7期・8冊目 『長宗我部』

長宗我部

長宗我部

内容(「BOOK」データベースより)
四国統一の覇者土佐山内政権下での「下士」への転落。秦の始皇帝を遠祖とする渡来人一族の二千年にわたる大いなる血脈の栄光と挫折を描いた第一級の書下ろしノンフィクション。

個人的に二十代頃から気になるようになった戦国大名が元親を始めとする長宗我部氏*1です。
以前から好きだった坂本竜馬との土佐繋がり(幕末に活躍した土佐の志士の多くは下士郷士と呼ばれた身分の低い長宗我部以来の侍たち)に加えて、山深き土佐から出て四国の覇者としての栄光、その後いくつかの戦を経て転落していった歴史がなんとも惹かれるものがあったと言えましょう。
そんな長宗我部氏の歴史を子孫である筆者みずから綴ったのが本書となります。


遠祖を始皇帝とする渡来人・秦一族が秦河勝を始めとして中央で活躍していた時代。
時代は下って保元の乱にて崇徳上皇側についたために敗れて土佐の長岡郡・宗我部の地に流れ着いた秦一族の一人・泰能俊が長宗我部を名乗って地盤を固めつつ中央との繋がりを維持した時代。
応仁の乱を幕開けに戦国時代に突入、周囲豪族との争いの中で兼序の代に長宗我部家を襲った悲劇と国親による再興。
そして中興の祖・元親による四国統一。
秀吉との戦いに敗れて土佐一国に逼塞した後、戸次川の戦い*2における嫡男・信親の死。盛親による相続と秀吉死後のごたごたによって国を失っていった転落への道。
元親の弟(国親四男)である親房の子孫が、長宗我部の名を島と変え、土佐の主となった山内氏に仕えて忍従の時代を過ごした江戸時代。
そして幕末・明治になってようやく長宗我部の名の復活と秦神社建立と元親正三位贈位と立て続けに晴れやかな出来事が続いた現代という流れとなっています。


元々長宗我部氏に興味あった自分としては戦国時代の記述は特に新鮮な部分はありません。あえて言えば戸次川の戦いにおける仙石秀久の動きを十河・長宗我部らを始末させるための謀略*3と書いているのがユニークだったけど、そういう手管はちょっと秀吉らしくないですねぇ。
どうしても敗者の歴史ゆえに信頼できる史料が少なく、後世書かれた史料と想像で補っている部分があって、そこが不満でもあったりしました。
大阪の陣で敗れて土佐に帰った親房の子・五郎左衛門(親典)があえて山内家に出頭したのは一つの賭けであったのでしょう。
山内氏入国後の土佐は長宗我部が残した一領具足たちの反乱が相次いでいた頃で、そんな中で長宗我部一門に連なる者を処刑するよりはお家に仕えさせた方が得策という事情があったのではないかとしています。
そういった本流断絶後、長宗我部の家系を残すための隠忍自重の様子は通常は知りえないもので、子孫ならでは貴重な史料を用いた記述がとても興味深かったですね。
本格的な歴史書とは言えませんが読みやすい概要的な内容で、長宗我部を知るには適した書だと言えます。

*1:「ちょうそかべ」、あるいは「ちょうそがべ」。

*2:漫画『センゴク』でどう描かれるのかがきになるところ

*3:秀久追放後に復活したのも含めて