荻原浩 『金魚姫』

金魚姫 (角川文庫)

金魚姫 (角川文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

勤め先の仏壇仏具販売会社はブラック企業。同棲していた彼女は出て行った。うつうつと暮らす潤は、日曜日、明日からの地獄の日々を思い、憂鬱なまま、近所の夏祭りに立ち寄った。目に留まった金魚の琉金を持ち帰り、入手した『金魚傳』で飼育法を学んでいると、ふいに濡れ髪から水を滴らせた妖しい美女が目の前に現れた。幽霊、それとも金魚の化身!?漆黒の髪、黒目がちの目。えびせんをほしがり、テレビで覚えた日本語を喋るヘンな奴。素性を忘れた女をリュウと名付けると、なぜか死んだ人の姿が見えるようになり、そして潤のもとに次々と大口契約が舞い込み始める―。だがリュウの記憶の底には、遠き時代の、深く鋭い悲しみが横たわっていた。

主人公は転職した先の仏壇仏具販売会社が典型的なブラック会社で、しかも課長から目をつけられていびられる日々。
営業成績も伸びずに時間も収入も思うようにならない中で同棲していた彼女とも破局。今では鬱を患ってしまい、酒に溺れながら死を考えるようになっていました。
明日は月曜日でまた地獄のような一週間が始まる前の晩、ふと誘われるように行った近所の祭の夜店で金魚すくいをやってみます。
祖父の手ほどきを思い出して、見事に赤い琉金をゲット。
古本屋で入手した『金魚傳』の飼育法を参考にして飼い始めることにしました。
すると突然、まるで水から出てきたばかりのように身体中濡れそぼり、赤い衣装をまとう妖しい女が部屋に出現。
始めは幽霊かと思った主人公は恐慌状態に陥りますが、長い黒髪に黒目がちの目をした彼女は霊ではなく実在する女性。*1
彼女の正体はすくってきた赤い琉金
彼女は時間制限があるものの、琉金から人間へと変化する不思議な存在であり、記憶を失っていたことから、主人公によりリュウと名付けられました。
現代の常識は一切持ってなく、テレビで覚えたセリフを繰り返す彼女のことを放っておけず、苦労しながら世話をしていきます。まるで彼女がいなくなった寂しさを紛らわすように。
主人公はリュウと出会ってから死者を見るようになり、会話まで可能となったのですが、そのおかげで今まで壊滅的だった営業成績がぐんぐん伸びるようになっていくのでした。

横暴な太守・劉顥が欲したことにより、許嫁を目の前で惨殺された上に無理やり娶られようとする婚儀の途中で逃げ出し、崖の上から身を投げ出したリュウ(本名:楊娥)の過去が語られるのです。
その後、リュウはしばしば時空を超えて現れ、劉顥の子孫が沖縄から長崎へと流れていくのを執拗に追って度々復讐を仕掛けるのです。
最後は1945年8月9日、『金魚傳』の著者の手元にあり、長崎に原爆が落ちた日を最後に消息を絶っていましたが、記憶を無くした状態で主人公にすくわれたのでした。


序盤はとにかく主人公の置かれた状況が悪すぎて、心を病むとはこういうことかと思わされるくらい暗かったのですが、リュウが登場してからは雰囲気が一変しますね。
人間でいられる時間が短い上に過去からタイムスリップしてきたかと思うほどの非常識ぶりに振り回されるのですが、テレビCMから覚えた言葉や仕草をやたら使ってみたり、えびせんが大好きだったり、とにかく愛らしいです。
金魚生活が長かったリュウとの会話が微妙にずれるのも面白い。
死者の未練を知った主人公が残された家族に伝えることで結果的にセールスも上がっていくのも良くて、ブラック会社の精神的呪縛から抜け出ることもできました。
でも、ショックだったのが別れた恋人の亜結の顛末でしたね。
一方で、過去のリュウは林と名を変えて日本で暮らす子孫を追っていたのですが、主人公の勤め先の社長が林であり、主人公自身も長崎出身であることから、なんらかの因果があるように思えてきて、読むほどに先が気にかかってしまうのでした。
なんらかの修羅場があるだろうと思わせておいて、最後は意外な展開でしたね。
死や死者が身近にあったことから、一見ホラー気味でありながら、むしろ全編に漂うのは人が抱く様々な哀しみであったように思えます。
それゆえにエピローグはほのぼのしていて良かったですね。

*1:年齢は記されていないが、30歳前の主人公からすると、明らかに年下で20歳より前くらい

横山信義 『蒼洋の城塞1 ドゥリットル邀撃』

蒼洋の城塞1 ドゥリットル邀撃 (C★NOVELS)

蒼洋の城塞1 ドゥリットル邀撃 (C★NOVELS)

内容(「BOOK」データベースより)

房総沖にて演習中の呂号第四四潜水艦が、空母「ホーネット」率いる米国の艦隊を発見!日本本土の奇襲を狙う「ドゥリットル空襲」の迎撃に成功し、敵艦隊に大打撃を与えた。意気上がる日本軍は、ポート・モレスビー攻略を主眼とするMO作戦の完遂を目指し、空母「瑞鶴」「翔鶴」、戦艦「陸奥」「伊勢」らを中核とする艦隊を派遣。珊瑚海にて、雪辱に燃える米軍と激突する―。鉄壁の護りで米国を迎え撃つ、横山信義の新シリーズ、開幕!

横山信義氏の新シリーズ!
最近では歴史上の事件などを変えて大戦前の世界状況を多少なりとも改変させた状況を作ってきましたが、本シリーズでは史実に沿った状況で始まります。
すなわち、真珠湾攻撃によって開戦後、フィリピンの失陥も免れない状況でアメリカ軍が企てたのは航続距離の長い陸上機B25を空母から発進させるという、ドゥリットル隊による日本本土空襲。
開戦以来押されてばかりのアメリカが国民の士気高揚とを目的とする。いわば戦果よりも政治上の要請からの作戦でありました。
史実では海上に展開していた小型哨戒船(徴発した漁船)が発見したものの、それが活かされることはありませんでした。
もしも、哨戒船以外に演習中の呂号潜水艦の部隊が発見・通報していたら…という想定のもとに始まり、日本軍が本格的な迎撃を行っていくのです。
そこで改変ポイントがもう一点。
零戦を開発した堀越技師が軍の指示によって局地戦闘機雷電)の開発にとまどったこともあって、零戦の後継機開発が遅れに遅れました。
そこで本作では陸軍の二式戦「鍾馗」を海軍も採用。*1
手が空いた堀越技師が一五試艦戦を開発して、試用段階まで漕ぎつけています。
この時代としては上出来の仕上がり(ドイツのFw190A程度)となった試験機が来襲したB25を撃墜するという素晴らしい活躍を見せます。
そこから一気に状況が動きます。
発見時は通報優先で見送った呂号潜水艦の部隊はドイツ仕込みの野伏せり戦術(本家では群狼戦術という)で待ち構えて、帰還途中の空母レキシントンに雷撃成功。
本土から飛来した陸攻によってとどめを刺します。


さて、ドゥリットル隊による奇襲が失敗した上に米軍が貴重な空母を一隻喪失することになっても、その後の歴史の流れは変わらず。MO(米豪遮断のためのポートモレスビー攻略)作戦、MI(ミッドウェー攻略)作戦へと展開していくのです。
ここでも改変点があって、MO攻略部隊に戦艦・陸奥と伊勢が加わったこと。
これが史実では発生しなかった海戦へと導いていきます。
珊瑚海海戦も油槽船を空母と間違えるなど史実ベースとしていながらも、薄暮攻撃を取りやめるなど、少し様相が違っていましたね。
いわゆる珊瑚海海戦の結果については微妙に変化しつつ、日本側が勝利を収め、結果的にMO攻略を続行したために新たな海戦が生起。
そこで史実ではほぼ起こらなかった戦艦対決として、陸奥・伊勢対ノースカロライナという組み合わせが実現したところが大きな見せ場になっています。


1巻を読んだかぎり、史実をほんの少し変えただけで流れが大幅に変わっていくのに違和感を抱かせないのはさすが。
また、戦闘前の緊迫感や迫力ある海戦描写が巧いのも相変わらずであります。
大胆な史実改変じゃないので荒唐無稽な点はなく、スムーズに感じました。
一つ気になる点としては珊瑚海海戦の戦略的敗北の一つに現地で分散された戦力の連携が巧くいっていなかったことがあるのですが、そこはほとんど触れられていなかった気がします。
あとは史実では戦術的勝利を収めた陰で幾つも発生したミスや不安要因が後にミッドウェーの敗北に繋がるわけで、本作も海軍首脳部(特にGFの黒島参謀)の増長ぶりが止まらなくなりそう。
米軍としては有名どころの提督の死が続いたので、人材不足がどう響くかですね。
あと、海戦直後の最後の一手には驚きました。
もっとも、最後の一手でMI作戦延期か中止の可能性もあり、ここから大きく変化していくかもしれません。
山本提督はハワイへの玄関口ともいえるミッドウェー占領が米軍との講和に必要と確信しているようですが、占領した後の維持の困難さが想像つかないのが不思議です。
それをいったらポートモレスビーも同様なんですけどね。

*1:史実では海軍と陸軍の意地の張り合いでどれだけの時間とリソースが無駄遣いされたことか

篠田節子 『長女たち』

長女たち (新潮文庫)

長女たち (新潮文庫)

内容紹介

痴呆が始まった母のせいで恋人と別れ、仕事も辞めた直美。父を孤独死させた悔恨から抜け出せない頼子。糖尿病の母に腎臓を差し出すべきか悩む慧子……当てにするための長女と、慈しむための他の兄妹。それでも長女は、親の呪縛から逃れられない。親の変容と介護に振り回される女たちの苦悩と、失われない希望を描く連作小説。

中年の域に差し掛かった女性たちを主人公として、それぞれ長女であるゆえの呪縛を描いた3篇です。


「家守娘」
骨粗鬆症の上に痴呆が始まったらしい母の介護のために仕事をやめて恋人とも別れることになったバツイチの主人公。
プライドの高さゆえに精神科にかかることや、他人の手を患わせることを拒否して薬を飲まない母に振り回される。
しかも女の子の幻覚と会話するようになり、しまいには放火事件まで起こしてしまう。
あくまでも当の本人は気がしっかりしているつもりで、娘の為にしているというのが厄介です。
短い間でも目を離せない母を抱えて、仕事も恋人も離すことになり、二人で住むには広すぎて古い家の中で老いていく未来しか見えない主人公の暗然とした気持ちがこれでもかというくらい伝わってきます。
母に対して深い憎しみと愛情を併せ持つところが実の親子ならではの複雑な心理でしょうか。
ただ、それで終わらないのが面白いところ。
客観的に精神に異常をきたしたように思えても、その行動原理にはちゃんと理由があって、落としどころもうまく描かれていました。


「ミッション」
尊敬すべき師の最後の地である秘境の集落に医師として赴いた主人公。
そこは過酷な環境と過度の塩分摂取による栄養の偏りによって、誰もが早く老いる短命の地であった。
住民の健康改善に命を賭けた師が亡き後、あっさりと元の木阿弥となってしまったのを見た主人公はできる限りのことをしようとするが…。
先進国で生きる我々にとっては、不衛生な環境や栄養の極端な偏りこそが病のもとであり、迷信や呪いなどは過去の産物、現代的な医療技術によって治療すべきと考えます。
ただし、長らく変化の乏しい営みが続いてきた環境では主人公の孤軍奮闘でどうにかなるものではなかったわけで。
「家守娘」とは違い、親の束縛を嫌って仕事を選んだ主人公ではあっても、孤独死した父の最期の姿が重い影を落としていますね。
それもあって、暗中模索を続けているいるような重苦しい雰囲気の中、最終的に主人公は真実を知り得たものの、力及ばず去っていくあたりが虚しく思えました。



「ファーストレディ」
立派な医師を父に持つ主人公は時に父の代わりに医院のために働いていた。それはまるで夫人(ファーストレディ)の立場のように。
というのも、かつて医療事務で支えていた母はコンピュータの導入と共についていけなくなったことなどで事務員に疎まれて自宅に引き籠り、ひたすら甘いものばかり暴食した結果、重度の糖尿病に罹ってしまっていた。
本人には改善しようという気がなく、かえって疎まれて、隠れて甘いものを貪るように食べられては敵いません。
いくら手を尽くしても報われることなく、かえって敵のような扱いをされる苦しさがありありと伝わってきます。
それに父や弟は母の抱える深刻さを理解してくれない。
しまいには腎臓を移植しなければ長く生きられないところまで悪化してしまいます。
脳死以外には近親者による判定で合致すれば生体移植が可能となるのですが、父は子から親への移植なんてとんでもないと大反対。
それで当の母としては、(透析は苦しいので)娘から移植して欲しい。でも弟は大事な身体だからダメ。
それ以外にも本当は結婚したくなかったけど、お前がお腹の中にいたから仕方なく…などと本人の前で言ってしまう無神経さ。
嫁入り後の環境に同情の余地はあるけど、結局は自分のことしか考えていない母親なんだと思いましたね。
それなのに主人公は血縁という呪縛から逃れられない。
そこで主人公が取った決断というのが一種の狂気の発露でゾっとしましたね。

伊坂幸太郎 『火星に住むつもりかい?』

火星に住むつもりかい? (光文社文庫)

火星に住むつもりかい? (光文社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

住人が相互に監視し、密告する。危険人物とされた人間はギロチンにかけられる―身に覚えがなくとも。交代制の「安全地区」と、そこに配置される「平和警察」。この制度が出来て以降、犯罪件数が減っているというが…。今年安全地区に選ばれた仙台でも、危険人物とされた人間が、ついに刑に処された。こんな暴挙が許されるのか?そのとき!全身黒ずくめで、謎の武器を操る「正義の味方」が、平和警察の前に立ちはだかる!

国内の平和維持のために警察の中に平和警察という組織が作られたという設定。
平和警察はテロを始めとする凶悪犯罪に手を染め治安を乱す危険人物を捕まえるのが役目ですが、その中にはまったくの無実の人物が含まれていました。
平和警察はあの手この手(証拠の残らない拷問や身内を人質にした脅迫)で容疑者を追い詰めていき、最終的に自白させていきます。
平和警察が捕まえた容疑者の中には冤罪はない、というより必ず犯罪者に仕立て上げられてしまうのです。
それだけなく密告を奨励して、証拠がなくても平和警察に捕まった時点で犯罪者確定。
見せしめのために公開処刑まで行われるという完全なディストピア社会として描かれていますね。
ごく普通の生活を営んでいた人がいきなり平和警察に連行されて、まったく身に覚えのない犯罪について自白を強要される。
もちろん、否定はするのですが、平和警察の尋問者は警察の中でも特に弱者をいたぶるのを好むサディストが選ばれていて、あらゆる手段で容疑者を苦しめていきます。
そんな中で一般人が耐えられるわけがなく、結局は罪もない無辜の市民が処刑される。
まるで歴史上に存在した秘密警察のようで、読んでいて愉快なものじゃありません。
不思議なことに平和警察以外はごく普通の日本であり、恐怖政治に支配された国というわけじゃないんですよね。
公開処刑の時も反対するのでもなく、むしろ娯楽として楽しんでいるあたりが異常に思えます。*1
ただそれって、インターネット上で容疑者(犯罪者として確定さえしていない)を特定して必要以上に攻撃する現象に通じるような気がしました。
そんな状況において、平和警察が容疑者を連行しようとした際に邪魔をする者が現れます。
バイクに乗ったヘルメットにツナギを着た男性らしき者は平和警察の建物内にまで侵入して、拷問途中だった被疑者を救い出してしまうのです。
ツナギ男はいったい何者なのか?
彼が現れると、相手は身体のバランスを崩してまともに戦えなくなってしまうのはどういうわけなのか?
途中から平和警察とツナギ男の両方の視点から描かれていきます。
ここでテーマとなっているのは正義の実践でしょうか。
テレビなどに登場する正義のヒーローは悪の組織とか宇宙からの侵略者から地球を守るためといった明快な目的がありました。
しかし、現実に正義を実践するのは難しいです。
弱者を救うにしろ、どこまで救えばいいのか?
全員を救いきれずに誰かを見捨てることになってしまったら?
正義を行ったことで自分自身が犠牲となって家族が悲しむことになったら?
そんな中でツナギ男が定めた救うルールが独特だけど、わかりやすい理由でしたね。
最後もどんでん返しというほどじゃないけど、意外な人物による意外な面が見せつつ、うまくまとまっていて面白かったです。

*1:かつては公開処刑が庶民の楽しみであった時代もあったらしい

池井戸潤 『アキラとあきら』

アキラとあきら (徳間文庫)

アキラとあきら (徳間文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

零細工場の息子・山崎瑛と大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。生まれも育ちも違うふたりは、互いに宿命を背負い、自らの運命に抗って生きてきた。やがてふたりが出会い、それぞれの人生が交差したとき、かつてない過酷な試練が降りかかる。逆境に立ち向かうふたりのアキラの、人生を賭した戦いが始まった―。感動の青春巨篇。

瑛と彬。同い年で同じ名前を持ち、かつ会社の跡を継ぐ身までは同じでしたが、その環境は真逆。
技術者から身を起こして従業員数名の零細工場を経営する父を持つ山崎瑛。
かたや様々な事業を手掛ける大手海運会社東海郵船の御曹司・階堂彬。
家業が家族の境遇に密接に関わっていたという点だけは同じでした。
取引先が押し付けてきた難題が原因で経営が一気に傾いて倒産、工場が差し押さえられて、夜逃げの憂き目にあった瑛。
家族が離れて過ごすなど辛い時期を過ごすこともありましたが、紆余曲折の末に新天地での生活は徐々に上向いていきます。
一方、祖父が大きくした東海郵船は三つの事業に分けて父と二人の叔父がそれぞれ社長に就任したのですが、その頃からオーナー一族である階堂家には父と彬自身の兄弟による不和の兆しが芽生えていました。
やがて瑛と彬は父の仕事を通じて銀行員の本気の仕事ぶりに触れたことが影響して、同じ産業中央銀行に就職することになったのでした。


描かれている時代は二人の少年時代が1970年代終盤で、銀行員になった頃が1980年代終わりのいわゆるバブル期。
世の中が好景気に沸いていて、今じゃ信じられないくらいに莫大なお金が動いていた時代でした。
こうやって本として読むと、明らかに間違った選択をしている経営者の姿が愚かに見えますが、当時の多くの人にとっては今の状態がまだまだ続くもの、いっきり景気が悪化するなどとは予想もつかないのも無理ないのかもしれません。
それは景気が冷え込んでいって、黒字から赤字へと転じても変わることなく。
少し我慢していればきっとよくなる。
彬の叔父である晋や崇のように冷徹な決断ができずに根拠のない見込みに縋り付いて、経営を悪化させた挙句に潰してしまった経営者が多かったのでしょう。
当然、銀行も影響を受けていて、無謀ともいえる巨額の融資をすることもありましたが、それはあくまでも支店のノルマ達成のためであり、相手の会社が苦しい時には平然と見捨てる容赦のなさ。
瑛と彬はそれぞれの生い立ちと新人の時にカリスマ的な大先輩にかけられた「金は人のために貸せ」という言葉を胸に抱いて銀行員として奮闘していく姿を清々しい思いで読んでいました。


著者にしては珍しく30年間の長きに渡り、二人のアキラの半生を主軸に日本の経済状況の移り変わりを丁寧に描いています。
それゆえにたいそうなボリュームがあって読み甲斐がありました。
規模の大小に関係なく一企業の浮沈がそこで働く人たち、および家族の人生に多大な影響を与える。
その鍵を握っているのが融資を担当する銀行員の匙加減であったりします。
彬の方は傾きかけていた家業を救うために東海郵船の社長に就任。
そして瑛が融資担当として東海郵船のピンチを救うべく起死回生の策を練る展開には胸が熱くなりました。
バブルが弾けた後に一気に景気が悪くなってからは銀行の評判もずいぶんと悪くなったと思います。
願わくば、瑛のような人のためにお金を活かすことのできる誠実にして有能な銀行員が増えればいいですね。

中山七里 『追憶の夜想曲』

追憶の夜想曲 (講談社文庫)

追憶の夜想曲 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

少年時代に凶悪事件を犯し、弁護は素性の悪い金持ち専門、懲戒請求が後を絶たない不良弁護士・御子柴。彼は誰も見向きもしない、身勝手な主婦の夫殺し控訴審の弁護を奪い取る。御子柴が金目のない事件に関わる目的とは?因縁の検事・岬恭平との対決は逆転に次ぐ逆転。法廷ミステリーの最先端を行く衝撃作。

少年時代に猟奇的殺人に手を染めて逮捕された後、更生して辣腕弁護士となるも、依頼人に高額報酬を要求することで悪名が知られてしまった、御子柴礼司による『贖罪の奏鳴曲』。
その続編となります。
前回の裁判後に逆恨みで刺されてしまった御子柴でしたが退院直後にある案件の被害者弁護を手掛けます。
それは職を失った後も家庭を顧みずに部屋に引きこもり、借金を増やすばかりで家族を苦しめる自称デイトレーダーの夫を殺したとして逮捕された妻・津田亜希子。
懲役16年を不服とした控訴審でしたが、亜希子の有罪が覆る可能性はほとんどなく、特に資産家というわけでもないので報酬も期待できない裁判の弁護をなぜ引き受けたのか、彼を知る周囲は首を捻るばかりでした。


殺人自体は明らかなので、計画的ではなく(正当防衛の面も含め)衝動的であったかといった面が争われたのですが、敵手となる岬検事はかつて御子柴に敗れたこともあって、復讐の意味もあって念入りに準備を整えていました。
それゆえ、一回目と二回目は検察側の勝利といえる内容でした。
一発逆転を狙う御子柴は亜希子の過去を探るために彼女が独身時代に過ごしていた都内のアパートや家族と過ごしていた神戸までもわざわざ足を運んでいきます。
しかし、神戸では震災があったことで求める情報は得られず、ついには生まれ故郷である九州まで足を運ぶことに。
そこで亜希子の家族を襲った凄惨な事件とその後の陰湿な嫌がらせの数々を知ることになるのですが…。


御子柴というキャラクターを考えたら、なぜ亜希子の弁護を引き受けたのかというのがまず最初の疑問であり、さらに検察側有利に進む中でどうやって逆転するのか?
また亜希子が唯一の味方でもある弁護士にも絶対明かせない事情とは何なのか?
といったいくつもの謎を抱えたまま物語が進みます。
前半の法廷での舌戦では苦戦する様子が見られましたが、前回でも法廷の度肝を抜く鮮やかな手並みを見せた御子柴だけに期待は高まっていきましたね。
今回も期待に外れることなく、亜希子が極めて特殊な事情で殺人できない立証を見事にやってくれました。
そうすると誰が真犯人なのか?
実は本編途中で割り込むように入ってきた男性の劣情の吐露によって、事件の前から家の中で何が起きていたか、その結果誰が夫を殺したのかはなんとなく想像できてしまうのです。
そうはいっても面白さが損なわれることはありませんでした。
そして、裁判は思わぬ展開に。
まさか立証するためにあそこまでするとは思いもしないでしょう。
裁判が終わった後、亜希子の次女・倫子の無邪気な様子が痛いほどでした。
続編があるということで、その後の御子柴がどうなったのか気になって仕方ありません。

谷舞司 『神統記(テオゴニア)3』

内容(「BOOK」データベースより)

谷の神の加護を得て、諸族の帰依を集め自らの国を築き始めたラグ村の少年カイ。“守護者”としての使命を果たすため小人族を引き連れ灰色猿族の首都へ向かうと、王城の奥に座していたのは、地を腐らせ、触れるだけで生命を奪う呪われた存在…悪神。灰色猿たちが蹂躙されるなか、「大首領派」を率いる“賢姫”は、従えていた神狼を悪神へと解き放つ。カイたちは種族の垣根を越え、この世界を生きる者としての戦いを始めるのであった。そして人族の地では、州都・バルタヴィアにて、辺土領主が一堂に会する大祭「冬至の宴」が催されようとしていた…。

待望の3巻ですが、今回もボリュームたっぷりで読み応えありました。
普通のラノベ文庫の2冊分はありましたね。
3巻に登場した人物のイラストが嬉しかったです。個人的に挿絵をもっと増やしてもいいんじゃないかと思えたくらいです。


2巻からの続きで灰猿人(マカク)族の主邑を襲った悪神(ディアポ)との戦いがクライマックス。
悪神自体の動きは遅いとはいえ、いくつも触手を伸ばしてきて、触れられただけで戦闘不能になってしまう上に巨体ゆえの攻撃が利かないというラスボス感。
そんな中で乱入してきたのが、灰猿族の王女が北方より子狼を人質として従わせてきた狼の神獣でした。
神狼が直接牙で攻撃するのを見たカイはその秘訣をなんとか探り当て、協力して悪神に立ち向かいます。
少しでも喰らったら命を失ってしまいそうなぎりぎりの緊張感の中、小人族はもちろんのこと、新たに仲間となりそうな灰猿族の期待を背負って戦うカイ。
こういった、戦いの中で試行錯誤の末に新たな能力を得て成長していく展開というのは熱いです。
内なる谷の神様とのコミュニケーションには相変わらず苦労しているというか、カイがより高みに近づけば言葉がわかるようになるのか…。
ともあれ、長い戦いの末に悪神を討ち果たすことができた上に、谷と灰猿族との同盟も成って万々歳でした。
狼の神獣がweb版には無かった要素だと思いますが、さらに瀕死となって親にも捨てられた小狼を放っておけずに谷に連れて帰ることに。
小狼に乳をあげるために起こった一騒動は若いカイの無知が伺えて、ほのぼのというか、笑えるというか。
そういえばラグ村の家出姫のこと、すっかり忘れていました。
カイによって村に送り届けられた場面は普通ならばフラグが立ってもおかしくないくらいなのですが、すでに押しかけの二人(小人族と鹿人族の少女)に加えてエルサ(昏睡中)と白姫様ことジョゼもいるから、彼女の出番はなさそうかな。


後半というか、一応メインとしては辺土領主が一堂に会する大祭「冬至の宴」となります(合わせて辺土伯の第六公子への白姫様の嫁入りも兼ねている)。
辺土全体が大雪に埋もれて亜人種族からの襲来もなくなる季節。
それゆえに通常ならば移動も困難なのですが、一種の超人である加護持ちなら強行軍によって短時間での移動が可能。ついでに”なりかけ”(殻付き)とみなされているカイも荷物持ちとして同行することになりました。
加護持ちの辺土領主たちは揃いも揃って脳筋ばかり。早速カイは騒動に巻き込まれて、紋を表さずに加護持ちを退けたことから目を付けられてしまいます。
迂闊と言えるかもしれないけど、そのくらい見せ場があってもいいでしょう。
嫁入りに絡んだ辺土伯と第一公子との確執やら、繋がりのある中央貴族の暗躍やら、きな臭い動きがあって、白姫様の受難をカイが救う過程で八翅族*1であるネヴィンとの出会いがあります。
白姫様の受難に関してはweb版とは内容が変わっていて、こちらの方がふさわしいように思えました。
なお、ネヴィンとはその時の利害によって戦いもするし協力もするという、カイにとって始めて同格に近い存在ゆえにインパクトがありましたし、八翅族が辿ってきた悲しい歴史に独特な世界観を見せられましたね。
そして、冬至の宴が進むに連れて、怒涛の展開を見せていきます。
嫁入りどころか、悪神への人身御供とされてしまった白姫様をカイが救いに行く場面は燃えました。
最初は嫌な役どころに見えた中央貴族の姫もなぜかヒロインしていましたし(笑)
ここまでくると、カイの戦いぶりに安定感が出てきて、思い通りにいきそうにに見えましたが、独自の狙いで動いていた権僧都やら第一公子やらの思惑と混沌とした状況の中で思わぬ出来事の連続。
辺土における人族の将来に不安を思わせるような結末となりました。
客観的に見れば、カイには谷を中心として仲間を集めたり亜人との結びつきを強めていった方がよさそうな気がしますが、出身地であるラグ村を切り捨てることができないあたりが縛りとなっていますね。
そのあたりがカイらしさでもあるのですが。

*1:はるか昔に人族に敗北、土地を譲り渡して城塞の奥に隠れ住んでいた