貫井徳郎 『乱反射』

内容(「BOOK」データベースより)
地方都市に住む幼児が、ある事故に巻き込まれる。原因の真相を追う新聞記者の父親が突き止めたのは、誰にでも心当たりのある、小さな罪の連鎖だった。決して法では裁けない「殺人」に、残された家族は沈黙するしかないのか?

父親の入院をきっかけに嫁姑問題に悩む新聞記者・加山聡が主人公で、さらに直接関係ないけれど大勢の人物が登場します。
我が子でさえ直接触れられないほど極度の潔癖症で手袋が欠かせない植木職人。
周囲(特に娘)からの評価を上げたという理由で反対運動に参加する有閑マダム。
下っ端ゆえになにかと押し付けられてうんざりしている市役所勤務の公務員。
定年退職後の家族の態度に不満を持ち、犬を飼い始めた老人。
運転技術が未熟で何度も車をこすってしまうが、家族には気持ちを理解されない女性。
いつも患者のことより自分の自由と責任回避を考えている夜間バイト勤務の医師。
混雑する日中を避け、空いているという理由で夜間緊急外来に風邪で視察を受ける大学生。

いつも混雑している片側一車線の道路があり、渋滞緩和のために拡張工事が計画されていました。用地買収が進んでいたのですが、一軒だけ頑固に立ち退かない老人がいて工事が進められず、市役所の担当は苦労していました。
それがある日突然死。ここから計画が進むかと思いきや、道路脇の街路樹伐採に対し、自然保護を掲げた主婦による反対運動が起きてしまいます。
さらに5年間隔で行われている街路樹点検の年に当たっていて、委託された植木業者が赴いたところ、ある木の根元には犬の糞が溜まって放置されていました。

強風が吹き荒れた日。ある木が突然倒れました。ちょうどそこには義父の見舞いと義母と話し込んでいたために遅くなった中をベビーカーを押しながら帰る聡の妻・光恵がいて、乗っていた息子の健太は頭を打つ重傷を負います。
急ぎ救急車を呼ぶのですが、道路は渋滞中。最寄りの病院に受け入れを要請するも拒否されます。
結局、早期に適切な治療を受けられれば助かったはずの幼い命は失われました。

木が倒れた原因は長らく根元に犬の糞が放置されて*1根腐れしていた可能性。
街路樹点検を担当した植木業者の男性が極度の潔癖症で糞を見た瞬間に拒否反応を起こした。一度伐採反対運動の婦人たちに追い返されている。
救急車が渋滞に嵌ったのは車庫入れの途中で放置された車が道路を塞いでいたため。
夜間緊急外来で拒否されたのは勤務医が内科専門で、適切な治療ができない(責任取れない)と判断したため。さらに風邪程度で若者が大勢来ていたのも理由の一つ。

誰もが「このくらいいいだろう」とわが身可愛さの軽い罪(もしくはマナーやモラルに反する行為)を重ねたことが連鎖反応を起こしたのですが、当事者となって我が子を亡くす羽目になった聡と光恵にとってはたまったものじゃありません。
新聞記者として培った経験を活かして責任追及を目指す聡ですが、はっきりと犯罪(業務上過失)に問えたのは植木業者のみであり、その彼でさえ事情を知ると一方的に責められない歯がゆさを感じます。
聡に詰問された誰もが「自分は悪くない」と言い放ち、謝罪しません。
ちょっとした過ちが幼い命を奪うほどの重大さがあるとは認められないから。それがわかるだけに腹立たしくも追及しきれないもどかしさを感じますね。
ただ、事情を知られて娘に軽蔑された主婦。長年連れ添った妻に嫌悪された老人。といったように多少なりの報いを受ける様子が描かれます。特に事故現場で謝罪しながら免許証を破り捨て、二度と車に乗らないと誓った女性。といったようにその後がわかるのが救いでしょうか。
それでも聡と光恵が長らく苦しむ様子が痛々しかったです。
ある意味、加害者に怒りの矛先を向けられれば、一時的にも悲しみから逃れられるのでしょうが、そうでなければ遺族はなかなか立ち直れないものです。
ある日、聡がゴミを捨てようとして気づきます。「これくらいいいか」という自分勝手な思い込みによる行動は自分を含めて誰にでも経験あるのだと。
登場する一人一人の心理描写や背景まできっちりと書き込まれているのでまったく不自然さはなく、いかにも現実に起こりそうな内容に思えました。
日々報道される事件事故において、善悪がはっきりしているのは少なくて、関わった人々のほんのちょっとした過誤が積み重なって悲劇を起こしているのかもしれないですね。

*1:飼い主である老人は腰痛のためにしゃがむのが辛くて取らなかった。一度注意されたら逆ギレ。