2期・51冊目 『隣の家の少女』

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

内容(「BOOK」データベースより)
1958年の夏。当時12歳のわたし(デイヴィット)は、隣の家に引っ越してきた美しい少女メグと出会い、一瞬にして心を奪われる。メグと妹のスーザンは両親を交通事故で亡くし、隣のルース・チャンドラーに引き取られてきたのだった。隣家の少女に心躍らせるわたしはある日、ルースが姉妹を折檻している場面に出会いショックを受けるが、ただ傍観しているだけだった。ルースの虐待は日に日にエスカレートしていき、やがてメグは地下室に監禁され、さらに残虐な暴行を・・・。キングが絶賛する伝説の名作!

ついに手を出してしまいました。読後感最悪というジャック・ケッチャムのこの作品。
まず最初に大人になった主人公(デイヴィット)が過去のトラウマに囚われている様が書かれているので、その後に続く内容の異様さを予感させておいて、意外にも始めはそんな雰囲気が無かったのですね。
夏の陽ざしがふりそそぐせせらぎの中でのメグとの出会いは青春恋愛物を想像させるし、メグとスーザン姉妹が身を寄せることになった家の女主人・ルースはデイヴィットの視点からかなり好人物として書かれていたり。


次第にルースが姉妹に対して酷い仕打ちをするようになって、何かがおかしくなっていきます。食事を与えなかったり過剰な体罰をおこなったり。このあたりは現実に「しつけ」と称して子供を虐待する親の姿を目のあたりにした思いでした。将来のためだとか何とか理屈をこねて自分を正当化しているんですが、その論理は完全に破綻しています。そしてルースの3人の息子達は外では相当な悪ガキなのに、家の中では母親の言われるがままにメグへの暴行に協力しているのが気持ち悪い。


逆境に堪えながら毅然とした態度を保ち妹を気遣う優しさを持つメグ、それに対して次々と新たな虐待を加え、身体のみならず精神的にも弱らせて人間の尊厳まで奪い取るルース。
ついに地下室に押しこめられてエスカレートした虐待の様は気違いじみていて、というか本当に気が狂っていてコメントしようがありません。*1


デイヴィットはメグを慕いながらも、ルース達に逆らえずに長らく傍観を余儀なくされます。消極的に解決を図ろうとするもかえって逆効果。好きな娘のためにもっと何とかできないものかと正直思ったりしたものでしたが。
冒頭で大人になったデイヴィットが語っていた"「見ること」が本当の苦痛である"を読者はデイヴィットの視点を通してとことん自覚させられます。この作品を読んで「自分はデイヴィットとは違う」と言い切れる人はどれくらいいるでしょうか・・・。


最後の最後に立ち上がったデイヴィットの行動は当作品の中における一筋の光明でもあるし、いかにも物語的であるとも言えます。
いずれにしろ、こういった内容はフィクションであるから読めるのであって、現実に起こった事件を詳細に知ることになったら吐き気を催すことでしょう。*2

*1:「話すくらいなら死んだほうがましという事柄があるものだ。目にするくらいなら死んだほうがましという事柄が。わたしはそれを目にしたのだ」本編より

*2:しかし読み終わって調べてみたら、実際に起こった事件を元としていたことを知り(http://ww5.tiki.ne.jp/%7Ego_mad/ketchum/murder.htm)、更に現実に日本でも起こっている虐待死事件を思うと、小説より現実の方がひどいんじゃないか・・・。