにおける日本軍の悲劇でもあります。