腹に水がたまって妊婦のように膨らみ、やがて動けなくなって死に至る――
古来より日本各地で発生した「謎の病」。原因も治療法も分からず、発症したらなす術もない。その地に嫁ぐときは「棺桶を背負って行け」といわれるほどだった。
この病に立ち向かうため、何人もの医師や住民たちが奮闘を始める。そして未知の寄生虫が原因ではないかと疑われ始め……。のちに「日本住血吸虫症」と呼ばれる病気との百年以上にわたる闘いを記録した歴史的名著。
地方病としての日本住血吸虫症。
個人的にはかつて山梨県に蔓延していた病であり、水田に生息する淡水貝を媒介として広がっていた病気らしい。それくらいの認識でした。そこで改めて本書を手に取って読んでみました。ちなみにWikipediaにものすごく読み甲斐のある記事があると知られていました。
冒頭に分布図があり、日本国内では山梨県の甲府盆地一帯(笛吹川と釜無川の流域)に広がっていますが、山梨以外にも広島県・岡山県に流れる高屋川流域、福岡県・佐賀県の双方を流れる筑後川流域域が主な感染地であったことを初めて知りました。*1
医学的に日本で根本的原因が発見されたために日本と冠していますが、実は中国大陸やフィリピン、インドネシアなど、同様の感染症が広まっていたようです。
山梨県において、腹部が大きく膨らむ特徴から「水腫脹満(すいしゅちょうまん)」と呼ばれたこの病は古くからあったと推測されます。近世初頭に記されたとされる『甲陽軍鑑』に武田方の武将・小幡昌盛が腹部が大きく膨らむ病に罹り、もはや歩行もままならなくなって、主君である武田勝頼への挨拶に近習を遣わせた記録が残っていました。
水腫脹満とはいったいどのような病気なのか。初期症状として発熱、下痢程度であり、そのまま治ってしまう人もいたようです。しかし、症状が進行すると、手足が痩せ細り、皮膚は黄色く変色し、やがて腹部が大きく膨れ、介護なしでは動けなくなって死亡するという恐ろしい病気。個人差ありますが、年単位でゆっくり進行していったようです。本書にはかつて撮影された3名の写真が掲載されています。健康的な成年男子と比べて、病に罹った者は体も小さくて、まるで子供のよう。進行過程で深刻な成長阻害に見舞われるのが特徴です。
長らく謎に秘められていた水腫脹満については、明治時代に西洋医学が入ってきてから研究の端緒につきました。
解剖してみれば、体内の様子がわかる。『解体新書』の通り、江戸時代学においても解剖(腑分け)はされてきましたが、それは刑に処せられた死体のみ。当時の常識からしてみると、手術の開腹はもとより、たとえ死んだ後でも腹を裂かれるのは大きな抵抗がありました。
しかし、ある農婦が勇気をもって死後の献体を言い出したことにより、初めて解剖が成されることに。
すでに糞便検査にて寄生虫の卵らしきものが発見されていましたが、解剖によって今までにない大型の卵が肝臓および門脈(血管)が発見されました。これによって寄生虫によるものと確定されました。
近代医学の整備が進められていった中、少しずつ解明が進み、やがて日本住血吸虫の発見に繋がります。
しかし、それがどのように人に感染し、害を与えていくのか。そこからが長く、およそ100年に及ぶ闘いであったことが克明に記述されています。
重々しい内容が淡々と事実が述べられていくのですが、かえって引き込まれてしまいましたね。
数々の実験を繰り返し、医療に携わる人々の地道な研究と努力によって、日本住血吸虫を媒介しているのは小さな淡水貝(発見者の名前からミヤイリガイと命名)であることがついにわかります。ミヤイリガイの中で日本住血吸虫は人の皮膚に侵入できるだけの大きさに成長していたのでした。
ようやく感染経路が発見されたことで治療と予防にも手が付けられるようになったのですが、そこからが大変でした。人体に極力害のない方法で寄生虫を殺していかなければならない。
そして、水の中に直接肌を浸けてはいけない。常時水に浸かって作業する農民、水遊びする子供に患者が多いことから水に対する注意と対策が必須でした。しかし、当時は川の水や水田は生活に根付いているために遅々として進まなかったようです。
それでも、官民一体となった地道な啓蒙努力がなされていきました。その背景には長年不治の病に苦しめられていた歴史があって、なんとか克服したいという願いがありました。
また、ミヤイリガイの撲滅については、まず石灰の散布。水路のコンクリート化が有効でした。とはいっても対象範囲は広く、費用もかかることから太平洋戦争を挟んで長い年月をかけて行われたようです。
根本的な対策が行われるようになると、患者や死亡者数は減少していきました。そこには戦後のGHQ*2による指導や高度成長期の複合的な環境的変化も伴っていました。
日本国内における最後の感染者は1978年(昭和53年)。80年代では人だけでなく動物の感染も認められなくなり、長い闘いに終止符が打たれました。
もっとも、本書では日本では撲滅できても、中国やフィリピンにおいて広範囲に同様の感染症が広まり、対策に苦慮している様子が描かれています。
結局、日本住血吸虫症は国内においてミヤイリガイは山梨県の甲府盆地、その他一部の河川流域にしか生息地してなかった謎が残ったまま。ホタルと同様にきれいで流れが緩やかな水にしか生息できないため、わずかな数しか生き残っていません。時代が変わり、かつての流行地においても若い世代はそのような病気によって苦しめられたことなど知らないままです。私自身も本書を取るまでは詳しく知りませんでした。
医学の発達によって撲滅された病気には、大勢の人々の長年の努力があった。日本住血吸虫症はその一つだとうかがい知れました。
それに子供の頃に行われた予防接種にはかつて流行し苦しめられた病気の予防と早期発見の意味があるのだとわかりますね。