プロ野球

いよいよ楽天イーグルス読売ジャイアンツ(以下、巨人)との日本シリーズが開幕しました。
普段プロ野球のテレビ中継など見ないのですが、土日に久しぶりに観戦して気分的に盛り上がったので、プロ野球に関する個人史などを書いてみたいと思います。
もっとも、球場に足を運んだのは学生時代に一度、阪神ファンの友人の付き合いで阪神・ヤクルト戦の神宮球場に行ったくらいで、決して積極的な野球ファンというわけでもないんですが。


おそらく一昔前の一般的な家庭と同様、家では巨人戦のテレビ中継を見ていた関係で、小学生の頃は巨人の選手が馴染深かったのは当たり前かもしれません。
見始めた頃は王・長嶋の現役晩年にあたり、引退試合はおぼろげながら記憶にあります。
現役選手として馴染深かったのは、投手では江川・西本、そして篠塚・原・クロマティらがクリーンアップだった頃ですね。
といっても積極的に応援していたわけではなく、なんとなく流れで見ていただけでした。
それが変わったのは今まで縁の無かったパ・リーグの球団・近鉄バファローズの悲劇の10.19を知ってから。
wikipedia:10.19
当時はまだ判官びいきからのちょっと気になるチーム程度だったのですが、翌年の「熱パ三強」と称される近鉄・西武・オリックスの熾烈な争い、それを劇的に制した近鉄のファンになってしまいました。
その後の巨人との日本シリーズ対決では、なんと三連勝の後の四連敗。
なんというドラマチックなチームなんでしょう!
私が十代の頃で言えば、セ・リーグでは巨人、パ・リーグでは西武が常勝球団の印象があったのですが、思春期の自分は強いチームが当たり前のように勝つよりも、弱いとされるチームの方が応援しがいがあり、劇的に強者を倒すことに爽快感を覚えるもの。
実際には巨人や西武のような万全の戦力とソツのないきめ細やかなプレーこそが勝利を掴むためには必要なのでしょうが、近鉄の大味で豪快なプレーには惹かれるものがありました。


そうしてにわか近鉄ファンになって知ったのが、当初パールズとして創設以来長らく低迷してて万年Bクラスで「地下鉄球団」と言われていたこと。
70年代後半になってようやくリーグ優勝争いに加われるようになったが、現存球団で唯一日本一の経験が無いこと。*1
それは球団消滅の2004年まで変わりなかったのですが、どこか悲運に見舞われがちながらもカラっとした気質が気に入っていたのかもしれません。
印象に残っている選手としては、仰木監督時代の大石・新井(宏)・阿波野・吉井・ブライアント・リベラ、そして数々の記録を残した野茂に赤堀・石井(浩郎)。大阪ドーム時代は中村(紀)にタフィ・ローズ、大塚(昌)など。
どうしてのエース、リリーフ、助っ人外国人が印象に残りがちですね。
テレビ中継が無かったパ・リーグの試合の情報入手は自宅で取っていた新聞以外には夜のプロ野球ニュース近鉄が勝った時だけ買ってたスポーツ新聞です。
ちなみに90年前後はナムコファミスタでマイナーな選手も知るようになったという面が(笑)


そして有名なプロ野球再編問題。
wikipedia:プロ野球再編問題 (2004年)
結果的に近鉄に在籍していた選手は分配ドラフトによってオリックスと新規加入球団である楽天に分かれることになりました。
そのあたりは複雑なのですが、バファローズの名を継いだとはいえ、やはり吸収されたかたちになったライバル球団よりも、新設球団の方が気になるもの。
そういうわけで陰ながら楽天イーグルスを応援していて、一,二年目はどうなることやらと思っていましたが、星野監督となってから戦力が充実。ついに九年目にしてのリーグ優勝は大変喜ばしいかぎりです。
実際のところ、シーズン当初はAクラス入りの可能性は高いかなとは思ってましたが、まさかぶっちぎりで優勝するとは思いもしませんでしたね。
そういう意味で田中(マー君)の存在は大きかった。


今年の日本シリーズがいやが上にも気になってしまうのは、応援していた楽天が初出場したというのはありますが、相手が巨人ということで1989年以来のアンチ巨人の血がたぎるのであります。
正直、連覇を狙う巨人の方が戦力に勝るのは否定しようがありません。
しかし近鉄の流れを組む楽天*2が巨人を倒して、近鉄が無しえなかった日本一となることを期待せずにはいられないのです。

*1:初出場の日本シリーズでは第七戦での「江夏の21球」で敗れる

*2:そういう意味では旧・近鉄所属だった牧田選手の活躍を望みたい