- 作者: ウィリアム・ゴールディング,William Golding,平井正穂
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1975/03/30
- メディア: 文庫
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出版社/著者からの内容紹介
南太平洋の孤島に、飛行機で不時着した少年たち。だが、その島で野性にめざめた彼らは殺りくをくり返す…。極限状況の中の新しい秩序とその崩壊を通して、人間と社会のあり方を風刺する恐怖の寓話。
中学の時に読んだ『十五少年漂流記』がやはり自分の中では漂流ものの原点。細かい部分は憶えていないものの、無人島における集団生活の中で仲間内の対立や自然の脅威といったいくつもの危機を乗り越えていく展開に大いに心を揺さぶられたものです。
それに対してこの『蝿の王』はバッドストーリーとも言える作品。
理性を保ち秩序ある行動を訴えるリーダー(ラーフ)は次第に孤立し、自分勝手で享楽的な行動を取る少年(ジャック)の方が勢いを得ていく。
ある意味大人の方が本心をオブラートに包んで表現する術を知っているのに対し、子供達の方がストレートな表現でかつエスカレートしやすい面を如実に表していますね。*1
解説にある通り、「蝿の王」とは悪魔「ベルゼブブ」のことです。
元はオリエントの豊穣の神であったのが、キリスト教解釈では邪悪な魔王とされ、作品の中でもジャックが切り落とされた豚の頭(元は恐怖の獣*2への捧げ物)に蝿がたかっている様が悪の心の象徴として描かれています。
小心ではあっても理性的な心を持つ少年・サイモンがその心の内の「蝿の王」との対決、そして獣の正体を喝破したところで、少年達は落ち着くかと思いきや最悪の結果となってしまう。まさに正義から悪に傾いていくことを象徴させているのかのようです。
もっとも狩りと自衛本能に目覚めたジャック達の行動を見ると、正義と悪というよりは、理性と本能、あるいは秩序と混沌という構図の方がふさわしいかもしれません。
猛暑の無人島での生活では、『漂流記』よりも『蝿の王』のような事態の方が現実味ありそう、と思うのは性悪説すぎるでしょうか。