8期・22冊目 『第二水雷戦隊突入す―礼号作戦最後の艦砲射撃』

第二水雷戦隊突入す―礼号作戦最後の艦砲射撃 (光人社NF文庫)

第二水雷戦隊突入す―礼号作戦最後の艦砲射撃 (光人社NF文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和十九年十二月、レイテ海戦に敗れ、敗色濃厚となった日本海軍の中にあって智将・木村昌福率いる第二水雷戦隊は、ミンドロ島米軍泊地に決死の殴り込みを実施した―太平洋戦争の掉尾を飾った勝利の夜戦を克明に描く迫真の海戦記。戦後、インタビューで浮き彫りとなった栄光の瞬間を捉えたノンフィクション。

レイテ海戦以降、着々とフィリピンへの攻勢を進める米軍。
レイテ島確保後はフィリピンの中心であるルソン島侵攻に先だってミンドロ島への上陸を企図します。
事前調査によって島の日本軍兵力は非常に少ない*1とみなしましたが、そこは米軍、片手間の作戦と言えどきっちり護衛・輸送の部隊を仕立てあげて上陸を敢行します。
ガダルカナル戦に見られるように、相手を過少に評価して中途半端な戦力を投入して敗れるのを繰り返していた日本軍とは逆に、敵戦力を多めに見積もってなお過大とも言える戦力を整える米軍というのが対照的ですね。


一方、制空権はもとより跋扈する潜水艦により海上の安全も脅かされて崩壊気味の日本軍。
五月雨式に特攻機にて細々と抵抗するのみという状況が詳細に記述されています。
そこで少しでも米軍のルソン攻略を遅らせるために、現地の水上戦力をかき集めて基地化を進めているミンドロ島に殴り込みをかけようというのが礼号作戦でした。
とはいっても相次ぐ海戦や航空機・潜水艦からの攻撃を受けて艦船の消耗が激しく、加えて必死の輸送作戦のために駆逐艦は引っ張りだこ。最小単位である4隻の駆逐隊も満足に編成できず、1,2隻単位であちこちに駆り出されている様子がわかります。
それでも何とか第二水雷戦隊として集められたのが以下の5隻の駆逐艦
霞、朝霜、清霜、榧、杉、樫
それに現地で戦闘可能であった重巡洋艦・足柄と軽巡洋艦・大淀が加えられました。*2
司令官は木村昌福少将。

木村昌福とは編集

奇跡の成功と言われるキスカ島撤収作戦で有名な木村少将については以前にも本を読みましたが、兵学校での成績は下から数えた方が早いくらいであっても、上から指令に逆らってでも決して無謀な行動はせず、冷静沈着で部下思いの優れた海の将であったことはここでも記されていますね。
著者は戦後になって直接取材もしていますが、運悪く礼号作戦のことを具体的に聞く前にご本人が亡くなられてその機会が無くなってしまったのが残念。


結果的に虚を突かれた米軍の少ない抵抗を退けながらミンドロ島泊地に砲雷撃実施、逃げ遅れていた輸送艦や飛行場・物資などに損害を与えた一方、清霜が沈没し各艦に死傷者を出しながらも無事に帰還。「太平洋戦線における帝国海軍の組織的戦闘における最後の勝利である」とも言われます。
敗戦続きだった日本海軍にとっては久しぶりの凱歌であったわけですが、同時のその戦果は大勢に何の影響も与えなかったというのが結論でもありました。
内容的には個々の戦闘記述について詳細でありながらも読みやすかったです。
日米双方の記録を照らし合わせながら追っているのですが、錯綜した状況では現場の心理が多大に影響して正確な状況把握がいかに難しいかということが実感させられます。
情報集能力に劣っていた日本側はともかく、これだけ戦力差があっても米軍の誤認が続いていたわけですから。
戦闘はミスが少ない方が勝つと言われますが、戦争後半の中でも礼号作戦は運に恵まれていたことに加えて相手の隙をつくことができた数少ない例だったと言えるでしょうね。

*1:ルソン島集中配備の方針のためにわずか100名程度の小部隊しか置かなかった

*2:航空戦艦として改造された伊勢・日向もあったが低速のために外された