13期・40冊目 『1922』

1922 (文春文庫)

1922 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

8年前、私は息子とともに妻を殺し、古井戸に捨てた。殺すことに迷いはなかった。しかし私と息子は、これをきっかけに底なしの破滅へと落下しはじめたのだ…罪悪のもたらす魂の地獄!恐怖の帝王がパワフルな筆致で圧倒する荒涼たる犯罪小説「1922」と、黒いユーモア満載の「公正な取引」を収録。巨匠の最新作品集。

「1922」
生粋の農家で父祖が残した土地を守り、今後も農業を続けていくつもりのウィルフレッド。
その妻、アルレットは農家でいることに嫌気が差し、土地を売り払って都会へと出ていきたいと思っていました。
転機が訪れたのは妻が相続した100エーカーの土地に企業が買収を持ち掛けてきたこと。ウィルフレッドとしては、もしも妻が土地を売ってそこに工場が建つと、元から持っている農地周辺まで汚されて本業がたちゆかなくなると懸念。
妻が売り払わないよう説得しようとしていましたが、どうにも無駄に終わりそうでした。
息子ヘンリーは幼馴染のガールフレンドがいることもあって土地を離れたくはなく、父寄りの考えを持っていますが、両親が和解することを願っています。

夫の意見に聞く耳を持たず、企業の買収話に乗り気である妻を許せなくなったウィルフレッドはついに妻を排除することに決め、まず息子を取り込みます。
ガールフレンドのことを侮辱されたこともあって、ついにヘンリーも心を決めました。
いざ決行の夜、土地に関して全面的に妻に従うと騙してその祝いに開けたワインで泥酔させると、ズタ袋に包んだ上で苦労して殺害。
あとは血まみれのシーツやマットと共に使わなくなっていた古井戸に遺体を落としたのです。
しかし、それからウィルフレッドは実は妻が生きているのではないかと怯え、遺体を齧ったドブネズミが自分の身の回りにちらつく幻覚に悩まされるようになったのでした。


1922年のアメリカ中西部。
第一次世界大戦が終わって世界は比較的平和を保っていました。
主人公ウィルフレッドの周囲も作物が高値で取引されていて、このまま順調にいくかと思われていましたが、実は大規模な不況は目の前に迫っていた。そんな時代でした。
夫婦仲は決して悪くはなかったものの、土地を巡る諍いが決定的な亀裂を生み、このままでは破滅だと決心した夫は息子を巻き込み妻を殺害する。
そこまではさほど珍しくもない話かもしれません。
しかし、古井戸に捨てるという大雑把な隠匿と勝手に出て行ったという言い訳がすんなり通ってしまった*1ところからウィルフレッドの精神もおかしくなり始め、坂道を転がり落ちるように不幸が連鎖していく様子が描かれます。
あくまでも平和で穏やかな田舎の風景が目に浮かんでくるようですが、ウィルフレッドの周囲が静かに崩壊へと向かっていくあたりはさすがと言えましょう。
やはり普通の感覚の持ち主であれば、殺人を犯した罪の重さに押しつぶされてしまうものなのかと思わされました。
ただ、息子を共犯者に引き入れたことが後の悲劇に繋がったのではないかと思うと、どうにもやりきれないですね。


「公正な取引」
癌に冒されて余命いくばくもない主人公が滑走路脇の道路で出会った男は少しばかり頭がおかしく、精神病院から抜け出てきたのかと疑ったりもしましたが、不思議と惹きつけられるものもありました。
主人公は戯れに男と取引して”延長”を手に入れます。
男が望んだのは主人公が憎む相手。それは幼馴染で今も交友があるが、高校時代に片想いしていた同級生を奪い、事業も成功して幸せな家庭を築いている人物でした。


主人公の悪性腫瘍は奇跡的に消え去り、次々と家族に幸運が訪れて成功を手にしていく。
対照的に幼馴染の家庭は偶然の不運が積み重なって、みるみる間に落ちぶれていく。
その対比が恐ろしいほどでした。
人の幸不幸は一生を通じてみれば公平であり、それまでが偏り過ぎていたのだとすればそうなのかもしれませんが、ここまで極端だとまさに悪魔の所業としか言えませんな。
人の不幸を好む悪魔からすれば、話しかけてきた男の命を延長したことで、絶頂期にある家族が転落してゆくさまを愉しめたことが公正な取引だったのかもしれません。

*1:事情を聴きにきた保安官も旧知の仲であることもあって、最初から疑いもせず、簡単にしか調べなかった