6期・17,18冊目 『徳川の夫人たち(上・下)』

徳川の夫人たち 上  朝日文庫 よ 1-1

徳川の夫人たち 上 朝日文庫 よ 1-1

徳川の夫人たち 下 朝日文庫 よ 1-2

徳川の夫人たち 下 朝日文庫 よ 1-2

最初は大奥ブームの火付け役という印象を持って読んでみたのですが、良い意味で裏切られましたね。いわゆる女同士の仁義無き戦いのイメージとは全く別ものです。
「夫人たち」としてこの時代、有名な春日局を始め、お江与(秀忠正室)に鷹司孝子(家光正室)や天樹院(家光姉・千姫)それに男子を生んで「お腹さま」と呼ばれた女性たち(綱吉母の桂昌院など)も登場しますが、ここではもっぱらわずかな史実しか伝わっていない家光側室お万の方(永光院)の生涯を筆者の着想と細かな歴史検証を持って描ききっています。
お万の方とは六条家出身で早いうちから才女として名高かった少女が自ら出家し、伊勢慶光院院主跡目相続で将軍家光に拝謁した時に見初められ、強制的に還俗させられ側室になり、子は為さなかったものの長らく寵愛を受けた女性。振袖火事(明暦の大火:1657年)の際に家光正室と共に小石川の無量院に避難したとあるので、家光死後も大奥になんらかの関わりがあったようです。


大奥と聞くと将軍の寵愛を得るための女同士のドロドロした争いやら嫉妬や妬みが渦巻く何やら恐ろしげな印象を勝手に浮かべてしまうもの(もちろんそんなのはいつの時代もどこの組織にもあったでしょうが)。そういった面よりも上品に当時の女性たちのこまごまとした世俗を描き、その文章からは伽羅の香りや華麗な衣装・装具が目に浮かぶよう。
そして最高の美貌と教養を備え、尼僧から将軍側室という運命の変転によって人生に対する一種の悟りを持つお万の方が、将軍や大奥の女性たちに影響を及ぼしていくといったところに特色があります。


権力者随一の寵愛を得るとなると、その権力をも我が物として国を傾けていった女性は歴史上、いくらでも挙げることができます。しかしこの中で描かれるお万の方はまったく違うのです。
すでに正室として同じ公家出身で事情あって冷遇されていた鷹司孝子がいたのですが、お万の方は自分よりも孝子の境遇を想い、その弟を重用させるように嘆願したり、中元歳暮の供物を匿名で正室宛に送ったり。*1
それでいて家光が他の女性に手をつけるとなると、その間は自分は控えさせてもらおうという潔癖さを発揮しながらも、自分が子を為せないとなると京から若い女性を大奥へと呼び寄せ、大奥総取締としての献身を選択する。結果、家光とは性的な面よりも、精神的な結びつきを得たとします。
それは次の一文に表れていましょう。

家光には彼女が女のなかのただ一人の心を託す愛人にして、母にして、かつ久遠の女性であった。

お万の方は誰もが抱くような嫉妬や妬みといった負の感情を超越しており、老中はじめ男性陣からは良妻賢母としての敬意を得、大奥の女性にとっては美と知を具現した憧れのお姉様という一点の非も無い理想の女性像です。



むしろお万の方の人間的な弱さが垣間見えるのがお付き女中である藤尾との会話でしょうか。
二人の仲は尼僧から大奥へという劇的な境遇の変化があった頃からの付き合い。ただひたすらお万の方が将軍の寵愛を得ていることを無上の喜びとする藤尾と、彼女の前だけではふっと本音を漏らすお万の方とは、ただの主従とは違って御伽噺の姫とばあやを見るようで面白かったです。
大奥から離れてもずっと一緒だった二人にとって唯一の不信の種が鷹司孝子弟の信平の存在でした。たまたま藤尾がお付きから離れて年寄役となっていたことと、大奥の中でのタブーである他の男性への恋慕だったために致し方ない面もあるのですが、最後の最後になってそれが明らかになり、完璧すぎるお万の方が心の隙を見せなかったことによって心傷ついた藤尾がそのまま病で逝ってしまうという悲劇を見せたのでした。

*1:正室の方は始め誤解していたが、後にそれが解けて無二の親友となる