この作品における主人公は藤原冬嗣。後に摂関家で有名な藤原北家の中興の祖と言ってもよい人物です。
全編通じて冬嗣から見た恒武から平城・嵯峨天皇の時代(8世紀後半から9世紀前半)が描かれています。
この時代においては彼の属する北家は式家・南家に比べれば、勢力的に劣り、しかも冬嗣は次男という立場なので官途への道も藤原一門の中では遅い方だったのです。
そういった環境が幸いしてか、他家や父・兄*1が絡んだ政争をしばらく客観的に観察して教訓を得ることができました。性格的にも積極的に自分も出世争いに参加するような人物ではなくて、このあたりは意外でした。
恒武天皇による長岡京〜平安京遷都という出来事は教科書的には有名ですが、もともと個人的にはこの時代に深い印象を持っていませんでした。
白村江の戦いや壬申の乱に代表される激動の天智・天武の飛鳥・奈良時代と、摂関政治や承平天慶の乱に象徴される平安時代という二つの時代に挟まれているせいですかね。
でも、よく考えればこの時代は、とても興味深いのです。
人物で言えば、あらたな仏教をもたらせた空海・最澄はもとより、怨霊となって恒武天皇を苦しめたと言われる早良皇太子、それから征夷大将軍・坂上田村麻呂といった有名どころの人物も出てきます。藤原氏と皇族との関係、特に女性関係は人物相関図を見ながらでないと、ややこしいのは仕方ありませんが・・・。
更に読んでいくと、薬子の変の背景、そして変の処理に関係して祟りの連鎖を断ち切る為に政治犯の死刑を廃止したこと、臣籍降下により嵯峨源氏が誕生した理由、主に税制の面から崩壊しつつあった律令制度など、当時の事情がよく理解できます。
下巻の後半からは、そのあたりは(不本意ながら?)嵯峨天皇と共に政治の表舞台に立たされた藤原冬嗣が関わってくるのですが。
おそらく冬嗣自身とすれば、前半生で感じた今までの政治の悪い部分を糾そうと思ってやったことが、結果的に時代の要請にマッチし、その後も長く受け継がれることになったわけです。
政治家としての藤原冬嗣は、以前『名君の碑』で読んだ保科正之に似ている印象を抱きました。
こうやって当事者の視点で書かれた小説の形で読めると登場人物の心情や歴史的出来事の舞台裏の駆け引きが垣間見られるようで面白いです*2が、1冊だけですと一方的な見方だけになってしまうので、この時代を描いた他の小説も読んでみたいと思いました。