地震当日、都内にて。

特に災害被害にあったとか特別な体験したわけでもない(その後いろいろ影響は受けたけど)私ですが、個人的な体験記録として記憶が確かなうちに残しておく目的で書いています。はてなハイクの方ではリアルタイムに投稿していたのですが、後から振り返るとしたらやっぱりブログだなと。
3/13(日)からこの記事を書き始めたのですが、いろいろあって書き終えるのが遅くなってしまいました。
一応身バレ防ぐためにところどころイニシャルにしたりフェイクを入れてありますのでご承知おきを。


地震当日3月11日(金)は都内S区の職場で普通に仕事していていました。仕事はそこそこ忙しかったけど特に問題を抱えているわけでもなく、少しの残業で帰れる見込み。金曜夜は夜更かしを許している娘がきっとDSでポケモンやっているだろうからどれくらい進んだか見てやろう。明日土曜は朝一で花粉症の薬をもらいに行かなきゃな、とそんなことを思ったりしていました。
そしてもうすぐ時計が15時を回ろうかという頃、地震の第一波が来ました。
ちょうど席でPCに向かっていたのですが、ドンドンっとお尻の下から突き上げるような衝撃が数回、そしてすぐに大きな横揺れが来ました。
ちなみに私の職場は16階建てビルの14階。阪神淡路地震後に建てられて免震構造になっているそうですが、ビル全体が地震に同期して大きく揺れるので、たいした地震でなくても船に乗って揺れているみたいで気持ち悪くなります。
最初はみんな様子見ていたのですが、これは尋常ではないということで机の中に入ろうとしました。しかし揺れでうまくいかない。いや固定されていない椅子に手を付いていりゃ当たり前だ。落ち着け自分。
窓のブライドがやたら動いてガシャガシャぶつかる音が響いていたのと、フロアの仕切りが倒れそうなくらいグラグラ揺れていたのをよく覚えています(すぐ近くの席の人に危ないと言ったけど、結局倒れることはなかった)。


幸い見渡すかぎりでは、周囲に異常も怪我人も無く、いつもの地震のちょっと大きいやつ、だけど今のは震源地近かったろうくらいにその時周りは話していました。後に都内でも被害に遭った人がいたと知り、自分の場合はたまたま職場にいて運が良かった方だったことがわかったのですが。
次第に地震の状況が入ってきて、震度5強であったことが判明。震源地は三陸沖(→東北地方太平洋沖地震)と出ました。東京であれだけ揺れたのでは、震源地に近い東北ではいったい・・・と愕然としましたね。
もうその頃から電話も通じにくくなり、余震が続く中で外を見ると避難している人が大勢いて、仕事どころじゃない騒ぎ。ただ、外に出ると落ちてくる破片などで怪我することもあるから外に出ないようにと連絡ありましたが、つい先日のNZ地震の報道などから建物の中は危険という意識は強いのでしょうか。


そして今度は携帯のワンセグで宮城・福島県を襲った津波被害が入ってきました。
その後何度もテレビで見ることになるのですが、車も家も簡単に流されていくその映像はあまりに現実離れしていて本当に日本で起こっているのか信じがたいものでした。
沿岸部の人々にとって地震津波はつきものであるはずで、避難勧告は出ていたのだろうとは思いますが、実際大地震に遭った直後ではその対処で頭が回らないのでしょうか。
そしてネットで徐々に状況がわかるようになってくるにつれわかってくる地震災害の大きさ。被害地域の広さ。東京ではお台場の火災、千葉ではガスタンクの爆発。一つ一つが一大事とも言える出来事が次々と起こり、いったいこの先どうなってしまうんだろうと思うしかありませんでした。
そして都内のオフィスにいた私にも、交通の混乱という形で降りかかってきました。


しばらく首都圏鉄道の状況は壊滅的で、夜に至っていくつか私鉄・地下鉄が動き出したものの、19時か20時頃JR東日本が終日運休との発表により、私は泊まり決定。
職場では運行再開した私鉄・地下鉄、あるいはバスや徒歩という手段で行けるところまで行くということで帰宅した人もいましたが、私の自宅(埼玉県)までの距離ではすっぱり諦めるしかない(笑) 最終的に四分の一くらいの人数が翌朝までいたようです。
また、電話が繋がりにくい状況はしばらく続きましたが、私は17時頃に家族とも連絡取れて大事無かったことがわかって安心しました。


本来ならば食べ物を摂るには困らないはずの都会。しかしこんな状況では飲食店の方もわからないのでコンビニに買い物に行ったのが18時半頃。すでに弁当・おにぎりの類は無くなっていました。なのでカップラーメンと飲み物・お菓子を確保。その一時間後にスーパーに行った同僚に聞いたらレジがすごい混雑だったそうです。そこでは自転車を買った人もいたそうですが、なにもそこまでして帰宅せにゃいけないかなぁと家の遠い私は思ったものです。
エレベーターが動いていなかったので14階までの階段上り下りはさすがにつらかったです。*1


職場では当然のことながら仮眠用設備などなくて、2,3時間くらいうとうとしただけ朝を迎えました。
夜の間は一向に途切れることのなかった車と歩行者の列は朝には消えていて、一見いつもと変わりなさそうな静かな街に陽は昇ってました。
しかしネットを見ると地震のニュースが続いていて、やはり現実に起こっているのだなと。
気になる12日のJR運転情報ですが、7時より再開見込み。再開直後は混雑するだろうから、駅までの徒歩にかかる時間も含めて少し余裕みて最寄のA駅まで行ったのですが甘かった・・・。駅で運転再開を待つ人たちで一杯でした。
結局運転再開は二時間遅れの9時。もちろん朝のラッシュ以上の混雑です。加えてノロノロ運転なので時間がかかることかかること。それにこの電車を逃したら次いつ来るかわからないという状態なので、駅での乗り降りの時など普段のラッシュよりみな殺気立っていました。


さて、なんとか乗り換えのU駅まで来たのはいいのですが、そこから先が問題。再開直後の混雑はもう緩和されているかもという予想は大外れ。U駅は複数の路線の始発駅を兼ねているので、続々と人が降りてくる割には10時過ぎても運転再開していないために駅構内は非常な混雑で、長い行列ができて入場制限がかかっていました。こんな中では外に出て時間を潰すこともままならない。*2
私はホームに並んでいたらたまたま30分くらいで電車が来たのでラッキーな方でした。
地震に見舞われてもマナーを守れる日本人という記事がありましたが、平気で割り込みする人、トラブルを起こす人がいる一方で、こんな中でもお年寄りに席を譲る人もいたわけで、まったく人それぞれですね。
帰りの電車もやはり混雑と遅延があっていつもの倍以上の時間がかかり、睡眠不足もあって辛かったですがなんとか地元に戻れることができてほっとしました。
特に変わりの無い自宅に着いた途端、気が緩んでいつもの感覚に戻ってしまったわけですが、この地震による影響はまだまだ始まったばかりであったことはご存知の通りです。


にしても、台風や落雷などで首都圏の交通が大幅遅延ならば何度か経験ありますが、ここまで麻痺したのは初めての経験でした。今回は翌日が土曜ということで焦ることもなかったですが、もし平日だったら仕事にもならなかっただろうし*3、翌日に鉄道復旧しなかったら・・・なんて考えたくもありません。
直接被害に遭われた東北の方々に比べればたいしたことないのですが、今回は地震の恐ろしさ(そしてその影響の大きさ)の一端を知る思いでした。

*1:非常階段では下に行くにつれ壁材が剥離して落ちていて、大きい地震であったことがわかった

*2:駅付近の店舗はほとんど臨時休業

*3:実際、14日(月)は自宅待機だった