4期・81〜83冊目 『ローマ人の物語(32〜34)』

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)

ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))

ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83))

ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84)

1年くらい積読状態でしたが、去年末から読み始め、年をまたいでようやく3巻読了しました。

32巻 内容(「BOOK」データベースより)
建国以来、幾多の困難を乗り越えながら版図を拡大してきた帝国ローマ。しかし、浴場建設で現代にも名前を残すカラカラの治世から始まる紀元三世紀の危機は異常だった。度重なる蛮族の侵入や同時多発する内戦、国内経済の疲弊、地方の過疎化など、次々と未曾有の難題が立ちはだかる。73年の間に22人もの皇帝が入れ替わり、後世に「危機の三世紀」として伝えられたこの時代、ローマは「危機を克服する力」を失ってしまったのか。

今回読んでいて目についたのが皇帝がめまぐるしく変わったこと。29〜31巻で書かれた2世紀後半の約50年間では6人の皇帝が登場。うちコンモドゥス死後に並立してすぐに殺された二人を除けばいずれも10年以上の治世を行っていて、比較的安定していました。
それが3世紀に入ると73年の間に22人もの皇帝が入れ替わり、ほとんどが3年以内で強制的に代替わりをさせられているのです。目についたのが遠征中に現場の意思を無視して自己都合な指示を行い、軍団兵士たちの不満が爆発して殺される皇帝たち。皇帝と言えども市民の意思に適わなければあっさり退場させられるのがローマ帝国の特徴で、オリエントの専制君主とはまた違うのが興味深いですね。
しかも代が変わっても良き政策は継続されていた以前と比べて、この時期は先帝の方針をまるきり変えてしまうために長い目で見るとなんとも安定しない。
外を見れば新興国ササン朝ペルシアと強大になったゲルマン民族の侵入があり、以前と同様の対応を取りつつもローマらしさが失われつつあることがわかる記述で、危うさが目に付いた時代でした。

32巻 迷走する帝国(上)

3世紀冒頭の皇帝はカラカラ帝に始まります。この人は短気*1で浅はかな部分はあるものの、かつての良き時代の皇帝に倣おうとしていた印象はしますね。特に軍事に関しては相当能力があってゲルマン人対策ではかなりの効果を上げ、更に一般兵士と行動を共にする気さくな人柄で、兵士からの人望も厚かった。
実績として、カラカラ浴場の建設の他、全ての国民にローマ市民権を与えるというアントニヌス勅令が有名です。当初は良き法案と思われても長期的に見れば社会から活気を失わせる結果となったことが解説されていることで、将来を見通した政治の難しさを感じます。
パンティア王国との戦後処理でつまづいたカラカラ帝の死後、跡を継いだマクリヌス帝、ヘラガバルス帝といずれも短期間の内に登場しては退去させられ、ようやくアレクサンデル帝の代になって少し落ち着きます。国外が落ち着いていたことと良き補佐役に恵まれていたという幸運に恵まれて前半の内政は五賢帝時代に劣らないほどの内政を実施したことは評価されています。しかし前半で運の良さを使い切ってしまい、自ら軍を率いてゲルマン人の撃退に向かった際に決断力の無さを露呈して殺されてしまうのですが。
不満を抱いてサボタージュを働いた兵士たちに対する対応がカエサルの時と比較されているのが面白い。ここでもまたカエサル出してくるかって思いましたけど。

33巻 迷走する帝国(中)

カラカラ帝の血筋が絶え、軍人皇帝が続く時代。
そもそもローマ帝国においては、シビリアンの最高府である元老院に属する人物でも属州総督など各地で軍務を経験していたし、ゲルマン人や大国パルティアのような強大な敵には皇帝が自ら親征するのが当たり前であった。そのように軍事経験を持つ政治家ではなく、叩き上げの職業軍人である軍団長が兵士に推されて皇帝を名乗って争うこと自体乱世が近づいてきていると言えそうですね。でも何度もそういう事態を経験しながらも持ち直すのがローマ帝国の不思議さですけど。


このころ顕著になってきたのが外敵の変化に加えてキリスト教の台頭。今までのイメージでは最初は危険思想として弾圧していたのが、キリスト教徒の増加によってついには認めざるをえなくなったのかと思っていました。しかし、実際は様々な宗教を認めるという意味での多神教でのローマではキリスト教自体は禁止対象ではなく、むしろ治安を乱す危険団体として司祭などの幹部クラスが刑に処せられていたことが新鮮でした。*2破防法」という言葉で比喩されているが象徴ですね。現代でいうオウムみたいなものだったのかと。
後年のキリスト教側の文献が記されているのですけど、それによって作られたイメージというのが大きいのでしょうねぇ。

34巻 迷走する帝国(下)

目まぐるしく変わる軍人皇帝と次第に大掛かりになってくる蛮族(ゴート族)の襲来の時代。なんと言っても軍事や人材登用で功績をあげたはずのウァレリアヌスが、東方の新興国ササン朝ペルシアとの戦いで敗れて皇帝として初めて囚われ帝国としての権威が地に落ちたのが大きかったことが述べられています。
結果的に皇帝僭称の将が増えたのもそうですが、ガリアとパルミラの独立による帝国三分状態、そして一層勢力を増した蛮族が帝国内に襲い掛かって、以前より長期に広範囲に暴れまくる。そのため、帝国の人民も経済も疲弊していく・・・。
もう、いつ崩壊してもおかしくないと思われたのですが、その後軍人としては優秀な皇帝たち(クラウディウス・ゴティクスやアウレリアヌスなど)によって、軍事的な脅威は鎮められるものの、もはや帝国が昔日の勢いを失っていっているのは明らかでした。


その影響を著者は通貨の劣化やインフラの崩壊による疫病の蔓延など記していますが、なんといっても最後の章にてキリスト教の興隆の原因について考察しているのが興味深いです。
前巻ではまだ弱小教団のイメージであったキリスト教。それがローマ帝国の落日と反比例するように勢力を増していったのはなぜか?
そこを母体となったユダヤ教との比較によるキリスト教側の現実的な側面、そして社会的に必要とされるようになった経緯をわかりやすく解説されているのが非常に良かったです。こういう宗教的側面は、当時の社会的背景や人々の心理状態抜きには語れないことが改めて思い知らされました。

*1:弟殺しやそのことを揶揄した市民虐殺など

*2:しかも処罰人数も少なく、全然弾圧というものではない