7期・11冊目 『関東大震災』

新装版 関東大震災 (文春文庫)

新装版 関東大震災 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
大正12年9月1日、午前11時58分、大激震が関東地方を襲った。建物の倒壊、直後に発生した大火災は東京・横浜を包囲し、夥しい死者を出した。さらに、未曽有の天災は人心の混乱を呼び、様々な流言が飛び交って深刻な社会事件を誘発していく―。二十万の命を奪った大災害を克明に描きだした菊池寛賞受賞作

東日本大震災からほぼ1年。今度は首都圏が大地震に見舞われるといった噂もささやかれるようになりました。
実は大正年間に起こった関東大震災からもうすぐ90年。作品内では1855年安政江戸地震が触れられていますが、M8クラスの首都圏直下型地震は200〜300年周期であるものの、M7クラスとなるともう少し短い100年以内の周期で発生しているのですね。*1
こういう機会だからこそ、意外と詳しく知らないこの大震災について読んで知っておこうと思った次第です。


頻発する東京周辺の地震をきっかけに、やがて大地震が発生するのではないかと不安に駆られパニック寸前の民衆と、対応に苦慮する当局や地震の専門家を描く書き出し。
専門家による大地震は近いとの言が更なる世論のパニックを引き起こし、それを鎮火させるためもあって、今度はあえて大地震は来ないとアピールする。当時地震研究の権威であった今村・大森両氏による確執は結果的には「地震はある」とした今村氏の判断が正しかったわけですが、改めて地震予知とその周知方法の難しさが浮き彫りにされており、それは現代においてもなんら変わっていないのだろうと思わされるものです。


そして大正12年9月1日、午前11時58分、大激震の発生。
震源に近い関東沿岸部では、ほぼ新旧の例外なく崩壊した建物はもとより、地形までもが次々と変化していくその描写は淡々としていながらも迫力あります。
しかし大地震による影響は、その後に起こった火災や人々の混乱にこそあったということが具体的に綴られていくのです。
ちょうど昼前で一番火が使われていたという不運なタイミングに加えて地震により消火がままならぬ中、公園などに避難した人々に複数箇所から発生し合流して巨大化した大火災が襲いかかる。ことに火災旋風によって人だけでなく荷車やトタン板といった重量物まで空中に巻き上げられていく様がすさまじい。
とりわけ5万人規模の避難先であった被服廠跡の生き残り被災者の証言をもとにしたその記述はこの世の地獄を見るようでした。


そんな中で見事な結束と不屈の意志で延焼を防いだ神田地区住民や、強引に荷物を捨てさせる*2ことによって避難を成功させた警官というような美談もあるのですが、いわゆる火事場泥棒の類や朝鮮人社会主義者の抹殺という、震災における人間の負の面の方が強烈なのは仕方ないでしょうか。
朝鮮人虐殺についてはその詳細が具体的に書かれているのですが、まったくの憶測・妄想・曲解の類から始まったデマが情報源を失った人々の間に広まるにつれていつしか事実として捉えられ、報道や当局を動かし、自警団の結成とその過剰な暴力にまで発展してゆく。やがて日本人・朝鮮人に関係なくいったん「敵」と認定したら躊躇なく人を殺してしまうという心理が恐ろしい。


地震は天災ですが、同時に人災をももたらします。そして巨大な人口を抱える都市の復興の難しさまで言及されていることが本書の特徴であります。
現代においてハード的には防災対策が進んだように思えますが、人々の心理やインフラというようなソフト面では進歩したというより、別の意味で脆弱さを抱えているような気がします。そういう今だからこそ、こういった過去の震災を教訓としなければならないと思うのです。

*1:http://www.bousai.go.jp/syuto_higaisoutei/pdf/higai_gaiyou.pdf

*2:避難者の荷物から引火することが多かったとのこと