7期・61冊目 『海上護衛戦』

海上護衛戦 (学研M文庫)

海上護衛戦 (学研M文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
シーレーン(海上交通線)問題をぬきにして、日本の軍事問題は考えられない。資源物質のほとんどを海外に依存している日本は、この海上交通線を断ち切られたら、たちまち軍事生産力は崩壊してしまう。太平洋戦争時、このシーレーン確保のために様々な研究と実践を体験した著者が、実例をもとにして綴った海上護衛戦の記録。現代のシーレーン問題を考える上でも、欠くことのできない貴重な体験記である。

本書はもともとアメリカの大学への留学経験などから対英米戦反対派の海軍士官であり、昭和18年から海軍護衛総隊の参謀として務めていた著者により戦後間もない昭和28年に刊行されたものです。
昔から太平洋戦争戦記と言えば、戦艦空母航空機による華々しい戦いぶり、または悲惨な玉砕戦が主だったかと思います。
そんな中で海上輸送およびその護衛は戦争の裏方・日陰という扱いをされつつも戦争遂行だけでなく、国民生活においても重要な役割でした。それが戦争の進展とともに崩壊していった実態を書いた本書は「血湧き肉踊らざる戦記」などといった感想が多数寄せられたとか。
とはいえ、どんなに頑強な人間でも水食糧無しには生きていけないのと同様に戦争というものは兵站無しにはいかないもの。
そもそもが石油などの戦略物資の禁輸政策によって追い詰められた日本が南方資源を求めて始めた戦争のはずなのに、そのシーレーン保護を等閑にし、決戦主義に陥ってしまった軍。
緒戦の勝利に浮かれている間に連合軍によってその輸送網の脆弱な部分を突かれて、有効な手立てもせずに基本となる国力そのものを失い衰弱してゆく。
その過程が開戦から終戦までこれでもかというくらい知らされます。


太平洋戦争の敗因は昔からいろいろと取りざたされています。
緒戦の勝利に惑わされて、やたら戦線を広げてしまったこと。
精神主義に陥り、冷静な戦略判断、情報分析をしなかったこと。
そもそもが段違いに国力に差がある相手に戦争をふっかけたこと。
そのどれもが正しくもあるとは思います。
しかし本書で何度も論じられているのは、近代以降の日本という国が成り立つ上で必要不可欠、いわば人間で言えば動脈に当たるシーレーンの重要さと脆弱さを国・軍の上層部のほとんどが認識していなかったために敵に散々に食い破られた結果、まるで失血死のような無残な敗戦を迎えたということでしょう。
最初は潜水艦、そして戦況が悪化するに連れて機動部隊の航空機によって東シナ海を行き交う貨物船・タンカーが次々と沈められ、資源の枯渇によって軍自体の存亡に関わることがわかってやっと海上護衛に力を入れるようになりました。
しかしそれはあまりに遅く、その間に支払われた犠牲はあまりに多かったのでした。
下記は大和特攻のために護衛艦隊に割り振られるべき燃料が取り上げられたことを受けての著者自身の有名なエピソードです。

「国をあげての戦争に、水上部隊の伝統がなんだ。水上部隊の伝統がなんだ。馬鹿野郎」
そうどなりつけるように行って、ガチャンと受話器をかけた。
(中略)
彼は長い間、連合艦隊の行き過ぎが、日本を毒していると考えてきたのだが、いま、その連合艦隊主義の毒素のありかを、ハッキリと、つきとめた気がした。
「伝統」「栄光」みんな窓外に見えるように美しい言葉だ。しかし、連合艦隊主義は、連合艦隊の伝統と栄光のために、それが奉仕すべき日本という国家の利益まで犠牲にしている。


日本という国は海に囲まれて資源に乏しい実情から貿易によって立つのは今も昔も変わりありません。
今よりも食糧の自給自足率が高かった戦中においてさえ、日本海海上輸送網が壊滅して大陸からの穀物輸入が途絶えたことにより配給減の事態となったとか。
もしも今、海上の平和が脅かされ、輸入製品が激減してしまったら?
たちまち日々の暮らしが立ち行かなくなることが想像できて背筋が凍ります。
そういう意味では、派手なドンパチが描かれた戦記よりもよっぽど読まれる価値があるでしょうね。