10期・42冊目 『破獄』

破獄 (新潮文庫)

破獄 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
昭和11年青森刑務所脱獄。昭和17年秋田刑務所脱獄。昭和19年網走刑務所脱獄。昭和23年札幌刑務所脱獄。犯罪史上未曽有の4度の脱獄を実行した無期刑囚佐久間清太郎。その緻密な計画と大胆な行動力、超人的ともいえる手口を、戦中・戦後の混乱した時代背景に重ねて入念に追跡し、獄房で厳重な監視を受ける彼と、彼を閉じこめた男たちの息詰る闘いを描破した力編。読売文学賞受賞作。

予め断っておきますと、実名で書くといろいろ差しさわりがあるため、仮名で記載されていますが、実在の人物をモデルとした小説となります。
佐久間清太郎(仮名)は昭和11年に強盗殺人犯として検挙されて以来、青森刑務所を皮切りに昭和23年の札幌刑務所に至るまで、厳重な警戒の中で4度に渡って脱獄を成功させ、そのたびに追っ手から巧妙に逃れ、自首でしか捕まえられなかったという、当局を戦慄させ、伝説の囚人として知られた人物です。


その脱獄の様子を刑務所側から詳細に描かれているのですが、小さな針金や便所のたがを外して軽々と手錠を外す器用さだけでなく、壁伝いに天窓を破ったり木材を使って高い外壁を超えるなど、超人的な運動能力を見せています。
それだけでなく、一回外に出ただけで逃走経路を掴んだり、演技によって自らの工作跡を隠したり看守を脅すことによって監視の隙を作るなど観察力や心理的駆け引きにも優れていたことがわかります。
自分に対して特に厳しい態度を取った看守の当番の時を狙う反骨心がある一方で人情を持って接してくれた看守の自宅に自首するという人間らしさを見せたようです。
鍵穴の無いボルトの手錠を外すために味噌汁を少しずつ湯呑に移し、その塩分で鉄の腐食を図るなど脱獄に向けての地道な努力、それを頻繁な監視のもとを行うなど並大抵な精神力ではありません。
看守の一人が嘆息したように、もしも犯罪に手を染めることなければその異能を別の分野で発揮できていたのかもしれません。


また、佐久間清太郎の脱獄を通して、その時の刑務所がどのような状況に置かれていたかが詳しく書かれているため、行刑史を記したノンフィクションを読んでいるかのような感覚になります。
若い看守の出征による人員不足、逼迫する食料事情、そして空襲による混乱・・・etc
戦局が苦しくなるにつれて刑務所の置かれた状況も厳しくなっていったことがよくわかります。
食料配給が徐々に減らされていく中で、刑務所での囚人への食料減も検討されたが、少ない楽しみである食事を減らすことは囚人の不満が溜まり暴動に繋がるということで米と麦が一人あたり一日6合は終戦まで維持されたという。
その代わりに副食が極度に減らされたために栄養失調で死ぬ囚人が激増したり、囚人の食事量が羨ましくなってそれを奪う看守がいたり。
一方、監獄としての厳しさで知られる網走刑務所でしたが、広大な農場を経営していたために食料事情としては最も恵まれていたというのは意外でしたね。
佐久間清太郎については最終的に設備の整った府中刑務所(東京)に移す指令がGHQより出されましたが、戦後は占領軍が車両を優先的に使用していたために汽車の座席確保が難しく、結局米軍が保持する貨車を融通してもらって、一両丸ごと移送のために使用したが、貨物車両ならではの苦労があったとか。
いろいろと当時の状況が伝わってくる内容でしたね。


府中刑務所に移送された後、脱獄に対する刑務所側の方針としては、これまでのように厳格なものではなく、佐久間清太郎を一人の人間として温情をもって扱うようになりました。
それは結果的には40代に入って体力が衰え、脱獄を考えることに「疲れてきた」と言った彼の精神にもマッチしたため、以後仮出所まで穏やかに過ごすことになったということでした。
全ての囚人には当てはまらないでしょうが、偶然にもその時の佐久間清太郎に対しては「北風」より「太陽」の方針が成功したということなのでしょう。