加藤廣 『秘録島原の乱』

秘録 島原の乱

秘録 島原の乱

内容(「BOOK」データベースより)

炎上する大坂城で、死期を悟った豊臣秀頼に、密かに奏上する影があった。その名は明石掃部。脱出の手筈は万端だった。調達された舟で大坂湾を離れた秀頼は、一路九州・薩摩の地へ…。捲土重来を期した雌伏の四半世紀。あえなく秀頼は逝ったが、その遺志を継ぐ軍団が起つ時を窺っていた。寛永御前試合が齎した一瞬の政治的空白を衝いて、軍団の要として島原に現れた天草四郎。その横顔は、さる貴人に瓜二つだった…。

舞台は大坂夏の陣の勝敗もほぼ決まりかけた頃。
家康本陣目指してがむしゃらに突き進んでいた真田の軍が奮戦虚しく消え去っていくのを城の天守閣から見届けた豊臣秀頼が母・淀君らと最後を遂げようかというところ。
そこに明石掃部(全登)が現れて、身代わりを立てることにより秀頼を隠し地下通路から落ち延びさせます。
隠れキリシタンや真田の忍びらの協力で九州・熊本の加藤家まで辿り着きますが、清正亡き後の加藤家では秀頼を匿っておくわけにはいかず、最終的に薩摩の島津家を頼りにするしかありませんでした。
関ケ原の戦いの終盤で見せた壮絶な撤退戦の印象もあって、領土安堵されてはいたものの、島津と幕府は潜在的敵対関係にあったこともあり、忍びの育成といった取引の末に落ち着くことになりました。
薩摩で暮らしている間に秀頼の元には子が生まれて、そのうちの一人である四郎は優秀な示現流の剣士となり、寛永御前試合にて柳生一門の一人に圧勝。
いまだ男色趣味を捨てきれない徳川家光の目に留まります。
一方で諸大名が江戸に参集している隙に秀頼の配下たちは九州で一揆を企てます。
影ながら彼らは徳川幕府転覆を狙う島津・伊達によって支援を受けていたのでした。


2018年に亡くなった加藤廣氏の遺作であり、『神君家康の密書』の続編であるそうです。
秀頼の元にはせ参じて側室となった凄腕の女剣士・小笛に過去の因縁があるように書かれていたのはそのせいだったのですね。
天草四郎の乱の背景に豊臣の血筋が結び付けられただけでなく、家光の男色趣味を引き金とした幕府転覆の壮大な陰謀が仕組まれていたというのが面白かったです。
寛永御前試合をきっかけに宮本武蔵を始めとする有名な剣豪が天草に集合して壮絶な戦いを繰り広げたり、忍びたちの暗躍もあったり。
戦国時代の気風を引きずる浪人や密かに野望を抱く外様大名といった江戸時代初期ならではの楽しみも見られました。
乱の経過はさすがに変わることなく、概ね史実通りだったのですが、前半が丁寧に書かれていた分、終盤は駆け足気味であっさり終わってしまった感じがしましたね。
戦いそのものの詳細には触れられず、経過説明だけで終わってしまいました。四郎からすると、最終的に負け戦だから仕方ないのかもしれませんが。
また、最初から最後まで並みいる剣豪を相手に一歩も引かない強さを見せつけた小笛については前作を読んでいた方が楽しめのかもしれません。

中山七里 『恩讐の鎮魂曲』

恩讐の鎮魂曲 (講談社文庫)

恩讐の鎮魂曲 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

韓国船が沈没し、251名が亡くなった。その事故で、女性から救命胴衣を奪った日本人男性が暴行罪で裁判となったが、刑法の「緊急避難」が適用され無罪となった。一方、医療少年院時代の恩師・稲見が殺人容疑で逮捕されたため、御子柴は弁護人に名乗り出る。稲見は本当に殺人を犯したのか?『贖罪の奏鳴曲』シリーズ最新作!!圧倒的迫力のリーガル・サスペンス!

御子柴礼司シリーズの第三弾。
前作、『追憶の夜想曲』のラストにて、幼女殺人と”死体配達人”としての過去が明らかにされたことで次々と契約を切られてしまい、事務所も家賃が安い場所へと移転。唯一、暴力団員の弁護依頼でしのいでいました。
そんな中である日、少年院時代の教官であった稲見が入居していた老人施設で殺人を犯したというニュースを知ります。
自らの罪を悔いて更生し、弁護士を目指すことになった少年時代の御子柴にとって稲見は父親のような存在。
同時に稲見が重傷を負って退官し、車椅子生活を余儀なくされたのも御子柴のせいでした。
昔気質で正義の塊のような稲見がなぜ人を殺すに至ったのか?
すでに国選の弁護人がいたのを強引なやり口で弁護を担当することになったのですが、あっさりと罪を認めた稲見は減刑を望むことはせず、弁護人にとって非常にやりづらい依頼人なのでした。


弁護士というエリートならば自分の汚点など絶対隠すものですが、逆に弁護の切り札として使ってしまうところが御子柴らしいと言えるし、それで仕事が激減してもさほど堪えたように見えない図太さが金に汚いと言われる御子柴らしいのかもしれません。*1
そんな彼がなんとしてでも弁護を引き受けようとしたのがかつての恩師である稲見。
まったく非協力な稲見を他所に事件が起こった伯楽園の実情を調べていくうちに明らかになる老人虐待の日常。
その中心人物となったのが、今回の被害者であり、過去の遭難事件で沈みゆく船上で女性を殴ってまで救命胴衣を奪い逃げおおせた人物でした。
かつてはいじめられっ子でおとなしかった少年が介護士としてか弱い老人に暴力をふるっていたという暴力の負の連鎖。*2
伯楽園を見学した御子柴がかつての少年院と同じ空気を感じたあたりに問題の根深さがうかがえましたね。
法廷では、日本では珍しい刑法の「緊急避難」によってかつて無罪となった加害者が今度は被害者となって、御子柴弁護士は同じ「緊急避難」適用によって無罪を訴えている。
過去と現在の二つの事件を繋ぎかたが巧妙でした。
「どんでん返しの帝王」などと呼ばれる著者ですが、本作は”どんでん返し”とか衝撃の事実というほどでもないものの、過去の因縁が絡んだ重い人間模様が描かれていて、充分読み応えありました。
御子柴と稲見だけでなく、稲見の亡くなった息子、殺された男の所業など、見事に恩讐がテーマとなっていました。

*1:報酬として大金を要求するが、絶対に勝利するところがブラックジャックをモチーフにしているのだとか

*2:いわゆる3K労働のわりには低賃金で働かされている鬱憤もあった

楡周平 『国士』

国士

国士

内容(「BOOK」データベースより)

カレー専門店「イカリ屋」の老創業者・篠原悟は、加盟店と一致団結してチェーンを日本一に押し上げた。だが、人口減少社会を迎えた国内だけでは成長は見込めず、アメリカに打って出ることに。それを機に、篠原は自らは経営から身を引き、海外進出と、この国の将来を見据えた経営を、コンビニやハンバーガーチェーンを立て直した実績を持つプロ経営者・相葉譲に託したが…。

創業者である篠原悟が小さなカレー屋から始めて一代で国内一のチェーンにのしあがったカレー専門店「イカリ屋」。
その成功の秘訣はリストラなどで人生の再チャレンジに賭けたフランチャイズのオーナーと一丸になったこと。
さらなる成長のために飽和しつつある国内市場ではなく、アメリカ進出を目指すのですが、ノウハウもなく年齢的な限界を考えた篠原は外部から経営者を招いて会社を託すことにしました。
後を継いだ相葉譲はコンビニやハンバーガーチェーンを立て直した実績を持つ優れた経営者でありました。
かつての同期の伝手で大手の四葉商社と提携して、アメリカ進出計画を進めていきます。
しかし、資金捻出のためにも国内の既存チェーンで手っ取り早く利益を上げるために相葉が行ったのは篠原が積み上げてきたことを壊すこと。
例えば優良フランチャイジーのすぐそばに直営店を立てて、潰し吸収する。
会社の利益のためには社員やオーナー、客のことなど度外視した徹底的な策の数々。
それは相葉が今までやってきたことの繰り返しでありました。
相葉が社長に就任するのと同時にかつての部下を連れてきて要職に置いたため、もともと経営企画に携わっていた者たちはただの使い走りに追いやられてしまいます。
相葉の強引なやり方に憤懣を抱いたのは、そういった生え抜きの部下たちや実害を受けるフランチャイズのオーナーたち。
過去の経緯から、相葉のやり方では短期的に業績は上がるかもしれないが、多くのオーナーの人生を狂わせた上に反動が来て長期的に悪化が見えています。
なんとかしたいと現役を引退した篠原を頼ろうとするのですが…。


読み始めてから気づいたのですが、元商社マンが過疎の町の村おこしにチャレンジした『プラチナタウン』から数えて3作目に当たるようです。*1
今回は山崎町長は脇役なので、前作を知らなくても楽しめる内容ですね。
『プラチナタウン』は現代日本が抱える少子高齢化による過疎の問題を取り上げましたが、少子高齢化はビジネスの世界にも影響を与えていて、縮小する国内市場から海外市場に飛び出す企業を取り上げているわけですね。
そういう意味で、会社の経営においてビジネスパートナーや客も大事にしようとする篠原と、あくまでもプロ経営者として数字しか見ていない相葉との対照的な姿勢が浮き彫りになっているのが特徴です。
無論、企業経営としては相葉の方針が正解なのは、本作に登場する経営者も認めるところです。
しかしそれは弱者を切り捨てるやりかた。
日本の経営者の多くがコスト重視できた結果、産業の空洞化やワーキングプアを生んで、地方が痩せ細る結果となったということなのでしょう。
作中において、戦後の復興期においては、会社の繁栄を国の繁栄と考え、国民の生活を豊かにすることが会社の社会的使命と考える経営者「国士」が存在していた。とあります。
それが高度成長期やバブルを経た現代の日本では会社の社会的使命よりも業績や評判ばかり気にする経営者ばかりとなってしまった。
作中における代表的な人物が相葉ということなのでしょう。
しかし、これからも同じやりかたでは日本はじりじりと衰えていくのみ。
少しでも良くするには山崎や篠原のような経営者が必要だと言えるでしょう。

*1:2作目の『和喬』は未読

ロバート・J・ソウヤー 『ターミナル・エクスペリメント』

ターミナル・エクスペリメント (ハヤカワSF)

ターミナル・エクスペリメント (ハヤカワSF)

内容(「BOOK」データベースより)

医学博士のホブスンは、死にかけた老女の脳波の測定中に、人間の「魂」とおぼしき小さな電気フィールドが脳から抜け出てゆくのを発見した。魂の正体を探りたいホブスンは自分の脳をスキャンし、自らの精神の複製を三通り、コンピュータの中に作りだした。ところが現実に、この三つの複製のうちどれかの仕業としか思えない殺人が次々に…果たして犯人はどの「ホブスン」なのか?1995年度ネビュラ賞に輝く衝撃の話題作。

日本より臓器移植が盛んな海外(舞台はカナダ)ということで移植に立ち会った医学博士のピーター・ホブスンが人の死に興味を抱き、自身が経営する会社で魂を測定する装置を開発します。
老人福祉施設にて協力を得られた老女の死の間際に魂らしきものが抜け出ていくことを発見しました。
その後の追加実験で性別や年齢に関わらず同じ現象が得られたことで結果を発表。
世界中は驚きに包まれ、宗教的にも衝撃を与えます。
ピーターは「魂」の正体を突き止めるべく、更なる実験を推し進めるべく、協力者を得ると自分の脳をスキャンして精神の複製を三通り、コンピュータの中に作りだしました。
彼らに知識を与えるべくネットワークへのアクセスさせたのですが、これが悲劇の始まり。
最初にピーターの妻の同僚が殺され、次に義父が一人で自宅にいる時に突然死。
義父についても自然死ではなく、その晩に配達されて食べたファーストフードの中に血圧を高める成分があり、彼の持病にとっては最悪の組み合わせとなるもの。誰かが悪意をもってメニューを変えたとしか思えないのでした。
一見繋がりのない二つの死を繋ぐのがピーターの妻であることを知った女刑事は疑惑の目を向けるのですが…。


最初に殺された同僚はかなりの女好きで、何度か顔を合わせたピーターはそりが合わないと思っていました。さらに妻とは一時的に不倫関係(あくまでも遊びで終わっていた)があったことで強い憎しみを抱いていました。
体育教師であった義父ともピーターとは合わないタイプ。幼少時代の妻への影響を聞いてからは許しがたい気持ちを抱いていました。
つまりはコンピュータの中に作りだした複写人格はピーター自身が抱いていた憎悪を引き金として、安易にネットワークを通じて殺人を実行したというわけです。
犯人がわかった段階でピーターらは複写人格を三つとも削除しようと試みますが、先回りされて失敗。ネットワークに出てしまった以上、大掛かりなネットワークの停止を行うしかなく…。


SFとミステリが見事に融合した作品です。
コンピュータ上に作り上げられた人格自体は昔からSFではありふれていますが、そこに至るまでにピーター自身の複雑な状況や悩みがあり、魂の計測という大発見を経て、ネットワークを介在した殺人事件へ。
まさに奇想天外なストーリーに驚かされました。
コンピュータ上の人格というのが元はピーター自身でありながら、倫理観など人としての感情がいくつか抜け落ちていたのも不気味でした。
ただ、倦怠期に入ったピーターと妻との間がぎこちなくなったのはわかるのですが、個人的には背信した妻と不倫相手に対してピーターが何もしなかったのが納得いかなかったですね。
まぁ、悪感情が心中に籠っていたからこそ事件へと繋がったのでしょうが。
一方で女刑事が事件の真相へと迫っていくところや、人工人格の暴走を止められるかといった点がスリリングで最後まで目が離せませんでした。

横山信義 『蒼洋の城塞2-豪州本土強襲』

蒼洋の城塞2-豪州本土強襲 (C★NOVELS)

蒼洋の城塞2-豪州本土強襲 (C★NOVELS)

内容(「BOOK」データベースより)

珊瑚海海戦に勝利した日本軍はポート・モレスビーを占領。M0作戦の完遂という真珠湾以来の大戦果を上げた。その喜びも束の間、米機動部隊が日本占領下のツラギを攻撃。さらにガダルカナル島では米軍の飛行場が急ピッチで建設されていた。連合艦隊司令長官山本五十六はM1作戦の中止を決定、標的をガダルカナル飛行場とソロモン諸島に変更する。だがその最中、米国はモレスビーへの輸送船団を強襲。対する日本軍は「蒼龍」「飛龍」ら機動部隊でケアンズタウンズビルの飛行場を攻撃し、米補給線の寸断を狙うのだが―。

1巻にて珊瑚海海戦を史実以上に勝利を収めて、ポート・モレスビーの占領も果たした日本軍。
戦略的にもアメリカ・オーストラリア分断の楔となるMO作戦の成功です。
しかし、すぐの間にラバウルとの中間にあるツラギが占領されただけでなく、偵察の結果、ガダルカナル島には急ピッチで飛行場が建設されていたことがわかります。
ここにきて、アメリカ軍はオーストラリア救援に本腰を入れてきたことが判明したことにより、連合艦隊司令長官山本五十六はM1作戦の中止を決定します。
数少ない空母を用いてポート・モレスビーへの輸送船団を襲う米軍。
その対応に南雲提督率いる航空艦隊を投入する日本軍。
いっこうに基地化が進まないモレスビーの安全を期すために対岸のケアンズタウンズビルまで襲います。
また、1巻でも活躍した呂号潜水艦でオーストラリアへの輸送船団を襲うというのも本作ならではです。
ここにおいて、日米の激突はソロモン海からオーストラリア北部沿岸まで拡大していったのでした。


史実でいえばミッドウェー海戦の直前にあたるのですが、日本はドーリットルによる奇襲を退けた後に空母を撃沈したこと、珊瑚海海戦の完全勝利で、空母のバランスが史実以上に優勢となっています。
それゆえに6(2は軽空母)対3で始まった航空戦では終始日本軍有利で推移しました。
もちろん、損害がありましたが。
本作での南雲提督は航空専門家ではないので、部下の意見を入れた上でよく吟味し、堅実に進めている印象を受けますね。
逆に言うと、横山信義氏の作品の割にはアメリカ側に不運が続くのが新鮮です。
例えば損傷を負っていたわけでもない空母が潜水艦一隻による雷撃で沈められるなど、史実での「信濃」を思い出しますね。
特に有名提督の死が続いている今後に大きく響いてきそう。
ひょっとしたら、将兵の大きな損失が終戦への伏線となるのかとも思えました。
米軍が敗北した結果、オーストラリアは中立へと傾いていくのですが、そこで待ったをかけたのがイギリス。
本国の守りを薄くしてでも、連邦保持のために強力な艦隊を派遣するところで終わりました。
次回からは日英対決がメインでしょうが、新鋭艦が抜けたことによって、大西洋およびアフリカ方面に影響が出るのかが気になりますね。

我孫子武丸 『狼と兎のゲーム』

内容(「BOOK」データベースより)

2年前に母が失踪して以来、小学5年生の心澄望と弟の甲斐亜は父・茂雄の暴行を受け続けていた。夏休みのある日、庭で穴を掘る茂雄の傍らに甲斐亜の死体が。目撃した心澄望とクラスメートの智樹を、茂雄が追う!死に物狂いで逃げる彼らを襲う数々のアクシデント!!茂雄が警察官であるゆえ、警察も頼れない二人の運命は―。そして待っていたのは、恐怖と驚愕の結末!!

心澄望(こすも)とその弟・甲斐亜(がいあ)の父親は典型的な暴君であり、母子は日常的に家庭で暴力を振るわれていました。
そんな中で母親が失踪して以来、暴力に加えてネグレクトも加わり、着る服や食事さえままならない状態。
そんな家庭環境で育った心澄望は身体が大きい上にカっとなりやすい性格であり、クラスで友人といえば主人公・智樹くらい。
もっとも智樹自身もお金や持ち物を貸しても決して返さない心澄望に対して内心嫌気がさしているものの、強くは言えないのでした。
夏休みに入ったある日、突然智樹の家にやってきた心澄望が言うには、家に食べるものがないので困り果て、金を探しに絶対に入ってはいけない父の部屋に侵入した際、弟が誤ってパソコンを落としてしまったというのです。
父親の逆鱗に触れてしまうのは確かで極度に恐れる心澄望のために仕方なく様子を見に行ったところ、庭でシャベルを振るい穴を掘っている父親の姿とあり得ないほどに折れ曲がった甲斐亜が。
次は自分の番だと恐れる心澄望。それに一緒にいるところを見られてしまった智樹は嫌々ながら一緒に逃避行に出ることになったのでした。


小学生では体格の違いや知っている知識・世界の少なさもあって親の存在は大きいもの。
日常的に虐待を受けていた兄弟はもちろんのこと、一度遊びに行った際に暴力を目撃してしまった智樹にもモンスターぶりが心に刻まれていました
さらに警察に届け出ようにも、父親自身が警察官であり、頼りにはならないと思い込んでしまいます。
かくて一度だけ失踪した母親が寄越したという手紙を頼りに智樹が工面(ほとんどは親の財布から勝手に拝借)したお金で東京へ向かう二人でした。


もともとはミステリーランド向けに考えていたという本作。
小学生を主人公にしてあり、ストーリー自体もさほど捻ってなく、すんなりと読めます。
ただし、主人公視点から伝わってくるのは恐怖と絶望と残酷さの連続であり、とうてい子供向きとは言えません。
しっかりした両親がいて経済的にも恵まれた智樹視点からすると、ガキ大将というより我儘で暴力的で、性に関しては悪い意味でませている心澄望にはうんざりさせられます。
心澄望が日常的に虐待とネグレクトを受けていたという点で智樹と同様に同情すべき点がありますが、それに輪をかけて酷いのが父親ですね。
警察官として持つべき倫理の一欠けらもありません。
世に報道される重犯罪者とはこういう身勝手で腐った心の持ち主なのかと思わされました。
ラストは「驚愕の結末」というのは大げさですが、まぁ納得できる落としどころだったかなと思います。
読み終えて思い返すとご都合的な展開もあったのは確かですが。
父親と関りがあったために巻き込まれてしまった人は気の毒ですが、本当の意味での犠牲者は子供なのだということですね。

冲方丁 『破蕾』

破蕾

破蕾

内容(「BOOK」データベースより)

許されざる逢瀬に興じる男女の、狂気と艶美の悦び―。旗本の屋敷を訪ねたお咲。待ち受けていたのは、ある女に言い渡された「市中引廻し」を身代わりで受けるという恐ろしい話だった…(「咲乱れ引廻しの花道」)夫の殺害を企てるも不首尾に終わり、牢に囚われた女。高貴な血筋の女。「わたくしの香りをお聞きください」身の上話を、ぽつりぽつりと―。(「香華灯明、地獄の道連れ」)書き下ろし新作『別式女、追腹始末』も収録!

お咲が嫁いだ与力の岡田家は昔気質で金のやりくりができない人物揃いだったために家計は常に火の車。
そのために商家の娘たちに習い事を教えることで家計の助けにしていました。
お咲は模範的な武家の妻だったので、性に奔放な娘たちの会話についていけない日々。
お咲にとっては夫婦の夜の営みも実に質素なものでした。
ある日、夫の代理で弁当を届けるためにお咲は牢屋敷を訪れて、珍しい菓子など厚い歓待を受けます。
応対に出た武士はお咲が何も知らずにここに来たことを知ると、複雑な表情を浮かべて、夫の殺害を企てたが失敗して捕まったある女性の話をします。
実はその女性は高貴な人物*1の子であるが、罪は罪なので死は免れない。
ただし、罪人につきものの市中引き回しだけは避けねばならなくなり、仕方なく身代わりを立てることになったのでした。
話の流れでお咲がその身代わりになるのだと悟った瞬間に武士によって雁字搦めに縛り付けられて、そのまま罪人の如く、引き回しへの準備へと進んでいくのでした。
当時、死刑囚の市中引き回しは江戸の民衆にとっての娯楽でもあったようです。
それゆえに囚人は牢にいた時とは違って、最後の施しを受けて見た目も整えられる。
女性であれば麗しく化粧を施されるわけで。
さらに作中では恐怖を誤魔化すために医師の手により阿片が使用されています。
縛めを受けた上に身体を調べるために裸にされるなど、本来であれば屈辱とも言える処遇のお咲をして、徐々に陶酔の境地へと至らせていく(「咲乱れ引廻しの花道」)。


別々の話かと思いきや、二つ目はお咲が身代わりをさせられた本来の囚人である芳乃を主人公としています。
生まれつきの環境から人生をすごろくに例えた芳乃は母と同じ”アガリ”を目指し、優れた洞察力や性技によって、男女問わず次々と篭絡して墜としていく。やがて母と同じ立場になる寸前に夫殺し未遂で捕縛されて別の形の”アガリ”を迎えるまで(「香華灯明、地獄の道連れ」)。
最後が芳乃の術中によって忠実な僕となった別式女(女ながら剣を修めて剣士の格好をした女性を指す)の景が主の死に殉じるまでの半生を描いた短編となります。
もともと歴史物に定評あった著者ですが、ちょっとどころじゃない本格的な官能時代物を書いていたとは驚きでしたね。
堅物の武家の妻がいわば晒しものとなりつつも、その身体は今までにないほど感じて乱れていくさまはまさに乱れ花道。ギャップとその顛末が良かったです
いわば縮小版大奥の秘め事を通じて成り上がっていく芳乃の話では、なんといっても世の倫理など屁とも思わない独特の価値観が際立っていました。
たまたまそっち方面に開花したけど自分自身を客観視できる上に人心掌握に長けた有能な女性なんだろうなぁと思ったものです。

*1:徳川御三家らしき記述がある