母方の祖父のこと

かつてここに書いたこともある祖父とは同居していた父方の祖父のことで、私が大学生の頃に亡くなり、後を追うように約3ヶ月後に祖母も亡くなりました。
母方の祖母は、私が小学校低学年の頃に病気で早くに亡くなったので、はっきりした記憶がありません。
ですので、唯一残されているのが母方の祖父なのです。
90歳を超えても、農作業で培った頑強な体のためか重い病気を患うことも無し。足を痛めたために歩くのは困難を伴うけれど頭もしっかりしていて、会話も明瞭だし手紙を書いたり新聞や本を読むのが楽しみ。最後に会ったのはもう1年半くらい前ですが、毎年年賀状のやり取りはしていました。


群馬にある母方の実家というのが代々の地主で、農地だけでなく、江戸・明治の頃には剣術の道場を持っていたとか。*1一度、祖父に本物の槍を見せてもらったことがありましたね。
戦後はそれなりの大きさの畑を持つだけになったらしいですが、古くて大きい家はそのまま。風呂なんか薪で燃やす五右衛門風呂だったのを憶えています。(途中で普通のガスの風呂に変わった気がするし、家自体改築されるまであったような記憶があやふや)


正月やお盆には親戚(私にとっては母の兄弟)が一同に会するのですが、5人兄弟でそれぞれ2人くらいずつの子供が集まるわけですから、大変な騒ぎになるのです。
年長に属する私は同い年のいとこ達と騒ぎの中心にいて、まぁ相当悪戯したらしいですな。でも度が過ぎると祖父の雷が落ちる。怒ると本当に怖かったのを思い出します。


そんな祖父も私が成人する頃には、すっかり好々爺となりましたが、たまに会うと昔の悪さしたこととか言われて恥ずかしい思いをしたものでした。
80歳近くまで畑に出ていたのですが、足を痛めたのもあって、老人施設や病院で過ごす日が長くなっていきました。


時々うちに来る母によって祖父のことは聞くのですが、今年に入ってから目を患ってしまって新聞などの書物を読むこともままならない。手術しようにも高齢であるためにリスクが高いそうなのです。唯一とも言っていい楽しみを奪われてしまった寂しさはいかがばかりなものか・・・。
元気なうちに子・孫・曾孫一同集まろうという話が去年の冬頃に出たのですが、跡取りの伯父の家の事情(病気)のために流れてしまいました。
孝行したいと思った時には親はいない、なんて言葉はありますが、このまま時が過ぎて手遅れになる前に、今月の休みの日にでも会いに行きたいと思っています。




今回はid:kapibaraさんのエントリーに触発されて書くことができました。
kapibaraさん、ありがとうございました。


そして気がつきゃこれが300日目のエントリになるのでした。

*1:剣聖・上泉信綱を出した上州は剣道が盛んだった