大人の階段登り始めた?

この前の日曜日のこと、妻が帰宅後にテーブルに長方形の箱(目測10cm×5cm×2cm)が置いてあった。
なんか煙草に似ている気がする。
ここだけの話(ってブログで書いても意味ないが)、かつて喫煙者だった妻だが、妊娠前だから12年以上前に辞めている。
このご時世、まさか復活?
と思いながら手に取ってみたが意外とずっしり。
実は化粧品でした・・・。

というのも、妻が前日の土曜日に帰宅して、娘の部屋に入った時に気づいた。
娘が化粧品を使って眉を書いていたことに。
ちょうど私は午後昼寝をし過ぎてしまい、起きて溜まっていた用事を大急ぎでこなしており、その間は娘は部屋に籠っていたので気づかなかった。
もともと化粧の知識などあるわけなく、普通に眉があるのにさらに書き込んでいたのでかなり変だったらしいが。
去年くらいから髪型やお洒落に気を使うようになった娘なので、やっぱり化粧品にも興味を持ち出す年頃なのか。

女子は子供であっても七五三や発表会という場で濃いめの化粧をされる。
晴れの舞台だから、写真に撮って家に飾ってあるわけだ。他人がどう思うが関係なく我が子だから可愛いと口にする。
あと出かける時に妻が化粧しているのを見ているのも影響あるだろう。
他に同居している大人の女性(祖母やおばや歳の離れた姉)という比較対象がいればまた違ったのかもしれないけれど。

そういえば、私もちょうど高校に入りたての頃に父親の整髪料を使ってみたことがある。私の時代は中学は強制坊主で、やっと高校生になって髪を伸ばせるようになったからだ。
なんか妙な匂いがつく以外にあまり意味なくて、結局はあの頃流行り始めたムースを使うようになったが。

大人の階段を登り始める年頃の、後からすれば笑い話になるエピソードかもしれない。
しかし大人目線からすれば、子供にそんなもの不要だし、いざ自分が使う時に無くなっていると困るし。
そういうわけで当日の娘は妻からお説教をもらうことになったのであった。

電車内にて

通勤電車の座席に座っている時、隣に座られるのは男性より女性の方が好ましい。
いや変な意味じゃなくて、それは単純に平均的な体格の問題。
例えば7人掛けの座席に男ばかり横に並ぶときつきつ。
最近は暖かくなったのでましになったが、冬は皆着込んでいるのでなおさらである。
そこで間に女性が入ってくれると多少空間的に余裕ができる。

自分自身はそう横幅があるわけではないはずなんだが、体格がいい男性に挟まれるとたいそう窮屈な思いをする。
しかも中には俺の空間だ!と言わんばかりにドスンと勢いをつけて座り、わざわざ肘を張ったり足を広げてくる人がいるのが困りものである。
だいたいそういうのは中高年男性に多い。
それでいて窮屈なのを人のせいとばかりに睨んできたりするので始末に負えない。

去年にはこんなニュースもあった。
駅員への暴力「60代以上」がトップ 結果にネットでは「納得」の声 J-CASTニュース
単純に世代別の人口が多いから悪目立ちもあるのかもしれないとも思えるけど、印象でいったら若者の方がよっぽども気を遣っていて、5,60代くらいの男性の方がマナーがなってない気がする。
個人的にも電車内で鞄をぶつけられたり、ドア付近で強引に押されたりという日常的に嫌な経験としては年配のおっさんが圧倒的に多い。
リタイヤしたそれ以上の世代を除けば、5,60代くらいって社会的には一番上の年代。それなりに地位を得ていたりするのだろう。
だからといってそれが会社の外でも通用すると勘違いして横柄な態度に出ているんかね?
ただでさえ通勤電車内は人同士が至近距離になりやすく快適とは言えない空間なのに、配慮に欠ける自己中なおっさんがいるだけで不快指数が上がってしまうのだ。

今日、また電車で嫌なことがあって、その相手がまた50代くらいのおっさんだったのでつい勢いで書いてみた。

幻と消えたピアノ演奏

来月下旬には娘の通っているピアノ教室の発表会がある。
本番まで約一か月。今は仕上げに向けて毎日練習に余念がない。

発表会はだいたい1年半に一度の開催され、ソロの曲と連弾(二人で弾く)の二回演奏する。
連弾では先生と弾く場合もあれば親子だったり友人同士だったり組み合わせはいろいろ。違う楽器と協奏する場合もある。
さらにクラシック曲中心のソロと違って、連弾の曲は何でも有りでアニソンからJ-POP、ゲームメロディだってあったりして、一般客も楽しめる構成となっている。

それで話しは去年に遡る。
我が娘のソロ曲はだいぶ前から本人が弾きたいという曲があって早々に決まっていたのだが、連弾の曲および誰と弾くかが未定だった。
そこで妻が一言。
「娘と連弾できるのなんて小学生のうちまでなんだから、あなたやってみたらいいじゃない?」

かるーく言ってくれるが、私は音楽を聴くこと自体は好きでも演奏は大の苦手。
課題でリコーダーなどを吹かなければならなかった時は本当に憂鬱だったもの。
小中学生時代の音楽の成績で演奏が関係する時はいつも5段階中2の低空飛行だった。

しかし最初で最後の娘との連弾の機会ということで心は動いた。
そんな話をしていたのが11月の初め頃だったか。発表会の詳しい時期は決まってなかったが、2~3月と言われていたから練習する時間はたっぷりある。
しかも連弾では上手は人の方が主旋律を両手で弾くので、パートナーは片手だけとか両手でもさほど難しくないようにできるらしい。
ど素人から始めても練習で体に覚え込ませればできるだろう。
それで少しは希望が湧いて、前向きに検討することになった。

ネットで調べてみると、素人からでもピアノを学ぶため音符の読み方から教えてくれるページがあったりする。
だから単に弾く鍵盤を丸暗記するのではなく、せっかくだからちゃんと基礎を抑えておこうかと思ったりした。
でもまだ時間はあるから焦る必要無くて、むしろ何の曲を弾くか考えるとちょっとわくわくしてきた。
最近はyoutubeで歌を検索するとピアノで演奏している(プロからアマチュアまで))動画が多くアップされているのでイメージしやすい。
自分が十代の頃好きだった曲がいいなー、でもなるべく今の子たちでも知っていそうな曲を選んだ方がいいかー、などと考えていた。
一方で娘は娘なりに好きな曲を選ぼうとしていたので、いざ決める時に揉めそうな予感はしていたが・・・。

12月に入ったあたりから娘がピアノの先生の影響でレ・フレールという兄弟ピアノデュオにハマる。

Les Freres レ・フレール On y va! - YouTube

CDを借りたり、妻も巻き込んでクリスマスコンサートに行ったり。
しまいにはその曲を弾きたいと言い出した。
しかしレ・フレールの曲を一緒に弾くには経験者でないと厳しい。
歳が近い子と組むことも考えられたが、結果的に先生との連弾に決まり、父子連弾は幻と消えた。
まぁ曲が決まらないどころか、こっちはまだピアノの鍵盤さえいじってなかったんだけどね。
なんだかんだいってやっぱり楽器が怖かったのかもしれない。
考えてみれば娘のピアノ上達度からいって、素人の私も弾ける程度の曲に合わせたのでは物足りなかっただろう。
今では少し残念な気がするけど同時にほっとしていて、やっぱり娘のピアノは聴く立場として楽しみたいというところで落ち着いている。

消えた景色

自宅から駅までの通り道はほとんど住宅地だが、ある一角だけ雑木林として残っている土地があった。
通りに面する部分は竹の柵で仕切られているが、三階建ての建物をゆうに超えるほどの高さの樹木が生い茂り、入ったことはさすがに無かったが中は昼でも薄暗いような鬱蒼とした林だった。
夜に通ると風に揺れる木々の影が何か化け物のように見える・・・そんな子供の頃を思い出させるところだった。
当然、夏にはクワガタやカブトムシがたくさんいるに違いない(今時の子供が採りに行っているかわからないが)。虫だけでなくいろいろ小動物が生息していそうだ。
でも外から見た感じ、木々の密度が高いから入っていくのも大変そうじゃね?でも自分が子供だったら探検心がくすぐられるよね~。
なんて想像をかきたてられる場所だった。

うちの方はちょうど市街地の外れの方なので畑や田んぼは珍しくなかったが、まとまった雑木林はあまり見られない。それは平野部なので山が近くに無いせいもあるだろう。また市街地の狭間に残っていたのが珍しかったというのもある。
ちょうと隣が寺だったので昔からその所有地として残されていたのかと推測していた。
付近には塀でぐるっと囲まれた旧家っぽいお屋敷も数軒あるが、そういった元からの家を除けば、昭和の途中までこんな林は珍しくもない鄙びた景色だったのだろうね。

それが去年秋頃に突然伐採が始まり、みるみる間に木々は刈られてただの野原になっていった。
さすがに数本の巨木は枝が切られた状態でしばらく残っていたが、今じゃすっかり更地になっている。
思ったより広さは無くて、分譲地にしたとしてもせいぜい家2~3軒分って感じかな。

今の道を使うようになって約8年。
引っ越してきた頃は新鮮だった街並みも年月経てばすっかり馴染んでくる。
家を取り壊したり新たに家を建てたり店が替わるというのはたまに見られる風景で別に珍しくはないけど、あれだけの雑木林があること自体はここらへんでは貴重で、それが無くなってしまったのは第三者ながら寂しい気がした。

すれ違い

おせちや年越し蕎麦・お雑煮用の具など年末年始用の買い物は12/30以前に購入済だったけど、買い忘れたもの・別途必要なものがあったために大晦日の午前中に隣市のショッピングモールに行った。
まず最初は二手に分かれて私は灯油を買い、妻と娘は電器店に行き、終わり次第ホームセンターに行き、中でケータイで連絡を取るという段取りになっていた(最後に食品を買う)。
私が灯油を買って車に入れた後、急に生理的欲求が来たので一応メールをしておいてトイレに行き、すっきりしてからホームセンターに行ったが妻と娘はいない。
ケータイに電話しても出ない。
妻はケータイをバッグに入れっぱなしで賑やかなところだと気づかないことがあるので、店内を回りながら時間を置いて何度もかけてみるが出ない。

見るだけと言っていた電器店がそんなに時間かかるのか?
それともホームセンターではなく、食品店で落ち合うと勘違いしているのか?
それにしてもなんでケータイに出ない?
こうなったら一旦ホームセンターを切り上げ、探しに行こうと電器店に行って探し(当然いない)、次にもしやと車のところに行ったらいた!
この時点でかなりイライラしていた私だったが、妻がケータイを忘れてしまったのだという。
そのためにトイレに行ったというメールは当然届かず、電器店からホームセンターに来た妻と娘は私に会えなかったので早々に買い物を済ませて、次の食品店での買い物もしてきたところだったという。
じゃあ私が40分も待っていたのはなんだったのか、心の中で振り上げた拳を降ろすことができずにしばらくもやもやしたままだった。

そして今日、妻実家に年始の挨拶に行った帰りにお年玉を使いたい娘と友人にプレゼントの品を買いたい妻が地元のショッピングモールに寄ることに。
自分は特に用事は無いし、初売りで駐車場が付近の交差点から行列ができるほど混んでいたので近くで二人を降ろし、後で迎えに来るということで一旦家に帰ることにした。
今度は妻にケータイを持っていることを確認し安心して帰宅したのだが、はたと気づいた。
家の鍵は妻が持っていることを!
しょうがないから電話するが、またしても出ない。
ショッピングモールまで行ってみるも、駐車場に入るための車の列は相変わらず。
Uターンして再び電話しても出ない。
車を置いて自転車で行こうにもそのカギだって家の中。うーむ。トイレにも行きたくなってきたぞ。
結局30分くらいして(賑やかなところにいたので着信に気づかなかったという)妻から電話あったのだが、家の鍵は最初から車の中にあったという・・・。

家族の買い物に付き合わされるパパは待ち時間が増えるわけだが、それを回避しようとした策が裏目に出た年末年始であったとさ。
ケータイという便利なツールがあっても、確認をちゃんとしておかないと無駄になってしまうよねぇ。

師走

12月に入って半ばくらいから年の瀬が迫ってくる感じがなんとなく好きだ。
クリスマスが過ぎると一夜にして街は一斉に新年を迎えるモードに変わる様を見るのも面白い。
むろんこの時期は何かと忙しいことは忙しい。
年賀状作成とか大掃除とか年末年始のための準備に買い物(色々と物入りだ)など主に家のことでだが。うちの方は年内に雪が降ることは滅多にないけどタイヤ交換やフローリングのワックスがけも12月に行うことが多い。
一方、仕事で12月が大変だったという記憶はあまり無い。むしろ年末は人も少なくなって意外と暇になる(逆に忙しいのは年度末ね)。唯一の例外は2000年問題の時だったな。
個人的には通勤電車が空いてくるのも嬉しいことだ。

年末の諸々のことを大晦日の夕方までに終え、夜は家でテレビを見たり食事してくつろぎ、今年も無事歳を越せたねとほっとする時間である。夕飯はもちろん年越しそばだし、知らない歌手や歌も多いけど紅白も見てる。
おそらく非日常的でありながら毎年恒例のイベントだからなんじゃないかと思ってる。
毎年の行事ごとを無事こなすことに安心するのは自分がおっさんである証拠なのかも。
そういう意味では季節は違えどお盆と年末年始は似ているのだけど、うちの場合遠く離れた故郷に帰省することが無い。
その分、お盆よりも年末年始の方がいろいろやることがあってイベントらしさがあるのかもしれないなと思ってる。

だったらあなたがやれ

娘は平日でも最低1時間、休日ならば2時間はピアノ練習にあてている。
音楽苦手(単に聴くのは好きだが演奏全般がダメ)な私と違って、妻は昔習っていたことがあるので楽譜も読めるしある程度の指導はできる。
もっとも最近は娘の弾く曲のレベルが上がってきて、合ってる間違ってるの判断はできるが、それを弾くことはできない。

でもってこの二人が感情的になりやすく、弾いている内容などで言い合いになり、ヒートアップしてくるとその場にいる私としては戦々恐々としてしまうこともあるわけ。
娘も口が達者になってきただけど、やはりそこは子供。正論では大人には敵わない。
とはいえ感情的になって素直に認められない手前、こんな台詞が出るわけだ。
だったらお母さん弾いてみせてよ。どうせ弾けないくせに

話は変わるが、家のことで妻に意見を言った時、虫の居所が悪いと嫌味で返されることがある。
それが可能ならばまだしも、たいてい無理強いなレベル。
ピアノ練習の例でいえば、妻と娘が言い合いとなった時
私「言いたいことはもっともだけど、いきなり頭ごなしに怒るのはどうかと思う」
妻「・・・だったらあなたが教えてやれば?
親子はやはり似るんだなぁ。

そういう私だって日常の中で「だったらあなたがやれ」と言いたくなる場合が無いわけでもない。
・間違えた、失敗したことに対して、後から「こうすれば良かったんだよ」と得意げに言われた時。
・人に頼んでおいて、その結果に対して真っ先に文句を言われた時。「そうじゃないんだよ。わからないかなぁ?

実際のところ、これがなかなか言えないんだけどねぇ。
というか自分の中で「だったらあなたがやれ」は会話を断ち切る発言であり、よっぽど怒った時じゃないと言えない最終手段だと思っているんだが、妻と娘の中ではそうではないというのが困りもの。
これが他人だったらその後の関係に響くけど、家族だから口喧嘩しても修復が容易いというのがあるのかもしれない。
ただ問題は言う人・言われる人がほぼ固定されていることなんだが・・・。