赤城山(黒檜山、駒ヶ岳)登山

毎年ゴールデンウィークの前半に軽い登山というかハイキングに行っているのですが、今年は仲間の一人が群馬県赤城山に行ってみたいということで、山の日である昨日行ってきました。
私自身、赤城山は記憶も定かで無い小学生の頃に行ったきりで、大人になってからは初めてでした。
正確には赤城山という名の山はなくて、カルデラとなったいくつもの峰を含めた山域の呼称らしく、その裾野は前橋市の市街地も含むほどに広大です。
群馬県赤城山ポータルサイト


赤城山に登るにはJR両毛線前橋駅を降りてからバスに乗るのですが、休日のみ運行している赤城ビジターセンター行きの急行バスに乗りました。*1
裾野の一部である長い坂を経て、赤城山の懐に入ると急勾配のカーブをくねくねと登っていきます。
休日だからか、車だけでなく、自転車に乗っている人も多かったです。
予定よりも少しオーバーして1時間15分くらいで終点より前の赤城山広場のバス停で降りました。
目の前には赤城山を象徴する大沼が広がっています。
その日も関東の平地では35度くらいの猛暑日だったのですが、大沼周辺は10度くらい低かったでしょうか。
高原のように空気が爽やかで涼しかったです。


広い駐車場には車が多く停められていて、大沼周辺の道はランニングしている人が多かったですね。
大沼沿いの道路を少し歩いて、赤城神社を過ぎたあたりでまずは最高峰である黒檜山(くろびさん・1,828m)への登山道を登り始めました。


黒檜山へのルートは約1.1kmで1時間15分の行程なのですが、これが見事に岩場が続く登り道。登りにくいことこの上ない。
道路を歩いている時は良かったけど、登り始めたら、たちまち汗が吹き出てきました。
ちなみに登り始めた時点で10時半くらいだったのですが、すでに降りてくる人とすれ違いましたね。
まぁ、岩場の道は登りよりも下りの方が大変かもしれない。
それでも登り辛いのは変わらなくて、何度も小休憩を取りながら進みました。
↓この時はまだ半分近くまで到達した頃。正面に見えるのはカルデラの真ん中にある地蔵岳(1,674m)。晴れ間は差していたけど、この後すぐにガスが出てきた。

大沼周辺が1,300mくらいあるので、500mほど上がるのですが、岩場続きのせいでなおさらきつく感じました。
延々に続く岩場の登り道を予定よりもオーバーして1時間30分くらいで頂上到着。
終盤の方はさすがに足がきつかったですね。
わりと登山客は多くて、若い人から年配まで広い年齢層だったのですが、さすがに高校生か大学生くらいの若い人のペースには敵いません(笑)


頂上に近づくに連れてガスに覆われるようになり、下界の景色はほとんど見えなかったのが残念でしたね。
その代わりに止まっている時はかなり涼しい風が吹いていましたが。
頂上付近で昼食を摂った後は尾根沿いに駒ヶ岳(1,685m)を目指しました。

いったん下ってから、また登るのですが、黒檜山の登りに比べればさほどきつくはありませんでした。
尾根沿いのルートは谷間からの風も来て涼しかったですし。
駒ヶ岳に到着した時はあたり真っ白なほどガスっていました。

その後は下るのみ。
黒檜山へのルートと比べると、距離が短い代わりに急勾配が続くということもあって、手すり付きの鉄階段の他に木の階段もあって、そういう意味では通りやすい道ではありました。
その代わりに下りは太腿と膝にくるんですけどね。
下りルートは予定の45分より早いくらいに到着。
帰りは赤城ビジターセンターからのバスで前橋駅まで行きました。
赤城山周辺は駐車場が整備されているので、一番近いうちの車で来るという案もあったのですが、妻が仕事で使うために電車とバスを利用しました。
車の方が待ち時間がなくてスムーズだったかもしれませんが、その代わりに帰りの運転が辛かったでしょうね(足が)。
名の知れた山のわりには(バスを使えば)トータルで登山自体は約3時間半ということで気軽に登れる山でした。
赤城山の名前の由来である紅葉の時期に来ても良さそうですね。
山域のほとんどは広葉樹林なので、10月上旬には山頂部から紅葉が始まって、下旬には麓まで山全体が真っ赤に色づくそうです。

*1:平日は乗り継ぎが必要。

山本弘 『まだ見ぬ冬の悲しみも』

まだ見ぬ冬の悲しみも (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

まだ見ぬ冬の悲しみも (ハヤカワSFシリーズ―Jコレクション)

内容(「BOOK」データベースより)

時間的同一性交換によって6カ月前の世界へ向かった俺が見たのは、すべてが燃えあがり、あらゆる生命が死滅した終末のパノラマだった―タイムトラベル実験の恐るべき顛末を描いた表題作、謎の異星生命体との危険なコンタクトを果たした詩人の手記にしてSFマガジン読者賞受賞作「メデューサの呪文」、アキバ系科学幻想譚「シュレディンガーのチョコパフェ」ほか、全6篇を収録する最新作品集。時間、宇宙、言語、超人テーマなど、SFならではのアイデアを現代に蘇らせる、科学と奇想と語りの饗宴。

久しぶりにSFを読みたくなって手に取りました。
前に著者の手による外国SFアンソロジーは読んだことがありますが、本人の作品はかなり久しぶりかもしれないです。
どれもこれも個性溢れる作品でしたね。荒唐無稽な話にリアルっぽくするための物理系のウンチクがくどく感じたりはしましたが。


「奥歯のスイッチを入れろ」
事故により命は取り留めたが両足を失った宇宙飛行士が最新の技術により、記憶を移植したサイボーグ戦士(スーパーソニックソルジャー、略してSSS)として生まれ変わった。
その身体能力は凄まじく、人間の認識するより遥かに高速で動けるのだが、本人の認識が追い付けないために訓練を要した。
そこまでして主人公が生きたいと願ったのは、かつての恋人で科学者となった女性の願いによるものであった。
しかし、同じように改造された敵国のSSS戦士が要人暗殺に使われたことを知ってしまう。
昔流行ったアニメや特撮に登場したサイボーグ戦士とか人造人間もの。*1
それを無駄にリアルに追及していったら、どんな困難が待ち受けているかを描いたと言えましょう。
大事な女性を護りたいという気持ち、同じような能力を持った強大な悪を相手に奮闘するあたりがまさしくヒーローです。
しかし、リアルにしちゃうと、移動するだけで大変ですわ。例えば、衣服がもたなくて全裸になっちゃたりとか…。


「バイオシップ・ハンター」
人類が宇宙に進出して様々な異星人たちと接するようになった時代。
輸送船がバイオシップ(生きている宇宙船)を使う海賊に襲撃される事件が発生。
そこでバイオシップを利用する恐竜進化型型の宇宙人に疑惑がかけられて、とある男が彼らのもとに乗り込んで調査を行うことになった。
異星人とのカルチャーギャップはSFでも定番ですが、異星人たちの性質はもちろんのこと、宇宙船自体が生き物である点に特色があります。
機械的で高度のテクノロジーの塊である地球の宇宙船とは大違いで慣れるのが大変そう。
事件の謎そのものもバイオシップならではといった感じでうまくまとめられていると思いました。


メデューサの呪文」
かつては高度な文明を持っていたのに今では原始的な生活を送る宇宙人とのコミュニケーションに難儀していた学者たちであったが、詩人を連れてこいとの相手の要求により、仕事の傍ら詩を嗜んでいた主人公が呼ばれて…。
カルチャーギャップの一種だけど、それが想像を絶する言葉の力だというのがユニーク。
言葉の力というと日本には言霊があるけど、そんな生易しいものではなく、使いようによっては人類を滅ぼす強力な精神兵器にもなりうるのだという。
直々に教えられた主人公だけど、それを仲間に伝える術を持たなくて、とんでもない事態に発展してしまいます。
自分たちより遥かな高みに位置する脅威など、身をもって体験しないとわからないものでしょう。


「まだ見ぬ冬の悲しみも」
数日間の範囲だが時間旅行が可能になった時代。
テストパイロットとなった主人公には一つの欲望があった。
それにはふられ続けている憧れの彼女との過去をやりなおすこと。
時を超えるという画期的な発明を手にしても、人間の動機というのは変わらないもので。しかし、過去からやってきたもう一人の「俺」が直前になってすり替わろうと襲い掛かってきて…。
タイムトラベルした先が破滅した未来という、ショッキングな内容であったのは確か。
時間に対する考え方も変化していくのだろうけど、こんな結末が納得いくかどうかはわからないまま。
タイムマシンに乗った未来人が来ないのはそこに到達するまでに人類が滅んでいるとか、タイムトラベル事態が破滅をもたらすから戒められているからとか…?


シュレディンガーのチョコパフェ」
とあるノーベル賞候補の天才による発明は世界に対する恨みが籠められていて、因果律を崩壊させる危険なシロモノであった。
互いの趣味を尊重しあって程よい距離感を保ったオタク同士のカップルは著者の理想の一つなんでしょうか。
それはともかく、主人公が懸命に急ぐ中で周囲が加速度的に滅茶苦茶になっていく展開は筒井康隆を彷彿させられましたね。


「闇からの衝動」
病弱な少女は乱暴者の少年への復讐を成し遂げるため、悪魔の力を借りることを思いつく。自宅の地下室の奥には怪しげな円形の蓋があって、その先にはきっと悪魔が棲みついているいるのだと信じて…。
1930年代のアメリカSF*2作品へのオマージュとなっている内容。しかもそれが実在の作家と作品を登場させながら展開するのだから凝りようがすごい。
原典自体は読んでないから知らないけど、きっと影響を受けたと思われる国内の作品は目にしているので、なんとなく雰囲気が伝わってくるのが楽しかったです。

*1:今でも仮面ライダーがそれに近いか

*2:クトゥルフ神話的なダークファンタジーと言えるかも

まふまふ 『陶都物語2』

陶都物語 二 ~赤き炎の中に~ (HJ NOVELS)

陶都物語 二 ~赤き炎の中に~ (HJ NOVELS)

内容(「BOOK」データベースより)

現代の日本から幕末の日本・美濃国へと転生したオレ(草太)。前世から引き継いだ知識を活かし、この時代には存在しない「白磁」を作り出すことに成功した草太は、これを金の卵とすべく商都・名古屋へ向う。海千山千の大商人を相手に、見た目は子供・中身はおっさんの最初の野望は成るのか…。南へ西へ、奔走する不遇主人公はその途上で無宿人の少女を拾い上げるのだが…。幕末の著名人も続々登場する転生サクセスストーリー、待望の第2巻!

1巻が発売されたのが2017年でしたが、売れ行きが良くなかったのか*1、2巻が発売されることなく、原作の更新も止まってしまって非常に残念な思いを抱いていました。
それが同作者による『神統記(テオゴニア)』が書籍化されたこともあってか、2年越しに2巻が刊行されて、原作を読んでいた者として喜ばしいかぎりです。


さて、大地震の倒壊にも関わらず、奇跡的に無事だったボーンチャイナの皿をもって、陶磁器事業を復興を目指す草太。
何をするにもかかるのは元手(お金)であり、既存の美濃焼と同じ販売ルートを選ぶのを良しとせず、大都会である名古屋を目指します。
そこで口八丁手八丁を駆使して大商人から100両の融資をせしめたり、現代知識を有効活用して本格的な株式事業の発足まで漕ぎつけたまでは良かったものの、前途は多難です。
それはボーンチャイナたる原材料として骨灰の調達*2ももちろんながら、値打ちある売り物とするには絵付けが不可欠となるために優れた絵師を雇う必要があること。
そのためには文化の中心地である京まで足を運んで、直接スカウトすることを考えたのですが、まず美濃から京まで歩いて行くまでが6歳児の体には難題であったわけです。
そこで普段使う草鞋とは別に牛の皮を使ったサンダルを自作してみたものの、今度は靴擦れに悩まされるという場面があったり、現代知識も万能じゃありません。
ともかく、草太自身の地元とはいえ、約150年前のまったく様相の異なる風景の中を歩いて状況する描写がのどかで良いですね。草太の内心は今後のことを考えると焦る一方なのですが。
道中では死んだ夜鷹の子で乞食同然の孤児”お幸”に懐かれて、博打で商売道具をスってしまった富山の薬売りに執着されて、さらに大津で足止めしていた際には妙に頭の切れる役人に関心を持たれてしまい…そんな出会いがあって、思わぬ道連れを増やした末に二週間かかってようやく到着。
しかし、業界のしがらみやら地方を見下す風潮が強い中では絵師の引き抜きなど、いくら現代知識をもってしても、とっかかりさえ掴めないのでした。


かなりのボリュームの2巻ですが、それでもまだ陶磁器作りの準備段階、そのとっかかり程度と言えましょう。
ひとことで言えば、いくら現代知識があろうが、実際はチートなどできないものだということ。
6歳児という点が時にメリットになることもあるけど、基本的に足を使うしかないこの時代では移動にも苦労していますね。
身分制度など、草太が持つ現代の感覚と当時の常識がぶつかり合う様も面白い。当時に生きる人々のリアルが感じられます。
時に迂遠に思うこともあるけど、Web発の小説の中では時代考証を含めて、大変丁寧に書かれているように感じました。
何よりも歴史ものとしての醍醐味としては、史実の有名人物と出会い、物事が転がりだすように進んでいくところでしょう。
本作ではストーリーが進むほどに有名人物が続出しますが、ここで幕府のあの人と縁を結んだことが後にどういった化学変化を起こすのか期待が膨らみますね。
それと、京の中で人探しを手伝ってくれた老詩人は名前だけしか知りませんでしたが、主人公と同じ美濃出身だったのですね。
次の巻で人と材料が揃って、完成まで漕ぎつけそうですかね。非常に楽しみです。というか、3巻はあまり間を置かずに出して欲しいなぁ。

*1:昨今流行りの転生ものと歴史もののどっちつかずな感じだった

*2:肉食文化が無いので、寿命や怪我などで牛馬が死ぬタイミングを待つしかない

吉村昭 『海の祭礼』

新装版 海の祭礼 (文春文庫)

新装版 海の祭礼 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

鎖国の日本に一人の青年がたどり着いた……異国人英語教師を通して開国の背景を描く傑作長篇!
ペリー来航5年前の鎖国中の出来事である。日本に憧れたアメリカ人青年ラナルド・マクドナルドが、ボートで単身利尻島に上陸する。その後、長崎の座敷牢に収容された彼から本物の英語を学んだ長崎通詞・森山栄之助は、開国を迫る諸外国との交渉のほぼ全てに関わっていく。彼らの交流を通し、開国に至る日本を描きだす長編歴史小説
ラナルド・マクドナルド(1824~1894)アメリカ北西部の町、フォート・ジョージで、イギリス人の父とアメリカ先住民の首長の娘の間に生まれる。混血としての将来を悲観し、船員となり世界を巡るうち、日本に強くひかれるようになる。ついに決意し、日本近海で漁をする捕鯨船に乗り込み、ボートで利尻島に上陸を果たす。弘化5(1848)年、マクドナルドは24歳であった。

現在では信じられない話ですが、19世紀までは鯨から取れる鯨油を求めて捕鯨が非常に盛んでした。
新興国であるアメリカにとっても重要な産業であり、太平洋岸にまで領土を広げるや、ハワイ諸島を基地として、鯨を追って太平洋を西へと進出。
ついには日本近海にまで捕鯨船が進出するようになっていました。
当時の捕鯨産業は鯨油が主であり、身体の一部のみ使うだけで、肉を始めとしてほとんどを捨てていて、船内で鯨油を取るために大量の薪を使用していました。
遠くからやって来た捕鯨船が欲するのは水、食料、薪など。
ヨーロッパから来る船は東南アジアから中国にかけて基地を開拓していましたが、太平洋を乗り越えてくるアメリカ船にとってはちょうど日本が補給のために絶好の位置にあったというわけですね。
補給のために近寄ることもあれば、船が故障したり難破して島々に上陸することも当然ありました。
当然、江戸幕府が治める日本では鎖国の真っ最中であり、外国船は見つけ次第に打ち払う命令が出ました。*1
その後、列国の事情が知られるにつれて、打払令は撤回されて薪水給与令(天保13年(1842年))が出されて、交渉には応じられないが、穏便に帰す対応になりました。


そんな状況の中で漂流してきた外国人の扱いもできるかぎり丁寧に扱い、外国との唯一の窓口である長崎に送り、オランダ船で国外に出て行かせる方針だったようです。
前半部分の主人公は貿易商に勤めるイギリス人の父と先住民(インディアン)首長の娘との間に生まれたラナルド・マクドナルド。
外見はインディアンの血が濃く出た黒髪黒目であり、独立して間もない初期アメリカ人とは決定的に違う素質を持っていました。
父の命によって学校で学んでいる時に感じた差別、やがて船員となってからは列強国以外の人種を人とは扱うことなく徹底的に踏みにじる様を目にして嫌気がさすようになります。
そんな彼が憧れるようになったのは太平洋の向こうにある日本という国。
想いが強まったマクドナルドは捕鯨船に乗り組み、捕鯨を終えて帰還する前に自主的に舟を降りたのでした。
ボートに乗って辿り着いた先は北海道の利尻島
怪しまれないように漂流者を装い、海辺でアイヌ人に発見されて、島の役人に保護されることとなったのでした。


かなり意外だったのが、役人たちが異国人の保護にずいぶんと気を遣っていたことですね。
脱走はもちろんですが、体調を崩して死亡させることさえ責任問題となるのを恐れていたようです。
問題(異国人の扱い)を大過なくやり過ごすことを最優先として、トラブルとなって責任を取らされる(切腹させられる)ことを何よりも恐れるのが現代の役人気質に通じているような気がします。
彼らにとって幸いなことに念願の日本上陸を果たしたマクドナルドはきわめて従順でした。
蝦夷での取り調べの後、マクドナルドは長崎に送られます。
実は別の捕鯨船の船員たちが18名保護されていたのですが、自ら進んで上陸したマクドナルドとは違って、彼らは不慮の事故により置いて行かれた立場。
言葉が通じないのはほぼ同じであっても、集団ということもあってか、待遇に不満を抱き、大声で騒いだり、時に脱走までしたことで、次第に扱いが厳しくなっていったのでした。
自由に外に出すわけにはいかない待遇とはいえ、従順なマクドナルドには食事などの扱いも良くなったのですが、会話が通じないのは変わらず。
実は当時の日本人では外国語といえばオランダ語
オランダ以外にイギリスも勢力を増してきていると知って英語を学ぼうとしていたのですが、学ぶ相手がオランダ人であったためにオランダ訛りが強く、いざイギリス人・アメリカ人と会話しようとしてもまったく通じなかったのでした。
そんな中で通詞(通訳)の一人がマクドナルドが日本語を書きとって覚えようとしていることを知って驚愕します。
実際のところ、日本に興味を抱いていたマクドナルドは蝦夷にいた頃から日本人と身振り手振りを通じて言葉を覚えようとしていたのでした。
自分たちが苦労して覚えた英語がろくに通じないことにショックを受けていた通詞たちはマクドナルドを師として本当の英語を教えてもらい、代わりに日本語の教授を行うことになったのでした。


外国からの接触が増え始めていた当時、外国語の中でも英語習得を目指していた日本人にとって、マクドナルドによる授業はまさに目からうろこであった様子がよくわかります。
一番弟子で最優秀とも言われた森山栄之助は後にペリーが来航した際に正しく伝わる英語を駆使して通訳を務めるまでになりましたし、船員たちと雑談ができるほどに上達した様子が描かれています。
マクドナルドとの出会いが当時の日本人にとって、どれだけ大きかったのかがよくわかります。
同じく日本語を習い始めたマクドナルドですが、場所が長崎であるために「good」=「良か」などと長崎弁が混じっているのが微笑ましかったです。
ただ、原則として外国人を国内に留めておくことができないため、マクドナルドの滞在はわずか1年ほどであったのが惜しかったですね。
時代的に許されなかったのはやむを得ませんが、事情が許せば特別顧問として迎えて、両国の架け橋になれたかもしれない人物でした。
別の船から上陸したグループは何度も脱走騒ぎを起こしては最後に牢獄入りしたのとは対照的です。
もっとも、帰国した彼らが自分たちの身勝手さを棚に上げて日本人のことを嘘を交えて悪しく伝えたために対日感情が悪くなったのが残念でした。


マクドナルドたちが帰国するまでは開国前の知られざる外国人事情ということで大変面白く読めました。
その後は主にペリー来航による折衝がメインとなります。
物語というよりは歴史書といった硬めの記述でしたね。
すでに東アジアの通商相手は中国が存在していることから、資源に乏しい日本との通商は二の次で、先に述べた通りに第一に捕鯨船基地として利用したかったこと。
各国の事情により、日本への接し方に差があったこと。
意外なことに日本の知識階級は諸国の情勢に通じていたこと、など興味深い事実が多かったです。
日本が鎖国制度に縛られていたことや技術的な遅れなど致命的な点はありましたが、理不尽なほどに強圧的で相手に忖度せず要求を押し通すアメリカとなんとか場を収めてやり過ごすことに終始する日本という構図はこの頃から定められてしまったような感じがして、なんともやりきれない思いを抱いたものです。

*1:異国船打払令1825年(文政8年)

朱川湊人 『無限のビィ』(上・下)

無限のビィ上 (徳間文庫)

無限のビィ上 (徳間文庫)

無限のビィ下 (徳間文庫)

無限のビィ下 (徳間文庫)

内容紹介

歴史的大惨事となった脱線衝突事故から10年。このところ不可解な事件が相次いでいた。女性がカラスに襲われ失明。白昼の凄惨な殺人。不思議な能力(念動力)を持つ小学生・信悟の優しかった女先生も突然豹変し、彼を執拗に付けまわすようになった。いったい何が起きているのか。背後には太古から地球にいた謎の生命体のたくらみが。信悟は圧倒的力を持つ生命体にいかに立ち向かうか。昭和の下町を舞台に描く、直木賞作家渾身のノスタルジックホラー。

舞台は昭和46年の東京の下町・三崎塚。
10年近く前に高架線上にて脱線した貨物列車に普通列車が衝突。乗客たちが線路を歩いて最寄り駅まで行こうとしたところでさらに別の列車が来て、人々を次々に撥ねたことにより百人以上の死者を出す大事故に発展したというのが背景としてあります。
そのモデルとなったのが国鉄戦後五大事故の一つと言われる三河島事故(1962年・昭和37年)であるのでしょう。


主人公は家が食堂「キッチンたちばな」を経営している立花信吾、小学3年生です。
彼には3つ離れた弟の将吾がいるのですが、頭の中が2歳で止まったまま。いわゆる知的障碍児でした。
しかし兄弟仲は非常に良く、いつも信吾は兄として精神的に幼い弟を近所の意地悪な小学生から守ってあげていました。
実は彼には秘密があり、精神を集中すると見えざる手で物を動かすテレキネシス能力を持っていました。
また、母の都子は結婚するまでは近所の医院に勤める看護婦であり、列車衝突事件の夜は昔の職場に手伝いに駆け付けて、次々と重傷者が担ぎ込まれる修羅場を経験しました。
彼女はその時、確実に死んだはずの少年がゆらりと動き出したのを目撃するという経験をしたのですが、幻覚だと思い込むようにしていました。
一方、三崎塚の臨時教師に赴くつもりであった菜美は帰り道のガード下で後を付いてきた少女に触れられた途端に身体を何者かに乗っ取られてしまい、代わりに少女は意識を失ったように倒れ込んでしまったのです。
菜美に乗り移った何者かはそのまま小学校に赴任して信吾のクラスの担任になります。
彼女はこの町で何かを探していたのでした。
菜美の婚約者であった孝治は彼女が突然音信を絶ったことを不審に思い、三崎塚の彼女のアパートを訪ねるのですが、人が変わったような態度で別れを告げられます。
そして、菜美が小学校に赴任してしばらくした頃から、三崎塚では教師が教頭を刺し殺す事件を皮切りに次々と血生臭い事件や事故が発生していくのでした。


その者はビー玉の由来を聞いて、気に入って自称した”ビィ”。
太古の昔から地球に住み、生きとし生ける様々な生物に寄生して、悠久の時を過ごしてきたのでした。
実体を持たないビィは”押す”だけで持ち主の魂を吹き飛ばして体を乗っ取ることができます。吹き飛ばされた魂はどこに行ってしまうのかは知らないし、別の個体に乗り移ると元の体は文字通り魂が抜けて意識がないような状態となってしまう。*1
おまけに手で触れるだけで味方にできるという能力まで持っていました。
一時的にカラスなどの中に入ることもありましたが、元が女性であるようで、女性の体に好んで寄生して暮らしていたようです。
ビィは寄生した人間の体を使って気まぐれに自身や他人を傷つけてみたり、性交させてみたりと、とんでもない行為を繰り返します。
長い歴史を見てきたビィにとって、地球上では高次元の存在であり、格下の生き物がどうなろうと罪悪感など湧きもしません。
まさに人間が動物や虫をいたぶって楽しむのと同じ感覚なんでしょうね。
ビィによる被害が続いて平和だった街が騒がしくなったきたことを人々は変に思っても、その理由にまで至ることなく。
ただ、菜美を諦めきれない孝治は三崎塚に来るたびに違和感を抱き、ビィの残した痕跡に関わってくることになります。


人ではない何者かが街に入り込んでいる、と真っ先に気づいたのが能力者(拝み屋)であるスザク。
身体の中に探し求めていた同族が眠っていると疑われてビィに狙われるようになった信吾。
しかし、ビィによる犯行は証拠が残らないので他人には信じさせることができない。
頼りとしていたスザクや時計屋の主人であるチクタクさんもビィにやられてしまい、信吾の孤独な戦いが始まります。
かろうじてスザクの弟であるリュウや同級生で片想いの相手である比奈子*2と力を合わせていくのですが…。


ノスタルジックホラーと銘打っているだけあって、人らしい感情を持っていながら人を人と思わない行為を繰り返すビィはまさに怪物のよう。
序盤から登場人物がむごい目に遭ったり、あっさり殺されるなど、小学生が主人公の割には無残なシーンが連続していきます。
人でない存在に気づく人はいても解決の目途は立たず、やや陰惨な雰囲気も漂うのですが、それでも惹き込まれていくのがさすがですね。
町の中で怪物が跋扈しているのに親を始めとして大人は信じてくれない。
信吾は悪の侵略者と対峙するヒーローものの当事者のような役割なのですが、現実では正義のヒーローは来てくれない。
ちょっとした力が使えたとしても、小学3年では荷が重すぎるだろうと思っていながら読んでいました。
後半に入り、ビィが種を撒いた差別による町同士の対立が佳境に入って、目が離せない状況の連続となります。
人は自分勝手で、簡単に他者を傷つける愚かな生き物、というビィの主張を裏付けるように些細な火種*3から大規模な争乱へと発展していくのを見ては、虚しく思えるのは確かです。人の歴史を紐解けば、確かに戦争の歴史であったのは事実ですから。
ただ、ビィ自身が求めていたエイは人には別の印象を抱いていました。
エイとビィが人間に対して別々の感性を持つに至ったのは、そのまま人間が合わせ持つ善性と悪性に近いような気がしますね。


ビィが振りまいた悲劇の顛末は詳しく書きませんが、信吾の周囲でもいろいろと明暗が分かれたことに深い感慨を抱きました。
本当の宿主については後半で少しずつ予想がついたものの、信吾のテレキネシスの種明かしはちょっとびっくり。時々現れる猫がいい伏線になっていたんですね。
菜美のことを諦めずに半死半生状態で意思が通じることができた孝治についてはハッピーエンドになったと信じたいです。
一方的な暴力に晒されたリュウについては、まったく運が悪くて可哀そうとしか言いようがありません。
必要に迫られて想いを告げることができた比奈子とは急速に距離が縮まったかに見えて、思いもよらぬ急展開。
かなり問題ある家庭事情が明かされました。
逆に言えば、だからこそ彼女には大人びた女の気配が感じられたのかもしれません。
だけど、聞かされたのが大人ならばともかく、小学生にはどうしようもないでしょう。
普通の子である信吾のためにあえて絶交した比奈子に強さと優しさを感じられました。
それだけに中学に進んだ彼女の足跡には、そうなってしまうのも仕方ないかと思いつつ、同時に非常に残念な想いを抱いたのも確かです。

*1:死にはせず生命活動は維持している

*2:彼女がリュウと会って早々に惹かれていくのを見て複雑な想いを抱いていたが、信吾のせいで狙われる可能性が出てきたのでやむなく打ち明けた

*3:ビィが焚きつけたのもあるが

若竹七海 『依頼人は死んだ』

依頼人は死んだ (文春文庫)

依頼人は死んだ (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

念願の詩集を出版し順風満帆だった婚約者の突然の自殺に苦しむ相場みのり。健診を受けていないのに送られてきたガンの通知に当惑する佐藤まどか。決して手加減をしない女探偵・葉村晶に持つこまれる様々な事件の真相は、少し切なく、少しこわい。構成の妙、トリッキーなエンディングが鮮やかな連作短篇集。

女探偵・葉村晶による短編集。
以前、著者の作品を読んだ時にチョイ役で登場した記憶がありますが、主役となった作品を読むのは初めてです。


「濃紺の悪魔」
雑誌等に登場して、あれよあれよという間にセレブの仲間入りした松島詩織が命を狙われているとのことで護衛をすることになった葉村晶。短い期間でまるでアクション映画なみに次から次へと命を狙われる不自然さに詩織を問い詰める晶ですが…。
初っ端からホラーというか、後味が悪い内容できましたね。
探偵業復帰後の葉村晶が落ち着いているので、あまり感じないですが考えてみれば結構怖いです。
「詩人の死」
葉村晶の友人・相場みのりの夫が自殺をしたのだが、公務員をしながら詩人として出版した書籍の売れ行きも良く、死ぬ理由など考えられなかった。
依頼を受けて調べ始めた葉村晶は彼の父親が巨大建設会社のワンマン社長であることを知り…。
最後に対面した夫の父親がどことなく死の寸前の豊臣秀吉とダブりました。
順風満帆に見えた男の実情のやるせなさと言いますか…。
「たぶん、暑かったから」
オフィスで女性社員が男性社員を刺した事件を調べる葉村晶。
よくある男女の痴情のもつれと片づけたい会社ですが、客観的に見てもそんな仲であったとは思えず。固く口を閉ざす女性社員。彼女を気にする曰くありげな後輩女性。
葉村晶による考察、それに当の女性社員の独白にしても、そうくるか!と驚かされました。この中では一、二を争うほどに気に入った作品です。
「鉄格子の女」
葉村晶はある画家が住んでいた別荘を訪ねる。長方形をした家には不思議な構造とした中庭があって、画家はそこで絵を描いていた。
中でも絶望しきった表情の妻を描いた絵が目を引くのであった。
男女間の歪んだ愛憎劇をテーマにしているといっていいでしょうか。
当人がすでに死んでいて、淡々と語られているのであまり凄惨さは感じないですが。
アヴェ・マリア
住宅地の中にあった教会で老婆が死体で発見され,教会の聖母像フリーマーケットで売られていたという。
珍しく葉村晶ではなく、男性の同僚による視点。
果たして老婆は自殺なのか他殺なのか。他殺だとしたら殺した犯人は?
思わぬ展開とどんでん返しが楽しめた話。
依頼人は死んだ」
葉村晶と共通の友人を持つ佐藤まどかが自殺をした。
まどかの元には癌を告知する封書が市役所から届いていたのだが、普通はそんな連絡が郵便で来るはずがない。悪質な悪戯かと思って葉村晶が調べ始めた矢先の自殺であった。
表題作では特に癖のあるというか、変人とも言える人物が印象的でした。
そんな中で地味な女性による悪巧みを暴いたのが良かったです。
「女探偵の夏休み」
同居している友人・相場みのりに誘われ,海沿いの高台の由緒あるホテルで過ごす。
ホテルを気に入った常連たちが過ごしていた中、ある晩に女性の悲鳴が聞こえて行方不明になった者がいた…。
結末はなんとなくわかったけど、途中で時系列が混乱してわかりづらかったですね。
一見、高級ホテルに集まるセレブたちのように見えて、実情はお寒いかぎりであったというか…。
「わたしの調査に手加減はない」
大学までずっと一緒であったが、結婚後疎遠になり、2年前自殺した元親友が夢に出て来る。ついては彼女が自分に何か伝えたいことがあるのか調べて欲しいとのこと。
女性ならではの友情の裏に隠れた悪意。こういうのは男性には想像しにくいし書けないと思えますね
もっとも、出世競争などに置き換えれば、似たような陰湿な人間模様もあるだろうけど。
「都合のいい地獄」
アヴェ・マリア」事件の後日譚および「濃紺の悪魔」で登場した謎の男が葉村晶に迫る話。
アクション映画なみにジョットコースターのような展開の連続。
ラスボスは元同業者だったというのはいいんだけど、ラストはちょっと微妙だったかなぁ。


全体的にホラーとハードボイルドテイストが光る短編集でした。
自殺というのが鍵となっているでしょうか。
無愛想ながら頼まれたら嫌といえず、不承不承依頼を受ける探偵というのはいいですね。
一女性を主人公とした短編集でまったく男性と恋愛的な絡みというのがないのも珍しいかも。
かといって周りの男性に魅力がないわけじゃなくて、あくまでも良き友人という存在だけなんですよね。
けっこうエグい内容もありますが、主人公が感情を抑え気味なせいか、淡々とした描写が特徴的でした。
ある程度まで考察されるも、真相は闇の中というのもありますが、中には結局何がしたかったのかわかりづらいのも正直ありました。

西澤保彦 『黄金色の祈り』

黄金色の祈り (中公文庫)

黄金色の祈り (中公文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

他人の目を気にし、人をうらやみ、成功することばかり考えている「僕」は、高校卒業後、アメリカの大学に留学するが、いつしか社会から脱落していく。しかし、人生における一発逆転を狙って、ついに小説家デビュー。かつての級友の死を題材に小説を発表するが…作者の実人生を思わせる、青春ミステリ小説。

吹奏楽部に所属していた中学2年生の”僕”は2年になってトランペットのパートを任されるようになったことで奮い立ち、熱心に練習に取り組みます。
それは取り立てて目立つところのない”僕”にとって、とびきりの存在価値でもあるかのように。
そんな中、吹奏楽部では3年女子のアルトサックスが盗まれるという事件が発生。
部長は音楽的才能に溢れるがエキセントリックなところがあって、たびたび問題活動を起こす2年男子(松本。”僕”は”コーちゃん”と呼ぶ)に疑惑を持ちます。
音楽に関する二人の確執に加えて持ち主の女子生徒を巡る三角関係もあるのではないかと想像します。
盗難事件の犯人は見つからいまま、今度は”僕”の使用していたトランペットが盗まれるという事件が起こります。
しかし、今回はなぜかプールの近くに放置されていたのが見つかって、無事戻ってきました。
やはり同一犯なのか? その理由は? なぜ犯人はプール付近に置いておいたのか?
”僕”は一つ上の教子先輩と事件について推理しますが、結局はわからないまま月日は流れます。
やがて先輩たちが引退して、新たに部長を決める際、なんでも機用にこなし、後輩に対しても面倒見が良いつもりでいた”僕”には誰も票を投じることがなくてショックを受けるのでした。


中学校で相次いだ楽器の盗難事件の謎を追いつつ、主人公の挫折と逃避を繰り返しながらの人生を追っていく青春ミステリと銘打った物語です。
プロフィールからすると、著者自身が作家になるまでの半生をなぞっているかのように描かれているかのようです。
同級生がどういうわけか使われなくなっていた旧校舎の屋根裏で死亡していた謎解きもあって、ミステリ要素も大きいですが、真犯人については評価が分かれるところではないでしょうか。*1
精神的に傷つくのを恐れて「自分が評価されないのは〇〇が悪いのだ」と自己欺瞞に走り、他人の瑕疵を眺めて自身を過大評価、それでいながら追いつきようがない他者の才能を妬みつつ、自分が”主役”になれそうな別の分野へと手を出す。
情けないっていったら情けないとは言えましょうが、ごく平凡な少年にとって思春期とはそんなもの。我が身を振り返ってみれば、そんな風に挫折を経験したり、逃げ出してしまう気持ちを理解できちゃうんですよね。
思い描くような”主役”になれなかった青春を描いたという点では、非常に心を抉られる内容であったのは確かです。
”僕”が一番気にしていた他人の目。中でも才能と容姿に恵まれて一番羨んでいたはずの”コーちゃん”が”僕”をどう見ていたかを最後になって明かされてショックを受けるのが無情でありました。


蛇足として、私はハードカバーの単行本を読んだのですが、表紙が内容に全然そぐわないです。
あれだとコメディかと思ってしまいます。
文庫版の表紙の方が雰囲気が出ていて良いですね。

*1:amazonのレビューを見ると、ミステリとしては反則との意見も