76冊目 『額田女王』

額田女王 (新潮文庫)

額田女王 (新潮文庫)

一般的には額田王(ぬかたのおおきみ)と言われる方が多いのではないでしょうか。
天智天皇期の有名な歌人の割には、その人生については史料が少なく、ミステリアスな部分がだいぶある女性です。
壬申の乱や天智・天武というより中大兄皇子大海人皇子との確執に興味ある私としては、その両人との三角関係を問い沙汰される人物に興味を抱いたわけです。


率直に言いますと、異説は排して、素直に史料通り書かれた正統派の古典小説と言う感じで外れではないものの、若干退屈さというか物足りなさを感じました。
というのも額田王を、朝廷直属の神に仕える巫女的な役割としているからかもしれません(それはそれで説得力はあるのですが)。


神の声を聞く為には、俗世間の女性のような愛憎から離れた位置にいなければなりません。作中でも「体は与えても心までは与えない」と本人が何度も明言し、後宮に入らず自由な立場で終始しています。
よって政治向きの話はどうも中途半端です。半島出兵だけでなく相次ぐ遷都や大規模工事によって、悪評のある天智天皇期について鬼火(不審火)や民衆の噂といったエピソードはたくさん出てきますが、もっと深く突っ込んだ見方が欲しかった気がします。
例えば、天武天皇の皇后・鸕野讚良(うののさらら:後の持統天皇)の立場からすれば、もっと波乱のある物語になったかもしれませんね。


逆に良かった点としては、古典でもお馴染みの有名な歌を作る場面はよく描写されていて歌に馴じんでいます。額田王がどんな心情で歌ったのかがよく理解できました。


いくつも歌の場面は描かれていますが、有名なのを引用しますと、

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出(い)でな *1

船団出発の高揚感がよく伝わってきます。
日本の国運をかける中大兄皇子の心まで入り込んで歌ったとしていますが、どうも本作の額田王大海人皇子よりも中大兄の方に惹かれていたような印象を受けました。

あかねさす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖振る *2

鑑賞によると、中年男女のユーモアと艶やかさが混じった歌のようですが、作中で読むと当事者3人しかわからない危うい男女のバランスを感じますね。


歌の通釈と鑑賞は下記サイトの「額田王」の項より引用しました。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin.html

*1:【通釈】熟田津で船に乗ろうと月の出を待っていますと、月が出たばかりでなく、潮も満ちてきて、船出に具合がよくなりました。さあ、今こそ漕ぎ出しましょう。 【鑑賞】暗い海路に月の光が射し、潮が満ちてくる情景を前に、困難な航路へと旅立ってゆく人々を鼓舞し勇気づける、作者の凜々しい姿を想い浮かべずにはいられない。「あかねさす」の歌と共に、額田王の代表的名作であるばかりでなく、初期万葉のシンボル的な傑作。

*2:【通釈】紫草の生える野を、狩場の標(しめ)を張ったその野を行きながら、あなたは私の方へ袖を振っておられる。野の番人が見ているではございませんか。 【鑑賞】大海人皇子の応じた歌は、「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」この二首が相聞の部でなく、雑歌の部に分類されていること、また題詞には「額田王の作る歌」とあって、「贈る歌」とはなっていないこと等から、額田王大海人皇子個人に向けて思いを伝えた歌でなく、宴などでおおやけに披露した歌と思われる(宴で詠まれた歌は「雑歌」に分類するのが万葉集の常道)。そのような見方に立つ一つの読み方として、池田彌三郎『萬葉百歌』から引用すれば、「これは深刻なやりとりではない。おそらく宴会の乱酔に、天武が武骨な舞を舞った、その袖のふりかたを恋愛の意思表示とみたてて、才女の額田王がからかいかけた。どう少なく見積もっても、この時すでに四十歳になろうとしている額田王に対して、天武もさるもの、『にほへる妹』などと、しっぺい返しをしたのである」。