21,22冊目 『双頭の鷲 上・下』

双頭の鷲〈上〉 (新潮文庫) 双頭の鷲〈下〉 (新潮文庫)
作者: 佐藤賢一
出版社/メーカー: 新潮社
発売日: 2001/06
メディア: 文庫

中世フランスの人物と言えば?と聞かれて、一般的な人がすぐに思いつくのはまずジャンヌ・ダルク。あとはせいぜいシャルル●世とかルイ●世なんて名前が浮かぶ程度でしょうね。あ、『ベルサイユのバラ』を見ていた人なんかはまた違うか。


歴史上、日本や中国と比べて、西洋系の名前の方が種類でいったら少ないはず((元は同じでも言語で変化する場合はありますが。例:チャールズ(英)-シャルル(仏)-カール(独)-カルロス(西)))なんですが、どうも覚えられないというか、印象に残らないんですよね。
それは私が西洋史をもっと知りたくなってしまうような作品を、日本・中国史に比べて読んでいないからだと思います。
そんなわけでこちらも以前、はてな人力検索でお薦めされて、期待して手にとってみた作品です。


この作品に出会うまでベルトラン・デュ・ゲクランなんて人物は全く知りませんでしたが、登場からしてその容姿・言動に度肝を抜かれ、そして読んでいくうちにすっかり魅了されてしまいました。

「わりぃ、わりぃ、遅れたな。金玉かいてて、手が放せなかったんだ」
 それは奇妙な顔の男だった。有無を言わさず、人の目という目を引きつけるや、直後に強烈な印象を叩き返す。圧倒されるとは、このことだろうか。なんとも灰汁の強い面構えは、まさしく丸ということができた。

これがただの戦上手な武将というだけでないんです。
喧嘩は滅法強く、がさつで粗野な言動で権威に畏れを抱かない乱暴者かと思えば、まったく憎めない笑顔を見せて、つい周りがおせっかいを焼きたくなるいつまでも子供みたいな男。
更に、この人と決めたらとことん尽くす忠義の人でもあります。
仇敵イングランド軍を破って、フランスに久しぶりの勝利をもたらせてというだけでなく、その性格を偲ばせるエピソードでも庶民の人気者であったというのはうなずける話です。


それでも貴族社会の世ですから、成り上がりを妬まれるのはもう当たり前。
戦争の時に大貴族達の妨害に遭って、捕虜に取られる羽目にも合いますが、王とか教皇という至高の立場の人には何かと頼られる不思議な人物でもあるんですよね。
生涯を通じて仕える主君であるシャルル5世との出会いもいい。革命騒ぎで孤立し、命さえ脅かされていた王太子の元にいきなり押しかけたベルトラン・デュ・ゲクランは、子どもの頃に聞いた預言の象徴である百合の花(フランス王家の紋章)を見て勝手に仕えることに決めてしまいます。

「おう、俺はあんたに仕えるぜ」「仕えてくれるというのか。この私に・・・・・・。」
頑丈な歯を剥き出して、デュ・ゲクランは大きく笑った。この男は信じられる。全ての理性を狂わせながら、乱暴な直感が走ったとたん、小さな音が弾けていた。若者の心の中で、最後の金具が砕けて外れた音だった。仕えてくれるか。この私に仕えてくれるのか。繰り返した王太子シャルルは、直後に泣き崩れていた。


ベルトラン・デュ・ゲクランを無理やり日本史上の人物に例えるとすれば、誰が近いでしょうか?
正規の武士階級ではないにも関わらず重用されたことに報いる為に忠誠を尽くし、また独特の戦法で敵の大軍を翻弄したという点で楠木正成に近いのか。それとも人たらしや立身出世ぶり、そして人気の面では天下を掴むまでの豊臣秀吉でしょうか。
でもある一面で似た印象を抱く人物を見つけることはできても、小説を読んでここまで強い印象を抱いた人物は珍しいですね。


内容的にデュ・ゲクラン家での親子の愛憎を中心に、幼い頃からの少年時代の経験が性格形成と判断行動類型化に重点が置かれています。
疑問が残ったのが、少年時代に反してベルトランの影に転じた次弟オリヴィエの存在です。ずっと兄を受け入れることができずに荒れた生活をしていたものの、最後の方でようやく忠実に従う有能な配下となりましたが、実は精神を病んでいたらしいです。ベルトランの死に関係したのか、また死後はどういう精神状態になったのか、気になったまま遂に明かされずに終わりました。


さて、ここまで作品が面白いと最後のエピローグも気になって読むのですが、ベルトランとシャルル5世の死後、王弟アンジュー公ルイの遠征の顛末については、とても見苦しい印象を受けました。
この人は前編では、その短気な性格から言動が危なっかしい思いで読んでいて、一種の悟りを得ることによって後半、ようやく国を支える大人物まで成長したと思っていたのに。
でも本当に最後の最後、生き残った二人の会話シーンは情緒的な余韻を残して良い雰囲気で幕を下ろします。


尚、解説では「司馬遼太郎の戦国小説を読んでいるような面白さが云々」とありますが、別に司馬作品が好きでであろうがなかろうが、あまり関係ないでしょう。いや、私は司馬良太郎好きですけど、世の中にはそうでない人もいると思ったので。
先入観無しで読んだ私は充分最後まで楽しめました。