7期・41冊目 『白い闇』

白の闇 新装版

白の闇 新装版

内容(「BOOK」データベースより)
それは、ある日突然始まった。ある男性が、視界が真っ白になる原因不明の病にかかったのだ。「白い病」はつぎつぎと国じゅうの人に感染していった。「なにも見えない」「だれにも見られていない」ことが、人間の本性をむき出しにし、秩序は崩壊する。世界は瞬く間に生き地獄と化していった。しかし、ただひとり目の見える女性がいたことで意外な展開を迎える…。ノーベル賞作家の世界に衝撃を与えた哲学的寓話。

ある日、車で信号待ちしていた男性が「目が見えない」と訴える。
親切にも彼を家まで送って行った男(実は車泥棒)、男性の妻、連れて行った先の眼科医とそこにいた人々。またたく間に視界が真っ白になって見えなくなる病気が広まっていきます。
何しろその病気は原因不明の上、少し近づいただけで空気感染してしまうことしかわからない。政府はとりあえず罹患した人々の隔離のために使われていない精神病院に収容されることになったのですが、軍によって徹底した封鎖がされていて体のいい監禁状態と言っていい状態です。
生活上の援助が皆無な中で視力の無い者たちばかり集まったら一体どうなってしまうのか?目が見えている時は当たり前だった生活を徐々に失っていく様が生々しく描かれていきます。
たまたま最初に収容された人々は眼科医を通じてちょっとした顔見知りだったこと。そして実は唯一視力を失っていない医師の妻*1の気配りなどにより、多少は理性を保っているのですが、やがて食糧遅配によって生じた病院内の争いに巻き込まれていきます。
やがて発生した火事によって人々は病院から自由を得て街に出ていくのですが、そこはもはや彼らの知る世界ではありませんでした・・・。


現代の生活は何にしても目が見えることが前提となっています。
現実においても何らかの理由で視力を失った人が暮らしており、それは本人の時間をかけた努力や周囲の見える人のサポートがあって成り立っているのでしょう。
しかし突然誰もがみな視力を失ってしまったら?
乗り物は捨てられ、経済や文化的な活動は一切停止。
電気もガスも水道も止まり、どこもかしこもゴミや糞便で溢れ、放置された死体は野生化した動物に喰われる始末。
人々の住まいも持ち物も一定せず、ひたすら食糧とねぐらを求めて彷徨い歩く(通常の歩行では転ぶ心配があるので、何かを探す時は動物と同じ四つん這いが安心となっていく)。人間が野生化したらこうなるのかというような見本市です。
しかも個性や家族の繋がりさえ失われ、客観的に見てそれまでの生活から比べれば地獄と言っても過言ではありません。
といっても人間には適応力があるわけで、そんな中でも多くの人々が生きており、ある老婆のように自宅庭を菜園にして家畜を飼って暮らしていたりします。
むしろ辛いのはそれらが見えている一人の女性でしょう。視力があるということは、見たくも無い風景を見なくてはならない。そしてその重さは読者も共有せざるを得ません。


実は括弧も改行もない口語体で綴られる長編であって、最初はとっつきにくく感じたのですが、これが意外と読みやすく、すんなり作品世界に入り込めるようになっているのです。
読んで一旦閉じるたびに自分には視力があったことに安心してしまうほどその記述は迫真に迫るものがありました。
ちなみに世界中の人々が視力を失くすという設定で思い出すのは、『トリフィド時代―食人植物の恐怖』。もっともこちらは少数ながら視力を保っている人々が集団を導いていくのと、突然変異のトリフィドが脅威として存在することから、次第に人類の存続の問題として描かれてゆくのが大いに違います。
ただ、視力というただ一つの機能を失うことで人類がそれまで築き上げてきた文明社会や集団生活で生きていく上でのルールや道徳といったものが脆くも崩壊していくというのは共通しています。
そういったものが崩れ去った世界で顕れる人間の本質だったり抱く感情といった面で深く掘り下げて読ませてくれるのは本作の方ですね。

*1:いずれ視力を失うならば夫と離れないよう自ら進んで嘘の申告をした