8期・36冊目 『わたしを離さないで』

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)

内容紹介
自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇 妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点

主人公は「提供者」と呼ばれる人々を世話する介護人のキャシー。
12年に及ぶ介護人の生活に別れを告げようとするキャシーにとって、自身が生まれ育った施設ヘールシャムで過ごした日々のことは今でも心の片隅から離れることはなく、知らず知らずにその風景を探し求めているという。
提供者とは?そして施設ヘールシャムとはどのようなところなのか?
冒頭の様々な疑問はそのままに、彼女の回顧から始まる物語です。


施設というと、孤児院のような場所を思い浮かべます。
あるいは舞台となったイギリスにおいては寄宿舎もあるでしょう。
しかしヘールシャムでの生活は家と学校を合わせたようなものであり、(おそらく生まれた時から)十代半ばに卒業するまでの期間を一歩も外に出ることはなく、わずかに施設を訪れる人以外は外界と遮断されている様子がわかります。
なぜか授業では図画工作に極端に力を入れられており、その作品は多岐に渡っていて施設内で発行する疑似通貨で人の作品を買うことができる。またごくたまにマダムと呼ばれる女性が施設に来て、特に優れた作品が選ばれて展示館にゆくという。
そして頻繁に行われる健康診断、保護官と呼ばれる教師たちとの関係はどこか一般的な学校での関係とは微妙に違うところがある。
親友・ルースやトミーを始めとした仲間や教師とのやりとりが中心となるキャシーの回想はごく普通の女の子の生活のように思えつつ、随所に違和感を抱かせる内容です。


やがてキャシーらが成長するに従い、彼女たちと普通の人間との決定的な違いが明らかになるのですのですが、不思議とそこには混乱はなく、誰もが多少の諦めを抱きながら従容として将来は「提供者」になるべき運命を受け入れてゆくのが不思議でした。
そこには普通の人間と違って、ある目的*1をもって生まれてきた事情を受け入れざるを得ないわけでしょうけど。
そして月日が経ち、大人になって介護人と提供者の関係となったキャシーとトミーは一縷の望みを抱いて、マダムの元を訪れます。
そこで知らされる衝撃の事実。
漠然と抱いていたヘールシャムの違和感の答えがそこにありました。
読んでいる最中は教師やマダムに近い感覚でトミーらへの憐憫がありましたが、読後に少し考えてみると、明らかな使命のもとに生きている彼らと私たちでは果たしてどちらが充実した人生を送っているのかわからなくなりました。


表紙のカセットテープはタイトルそのものの歌が収められているキャシーの宝物をモチーフにしているんでしょう。
20世紀後半を舞台とした(私くらいの年代にとっては)懐古的でありながら、SF的な設定有り、自らのルーツ探しというミステリアスも有り。ちょっと一言では形容しがたい物語です。
でも初めて読んだ作家でしたが、読みやすい文章で心に染み入るようでした。
決して派手な展開があるわけもなく淡々としてながらも、抒情溢れる描写は映画の一コマ一コマのように鮮明に目に浮かんでくるようでしたね。

*1:ありていに言えば臓器提供