8期・3冊目 『昭和は遠くなりにけり―時の回廊』

内容(「MARC」データベースより)
時空を跳躍する途方も無い超能力を持ち、恋人の面影を胸に、昭和という時代を経巡った記憶喪失症の男の物語。アニメ脚本、劇画原作を多く手がけてきた著者が、正面きってSFに取り組んだ長篇小説。

昭和29年に日本を襲った台風15号によって函館沖にあった青函連絡船・洞爺丸が転覆、多数の犠牲者を出したそうですが、救出されて医療施設に収容された中に記憶喪失の男がいたという出だし。
諸々の知識や技能は覚えているものの、自分自身のこととなると名前からして一切思い出せない男は鈴木太郎として放送が始まったばかりのテレビ局で働くことになる。
そこで駆け出しの女優・野末速美と出会って恋に落ちてしまう。
黎明期のテレビ業界で出世した太郎は速美と公認の仲になるが、過去が不明なために今一つ踏み出せないでいる。もし自分に妻子があったり、最悪犯罪者であったら、と。
ある日、ドキュメンタリードラマ撮影のために速美らと名古屋にロケで出かけた先で台風に遭遇。高潮で遭難した衝撃で太郎は時を超えてしまう。


昭和の郷愁溢れる時空SFと言えましょうか。タイトルが巧いですね。
もっとも戦中生まれの筆者と十代後半で平成を迎えた私とは世代が離れすぎて昭和に対するイメージにだいぶ隔たりがあるようで、作品内で書かれた時代(戦前から高度成長期前まで)は過去として捉えようがないです。でも各時代の雰囲気はよく伝わってきましたね。
この中では、主人公は命に関わる災害・事故のたびにタイムスリップして記憶を無くしてしまうのですが、いずれも速美およびその母・響子に関わりその危機を救うタイミングが関係するようです。
整理しますとこんな順番で進みます。
洞爺丸台風(昭和29年)・鈴木太郎
伊勢湾台風(昭和34年)⇒(昭和9年)伊藤次郎
⇒自動車事故(昭和12年)⇒(昭和20年)加藤三郎
※言及されているだけだが、明治時代にもタイムスリップして四郎と名乗っていたらしい。
加藤三郎の時に出会った十時家の家族によって、ようやく主人公のルーツとタイムスリップの謎が明かされます。
それ以降、歳が違う主人公自身が二人存在するまま進んでしまって大丈夫なのか?という点。
レールに沿って行動してきた三郎が最後にそこから外れたために太郎の運命が大いに変わってしまった点。
そのあたりがちょっと気になったのですが、あまり深く考えない方がいいのかもしれませんね。
切なくもきれいなラストで〆られましたが、時代に翻弄されながら最後まで速美と響子のために命を張って生きてきた太郎(=次郎=三郎)の人生を思うとちょっとやり切れない思いも残りました。