横山信義 『蒼洋の城塞3』

蒼洋の城塞3-英国艦隊参陣 (C★NOVELS)

蒼洋の城塞3-英国艦隊参陣 (C★NOVELS)

内容紹介

第二次珊瑚海海戦に勝利し、豪州の要衝ポート・モレスビーを攻略した日本軍。大きく戦力を落とした米国に対し、山本五十六は早期講和を申し出る。しかし、米国はこれを拒否。モレスビー近海の日本軍補給線への攻撃を続行した。さらに豪州の戦況を受け、ついに英国が対日参戦を決定。最新鋭戦艦「キング・ジョージ五世」「デューク・オブ・ヨーク」を擁する英国M部隊と、「金剛」「榛名」、そして「大和」が激突する――!

鉄壁の守りを誇る皇国を描くシリーズ第3弾。

前巻、第二次珊瑚海海戦における機動部隊同士の海戦にて日本軍が勝利を収めた結果、米軍の稼働空母は0となりました。*1
ポートモレスビーへの補給もなんとか継続されて、やっと航空基地が稼働。
オーストラリア本土への航空・水上攻撃も行われ、連合国からの離脱の可能性も見えてきたところでイギリスはキングジョージ5世級戦艦の2隻、巡洋戦艦正規空母2という強力なM部隊を派遣。
M部隊の役目は本国はオーストラリアを見捨てないというポーズだけでなく、離脱の気配を見せたら恫喝するという裏の使命もあったようです。*2

そして、オーストラリア北東岸をめぐる航空戦はアメリカが距離の関係で零戦が護衛できる時間が充分に取れないことやP-38の投入で一式陸攻の損害が増えてしまいます。
また、ポートモレスビーへの補給船団への攻撃も無視できないほどになるなど、日本が恐れていた消耗戦の状況になっていきます。
日本軍の攻撃先が基地から補給船団へとシフトしたことにより、米軍も護衛空母を繰り出し、ここにきて補給線維持を巡る両軍主力同士の戦いへと発展していくことになっていくのでした。
GF首席参謀・黒島亀人のように「たかが輸送船に空母を」という声もありますが、潜水艦を漸減作戦ではなく通商破壊に使用したり、補給船団護衛の為に海防艦を量産するなど、この世界の日本軍は補給に対する考え方は少しはマシになっているようです。


さて、主力たる空母同士の戦いでは数に勝る日本軍が勝利を収めるも、戦果の割には機体の損害が無視できないほど増えます。
米軍の対空能力の高さや戦闘機を増やして防御に徹するといった作戦もあるのですが、やはり零戦を始めとして日本軍の機体は優秀だが撃たれ弱いというのが大きな原因。
今後は物量を増やして相手に日本軍がどう対応するかが気になるところ。
そして、大規模輸送船団を撃滅するために日本軍は戦艦大和と金剛・榛名を主力とした部隊を派遣。
アメリカの新鋭戦艦は先に急降下爆撃で損傷を受けていたため、M部隊単独で迎え撃つことになります。

いかに新鋭艦であろうとキングジョージ5世級の主砲口径は36cm。
大和を繰り出したことにより勝利は揺るぎないものだと信じていた近藤信竹率いる艦隊司令部。
しかし先手を打たれて不運が重なり、おまけに優勢に戦いを進めていた榛名がダイドー級軽巡による小口径弾の滅多撃ちで損害を喰らうなど思わぬ展開でどうなることやらと。*3
さすがに著者は簡単に日本軍を勝たせませんね。
多くの損害を出しながらも勝利を収めた日本軍は翌日になって残余の航空部隊を繰り出して輸送船団の撃破に成功。
これをもってオーストラリア防衛のためにはるばる駆け付けたイギリスの援軍は主力の半ば以上を喪い、チャーチルに二度目のショックを与えたわけです。*4
今のところ、勝ち続けてはいても、戦争の落としどころが見えません。講和交渉も聞く耳もたないし。
物量に勝る米軍が本格的な反攻に出てくるわけで、攻勢限界に達した日本軍にとっての本当の試練はここから始まるんでしょうな。まさにタイトル回収でしょうか。
開戦からGFを率いていた山本五十六長官の勇退を含めて、いかに持久戦をこなしていくかがみどころとなっていきそうです。

*1:実際はワスプのみ巡洋艦が盾となって魚雷を受けたおかげで生き延びた

*2:ブリカスと言われる所以

*3:以前はブルックリン級でよく見た展開

*4:最初はマレー沖海戦のプリンスオブウェールズ喪失

冲方丁 『戦の国』

戦の国

戦の国

内容(「BOOK」データベースより)

『戦国』―日ノ本が造られた激動の55年を、織田信長上杉謙信明智光秀大谷吉継小早川秀秋豊臣秀頼ら六傑の視点から描く、かつてない連作歴史長編。

織田信長から始まり、豊臣秀頼に終わる戦国時代の人物を取り上げた短編集。
実は全て講談社の『決戦!』シリーズに収録されているため、私自身は半分くらい読んでいたことがありました。
そういうわけで、戦国時代に興味を持つ人ならば、すぐに思い浮かぶ有名な人物・戦を取り上げています。
それでも人物の掘り下げと独特の心情描写があって、飽きることなかったですね。
同じ日本人ではあっても、戦国時代の死生観というのは現代人には理解しづらいもの。
だからこそ、当時の謎はできるかぎり当時の感覚を考えないと理解しにくいのだろうなぁと思ったりしました。


「覇舞謡」 織田信長
桶狭間の戦い直前、あの有名な「敦盛」を謡う信長。
家老の勧める籠城戦など一顧だにせず、湯漬けをかっくらって鎧を付けさせ、単騎で駆け出すところから始まります。
昔は山中の獣道を通っての奇襲説が流布していましたが、近年の研究通りに正面から堂々と今川本陣へと突撃していきます。
圧倒的に劣勢ではあっても、信長がいかに勝ちを取るためにあがいていたか。
今川義元も決して油断してはいなかったが、天候的な不運もあって、信長がすかさずそこを衝いたのが見事だったということでしょう。
その実情が詳細に描かれています。


「五宝の矛」 長尾景虎上杉謙信
守護代・長尾家の当主・晴景は政略を得意とするが病弱で人望があまりなく、弟の景虎は生粋の武人で不敗を誇りました。
大国・越後は長らくまとまりがなく分裂状態であったものの、年の離れた兄弟が阿吽の呼吸で援け合い叛く者を潰して統一していく過程が描かれていきます。
やがて管領職を譲られて上杉と名乗りを改めた政虎(出家してから謙信)は生涯のライバルとなる武田信玄の組織的な戦術にいたく興味を示すようになるのでした。
毘沙門天の生まれ変わりとも称せられる戦の申し子・上杉謙信の独特な世界観が特徴的な作品です。
組織のリーダーとして卓越していた武田謙信に対して、謙信は天才型であったのだなぁと思わせられます。


「純白き鬼札」 明智光秀
朝倉義景のもとに仕えていた、というか燻っていたといってもいい光秀が足利義昭に従って織田家に向かって信長と運命の出会いをするわけです。
信長はおかしな仇名をつける癖があって*1、光秀がキンカンと呼ばれていたことはわりと知られているとは思います。
それは若ハゲかと思っていたのが(光秀は禿げてはいなかった)、諱からのこじつけというのが面白かったですね。
本能寺の変に至るまでの心理描写は独特ですが、変な陰謀論よりも納得がいきました。


「燃ゆる病葉(わくらば)」 大谷吉継
豊臣秀吉にその才能を見出されたものの、今でいうハンセン病にかかって、歩くのも困難になったがその頭脳は鋭敏なままであったという人物。
石田三成の盟友ではあったが、家康の器量を買っていて、最後まで三成を抑えようとするも、その強い覚悟を知ると共に戦うことを決めた。いわば人格者ですね。
そんな彼が関ケ原の戦いに臨んだ際に警戒したのが小早川秀秋の裏切り。
倍以上の軍勢を相手に踏みとどまり、いったんは押し返したものの、他にも裏切り者が出て最後は包囲された中で痛烈な最期を遂げた。
特に捻りはないけど、その生き様だけで物語の主役たる人物です。


「深紅の米」 小早川秀秋
大谷吉継の後に裏切りの張本人・小早川秀秋をもってくるとはなかなかの構成ですね。
秀吉の後継者候補ということで若いうちにもてはやされたものの、秀頼が生まれた後は養子に出されて、早くから酒に溺れた愚物という印象が強いです。
ここでは賢さを隠すことで粛清を逃れるくらいに知恵があり、世の仕組みや人の感情も理解して、早くから家康の大器をわかっていたとしているのが新鮮。
生まれた環境が違っていたら、まったく違う意味で名を遺す人物になっていたかもしれないと思える人物像でした。


「黄金児」 豊臣秀頼
最後を飾るは秀吉の後継者ではあるが、一度も大坂城を出ることもなく亡くなった秀頼。
秀吉とは別の意味で名将の片りんを見せましたが、むしろ若い偉丈夫ということが老い先短く嫡男(秀忠)を信頼しきれない家康にとっては脅威で、滅ぼされる運命にあったというわけです。
大坂城内では淀君を始めとする女性陣に牛耳られていたことが何かと悪い印象で書かれてはいますが、千姫との婚姻など一定の政治力を持っていたという視点が斬新でした。
とはいえ、いくら秀頼が優れていようが、時代の流れと家康の執念の前には才能を発揮することなく城と運命を共にするしかなかったのだろうと思いますね。

*1:子供の幼名もおかしい

まいん 『食い詰め傭兵の幻想奇譚11』

食い詰め傭兵の幻想奇譚11 (HJ NOVELS)

食い詰め傭兵の幻想奇譚11 (HJ NOVELS)

内容(「BOOK」データベースより)

各邪神の名前が明らかになり、とある知り合いが邪神関係者であることが判明する。その知り合いとは、ギルドの受付嬢アイヴィ=ブリッジガード。彼女への聞き込みから、シェーナの復活に関する手がかりが手に入り―。これは、新米冒険者に転職した、凄腕の元傭兵の冒険譚である。

前巻でマグナと激闘を演じた古代遺跡の一室は邪神の創成を行う装置が置かれており、その銘に刻まれたいた名前を知ることになったロレンたち。
そのうちの一人の姓に覚えがあったため、カッファの街の冒険者ギルドに行って確かめることにしたのですが、目的の人物が逃げ出さないよう目付を頼まれたグーラが派遣したのが色欲の邪神ルクレティア。
しかも眷属を従えて押し寄せたために現地はラピスが吐きそうになるほどの地獄絵図と化していたのでした。
ともかく、当の受付嬢アイヴィ=ブリッジガードからの聞きこみにより、ロレンの中で精神体として同居するシェーナの身体が入手できるかもしれないとのこと。
その施設を利用するにあたり、アイヴィから塩漬けとなっている依頼(音信不通となっている近くの街の調査)も受けることになり、ロレンとラピス、グーラにアイヴィも加わった4人は出立したのでした。


青い砂漠が広がる不思議な光景を見ながら辿り着いた街では門番も宿や店の主人も揃って受け答えがおかしい。
さらに炊事を始めようとしたところで、いつもロレンの肩にひっついているニグが大量の糸を吐き出して、井戸を封じ、宿全体さえ覆ってしまうのでした。
しかも夜中には街の人々が集まると、導かれるように強烈な臭いのする下水路へと入っていってしまったのです。*1
まともなのは外部からやってきた商人や冒険者くらい。
この時点で街全体に異変が生じているの確かです。
その鍵が地下の下水にありそうだということで、いやいやながらもロレンたちは潜ることにします。ラピスが作った消臭アイテムを頼みに。


依頼を受けた先で異変に遭遇→古代遺跡発見→マグナの一味を始めとする厄介な敵と遭遇して戦う→激闘の末にロレンが限界まで力を振り絞る→病院のベッドの上で目覚める。
パターン化しつつありますね。
それでも安定した面白さではありますけど。
それにしても、極めて自己中心的なマグナの行為はもはや迷惑を通り越して公害レベル。街や国が滅んでも一向に気にしないようで、結果的に尻ぬぐいというか、命に係わるほどのしわ寄せを喰らってしまうロレンたちに同情するしかありません。
他に思った点としては、ニグが有能。動物というより魔物の本能?
唯一普通の人間であるロレンが無事なのはニグのおかげでした。
それからロレン自身はシェーナを元に戻してあげたいと思っていますが、エナジードレインの威力を考えると、シェーナと離れるのはいかがなものでしょう。本人も離れたがっていないし。もっとも少女と精神的に繋がっていて、考えがばれてしまうのは男として辛いものがありますが。
ロレンとラピスがさりげなくイチャイチャするのもいいですね。
しかし、別の女性がロレンにちょっかいを出そうとするラピスの怒りが怖い。
ヒドインな上にヤンデレ風味がありそうです。

*1:現代の都市と違い、灯りがない真っ暗闇でもはぐれる者もいない

壬生一郎 『信長の庶子3』

信長の庶子 三 織田家の逆襲 (ヒストリアノベルズ)

信長の庶子 三 織田家の逆襲 (ヒストリアノベルズ)

内容(「BOOK」データベースより)

織田信正、通称帯刀。織田信長庶子とされ、ごくわずかな史料にのみ名を残す彼は、一般的にはその存在を認められていない、“幻の長男”である。帯刀は、その知力と、母から与えられる謎の知識で、織田家の勢力拡大を後押しし、信長の上洛を“一年早めた”。そして朝倉家、仏教勢力との戦端が相次いで開かれる。彼は織田家に待ち受ける運命を変えられるのか―?

1,2巻同時発売後、すぐに3巻も刊行されるはずだったのですが延期となり、心配していましたが無事発売されてなによりでした。
3巻のメインは本願寺が中心となり、朝倉・浅井*1・三好・筒井、それに延暦寺や六角残党その他諸々が各地で兵を挙げた第一次信長包囲網です。
史実よりも多少は時が早まっても、信長を取り巻く情勢はどんどん悪化して、特に喉元に刺さった骨のごときが伊勢長島のデルタ地帯を占拠した一向一揆勢。
信正は九鬼と佐治の両水軍を指揮して一揆の支援をしている者たちを探り、ついでに海上の補給線を潰す役目を担います。
彼が見るところ、伊勢長島の一向一揆は一度の戦いで済むものではなく、次の戦いを睨んでいました。
実際に織田勢は一揆勢の逆襲を受けて名のある武将や一門(信興)から犠牲者を出してしまいます。
続いて近江を南下する朝倉・浅井の連合軍によって京への連絡が閉ざされるのを防ぐため、京にほど近い宇佐山に城を築いた森可成の援護に信正が向かいます。
基本的に信長の援軍が来るまでもてばいいと兵4000ほどで立てこもった織田軍。
朝倉・浅井に延暦寺の僧兵まで合流して1万5千の大軍に膨れ上がり、大挙して攻め寄せて来るのを野戦で迎え撃ちます。
始めは善戦するも、やがては数の差で押し込まれていき、城に退却。
結果的にに信正は家臣の松下長則、それに叔父の信治を喪います。
城主である森可成は命こそ拾ったものの、足を失う重傷を負いました。*2
自ら戦うことはなかった初陣と比べると、自身も敵と打ち合うほどの宇佐山の戦いはかなりの激戦であり、一歩間違えたら討ち死にの可能性さえありました。
一連の戦いで叔父を立て続けに失い、信治に関しては介錯を務めたこともあって、彼の仏教嫌いに拍車をかける影響を与えたとも言えましょう。
結果的に救援が間に合いましたが、窮地に陥った信長は和議を受け入れます。
しかしそれはあくまでも一時しのぎのためであり、次の戦いに備えるため。
すぐに織田勢は堅田の町に火を放ち、遊興に耽っていた僧侶たちを比叡山に追い立てます。
もはや和議も降伏も認めるつもりはない信長、それに将軍・義昭も合流しての比叡山焼き討ちでした。
後世とやかく言われる事件ですが、完全に敵対した比叡山は一大軍事拠点として潰さねば禍根が残るわけで。
織田家でも筆頭の仏教嫌いとなった信正は先陣を申し出ることに。
とはいえ、主だった道は幕府の軍勢が封鎖したために信正は与力した池田信興らと共に逃げ道となるであろう北の斜面に陣取ることに。
やがて火があがり、逃げてきた坊主どもを容赦なく切って捨てていきます。
そこで多数の女性を含む集団がやってきますが、女人禁制のはずの比叡山に女人がいるはずがないと切りかかろうとする信正の前に立ち塞がったのは一人の僧侶。
彼はそれまでの坊主たちとは違い、自身の命と引き換えに女たちを逃そうと言うのでした。


今回は第一次包囲網によって苦闘が始まる織田家の中で戦場に身を投じるようになった信正の姿が劇的に描かれていますね。ボリュームもあり、大変面白くて読み応えのある巻でした。
桶狭間の戦いを除けば、信長は大軍を用意して戦う前から勝利を得るための戦略を進める印象がありますが、それでも包囲網のよって敵は多く数的に不利な状況もあったわけで。
特に血気盛んな信正が死に至る危うさを感じられました。
戦の合間も信正なりの創意工夫の場面があったり、様々な人物との出会いがあったり。
父・信長や母・直子を始めとする家族との触れ合いのシーンも結構好きです。
特に庶長子である信正を前にした信長は嫡子・信重(後の信忠)や家臣の前では決して見せないであろう若き頃を思わせるくだけた印象が感じられました。
そして、後半にて信正が再会することになり、一時的に古渡城で共に過ごしたのが比叡山で逃がした僧の随風。
彼が後の天海であることは直子だけが知っているようで。*3
当時第一の知識階級といえば僧侶ですが、権力や色に溺れて腐りきった多くの坊主どもと違い、あくまでも真面目に修行に打ち込んできた随風にはさすがの信正も口では敵わないようで。まさに天敵のように思えましたね。
ということで、巻末書き下ろしはその随風の章でした。
日本の仏教各宗派の解説図解があるのは、読者にとってありがたいです。
明智光秀が後に天海になったという俗説がありますが、本作で採用したのは光秀ではないけど、ごく近い人物としたのが目から鱗
冒頭の城を追われる場面がすぐに思い至らなかったけど、後から思えばしっくりくるものがありました。年齢的に近いし、かの人物も前半生がはっきりしないですしね。
竹中半兵衛と並んで、信正にとっては苦手な人物が陪臣となって、今後やりにくそうではありますが。

*1:ただし、権限を持つのは長政ではなく反織田派の筆頭・久政

*2:史実では戦死

*3:この件に加えて、パンやピザの試行錯誤を考えると、やはり又聞きではなくて彼女自身が転生者であるとしか考えられない

池井戸潤 『MIST』

MIST (双葉文庫)

MIST (双葉文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

標高五百メートル、のどかで風光明媚な高原の町・紫野で、一人の経営者が遺体となって発見された。自殺か、他殺か。難航する捜査を嘲笑うように、第二、第三の事件が続けざまに起きる。その遺体はみな、鋭く喉を掻き切られ、殺人犯の存在を雄弁に物語っていた。“霧”のようにつかめぬ犯人に、紫野でただ一人の警察官・上松五郎が挑む。東京の事件との奇妙な符合に気づく五郎。そして見えてきた驚くべき真相とは―。

駐在所の警官・上松五郎を主人公として、のどかな高原の町・紫野*1を舞台に田舎町にふさわしくない残忍な連続殺人事件を扱っています。
時代設定としては90年代のインターネットが普及し始めた頃*2でしょうか。
そもそも5年前に東京都中野にて、パソコン通信を通じて自殺願望を持つ者が交流まるサイトのつながりで次々と首を刃物で切られて殺される事件があり、解明されないまま紫野で似たような殺人が発生したのです。
最初の犠牲となったのは、工場の経営に苦しんでいたという経営者。
二番目に町を訪れていろいろと探っていた新聞記者。
三番目に町に別荘を持つ金融会社の社長。
最初の経営者は実際に自殺を行って死にきれなかったところをとどめを刺したあたりが5年前の事件を彷彿させるし、新聞記者は犯人に近づいたためか?
そして金融会社社長は途中まで容疑者とされていた人物でした。
恐ろしいほど手際が良すぎて証拠を残さない犯人像に警察の捜査は進まみません。
何人も殺人を犯しながら、今もなお平然と日常生活を送っているのか?


犯人と目されていた人物が殺されたり、一件落着と思わせておいて、実は……という流れがミステリというよりホラーサスペンスといえましょうか。
田舎町ならではの人間関係とか独特の雰囲気作りは決して悪くはありません。
ただ、最後の方で真犯人の動機があまりに弱すぎて納得いきませんでした。
犯人の過去の回想で、少年時代に初めて手を下したことがきっかけらしいと受け取れるのですが、実はそれすら本当かどうかわからない。まさにタイトルのミスト(霧)を思わせる曖昧模糊とした読後感でした。
それに主人公を除く主要な人物が不倫ばかりなのが気にかかりました。
事件に直接な関係ないけど、ちょくちょく登場する洋品店経営の夫婦がダブル不倫中。
ヒロイン的な立場の女性教師が先輩教師と不倫中で、その先輩も妻が職場の男性と不倫中に自動車事故に遭った過去がある。
大人の恋愛=不倫ではないですよね。
女性教師に懸想している主人公が職業的な立場と本人が純情なのもあって、まともに口説くことさえできないのが微笑ましく見えるほどでした。
ラストも悪くない幕切れではあるものの、途中の伏線が曖昧なまま強引に締めた感じがしなくもなかったです。*3

*1:東京から離れていて、西にあるという位置関係から長野県か岐阜県を思い浮かべた

*2:接続に電話線を使用している

*3:最後の最後に現れた真犯人が唐突すぎて…

荻原浩 『あの日にドライブ』

あの日にドライブ (光文社文庫)

あの日にドライブ (光文社文庫)

  • 作者:荻原 浩
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2009/04/20
  • メディア: 文庫

内容(「BOOK」データベースより)

牧村伸郎、43歳。元銀行員にして現在、タクシー運転手。あるきっかけで銀行を辞めてしまった伸郎は、仕方なくタクシー運転手になるが、営業成績は上がらず、希望する転職もままならない。そんな折り、偶然、青春を過ごした街を通りかかる。もう一度、人生をやり直すことができたら。伸郎は自分が送るはずだった、もう一つの人生に思いを巡らせ始めるのだが…。

主人公・牧村伸郎は大手都市銀行であるわかば銀行に勤めていた元銀行マン。
主人公の述懐によると、銀行では決して上司に逆らってはならず、上が黒だと言えば白くても黒くなり、何事も上司が最優先。休日だろうが呼び出しに駆け付けなければならない。
そんな彼が20年近く勤め上げてきたある日、たまたま若手の行員に対して理不尽かつ執拗に叱っていた支店長に本音を漏らしてしまったことで矛先が向いてしまい、結果的に辞職せざる得なくなりました。
40歳過ぎの転職は思うようにいかず、偶然見た求人募集をきっかけにタクシー運転手となるも、思うようにノルマを稼げない日々を送っています。
収入がぐっと減ってしまったため、生活をきりつめパートに精を出すようになった妻の顔色を窺う毎日。
銀行員時代からずっと仕事にかまけていたせいで娘と息子へと接し方さえうまくいかない。
しまいには慣れない生活とストレスで円形脱毛症になってしまった伸郎は妄想に逃げます。
人生のどこかで違う角を曲がっていたら、違うパートナーを得て、違う職業に就き、まったく違う人生を送ることになっていたはずであると。


人生をやりなおしできたら…というのは誰もが思い浮かべることかもしれません。
今の生活に不満があればなおさら。
高学歴と大手都市銀行勤めであることが拠り所であった伸郎にとっては今のタクシー運転手という境遇から抜け出せる幸運を手にすることを夢見ますが、現実はそう甘くなく。
甘く見ていたタクシー運転手の仕事はハードな上に思ったように稼げないわけです。
伸郎がつい回想するのは大学時代。狭い四畳半のアパートに下宿して、新聞サークルの代表を務め、そばには美しい彼女がいて……。


タイトル的にタイムスリップするのかと思ったのですが、あくまでも過去の回想が中心で、今の生活もそう悪くはないという落としどころで終わりました。
物語の起伏としては乏しく、日常が淡々と進んでいく感じです。
でも内容的には飽きることはありません。
ちょっと情けない伸郎の心情がわかりすぎて笑うに笑えなかったりもしたり。
銀行員とタクシードライバーという二つの職業の知られざる現実がひしひしと伝わってきますね。
組織の歯車として従順に働くことが必要とされる銀行員と、各個人の経験・読み・運などが左右するタクシードライバーというのが対照的でした。
妄想癖が現実にまで浸食したかのような行動を取るようになってしまう伸郎ですが、結果的にうまくいったから良いようなものの、一歩間違えていたら家庭崩壊していたんじゃないかって少し危ぶみながら読んでいました。

朱川湊人 『私の幽霊 ニーチェ女史の常識外事件簿』

私の幽霊 ニーチェ女史の常識外事件簿

私の幽霊 ニーチェ女史の常識外事件簿

内容(「BOOK」データベースより)

故郷に住む高校時代の同級生・聡美から「あなたの幽霊を見た」と告げられた“ニーチェ女史”こと雑誌編集者・日枝真樹子。帰郷して幽霊が出たという森の近くまで行くと、そこには驚きの光景が…。怪しき博物学者・栖大智と不思議すぎる女・曲地谷アコとともに、常識を超えた事件の謎に挑む。切なさ×不思議全開ミステリー!

出版社勤務の日枝は民俗学的に伝説豊富な東北(I県と表記)出身。
一時は結婚していたが、今は独り身で40歳間近。
学生時代の友人は苗字をもじってニーチェと呼ばれているそうな。
真面目で堅物の彼女は高校時代の自分自身の目撃談と不思議な博物学者・栖との出会いによって日常が変わっていく、そんなストーリーが綴られていきます。


第一話 私の幽霊
久しぶりに連絡が来た地元の友人から高校時代の”私”の幽霊を見たと聞き、普通ならば一笑に付すところを気になって帰省したニーチェ女史こと日枝真樹子。
早速現地に行ってみると、その場所は当時先輩との淡い交際をしていた自分が毎日のように立っていた場所であった。
しかし、季節は3月なのに夏服のセーラー服であり、近づいてみても後ろ姿しか見えない。
そこで彼女は古めかしいトランクを持つ背の高い男性に出会った。


第二話 きのう遊んだ子
ニーチェ女史が元嫂から聞いた子供の頃の話。
父親の転勤に従って引っ越した先のI県の田舎町で、彼女は記憶にない時間に知らない女の子と遊んでいたと言われて戸惑う。
親しくなった男の子の祖母が言うには山の子だというのだが、再会した時に人の記憶を操ることができると聞いて…。


第三話 テンビンガミ
担当だった作家が失踪したと母親から連絡を受けて住んでいたマンションのPCを調べたところ、「テンビンガミ」というキーワードと山奥の村があり、ニーチェ女史はそこへ赴くことに。
過疎の村では山にある神社の祭りが催されていたが、そこに訪れた者たちが戻ってこないというのであった。


第四話 無明浄
両手に色のついた紐を握って自殺する事件が続けざまに発生した。
しかし、自殺した人の年齢や場所、交友などには関連は無い。
それを探っていたニーチェ女史の先輩までも木乃伊取りが木乃伊になるかのように苦手だった海で入水自殺してしまう。
気になって仕方ない彼女は自殺の影に怪しい宗教などなかったか気になり、栖にも協力を願うことにした。


第五話 コロッケと人間豹
ニーチェ女史はすぐ近所で厳しく叱る父親と泣き叫ぶ子供の声で困り果てていた。
その親子は近所でも有名で、一度介入してみた人がいたが、取り付く島もなく、かえって脅かされる始末で手に負えないのだという。
そんな時に前日顔見知りになったなったアコが大量のコロッケを持って遊びに来た時にその声を聞くや否や、ベランダから飛び出してしまい…。



第六話 紫陽花獣
学生時代の友人の話で最近娘の様子がおかしいと聞いて、会ってみることにしたニーチェ女史。
よくある思春期の親離れに加えて、母親の性格にも問題があるように見えたが、あえて他人が口をはさむまでもないように思えた。むしろ娘が夜中に紫陽花が歩き出したという話が気になってしまい…。


ヒロインの“ニーチェ女史”こと雑誌編集者・日枝真樹子がちょっと不思議な出来事に遭遇し、最初は偶然の出会いであった博物学者・栖大智と共に探っていく短編集です。
ニーチェ女史が堅物という設定もあって、彼女中心の話はさほど面白味を感じることができませんでした。
表題作の種明かしには肩透かしの思いでした。幽霊の正体見たり枯れ尾花みたいな。
「きのう遊んだ子」は話が進んでいくにつれて明かされる事情とあいまって、最後まで目が離せなくて、感動的な結末も含め、この中で屈指の出来であると思います。
「無明浄」もいまいちわかりにくい話でしたね。自殺を誘引するほどの影響があったとは考えにくかったです。
ただ、このあたりから人間豹たる曲地谷アコが介入し始めて、次の「コロッケと人間豹」以降にストーリーに躍動感が出てきたように思えました。
栖大智は不思議現象の説明役にはなっていても、人柄からいっておとなしくて、あまり刺激にならなかったですからね。
感情的な人間というのは時に煩わしく感じるものですが、最後の二つのようにあくまでもまっすぐなアコの行動に胸を打たれました。