7期・67冊目 『蛍の城』

螢の城

螢の城

内容(「BOOK」データベースより)
時は慶長五年。家康と三成がどうしても味方にしたい男がいた。大津城主・京極高次。妹・京極龍子や妻・浅井初の尻の光で出世し、「螢大名」と嘲られていた。軍略も軍才もない弱小の男。しかし、男には戦国一の「人望」があった。関ヶ原へと向かう立花宗茂ら西軍四万をわずか三千で迎え撃つ。家康に勝利をもたらせた大津篭城合戦の激闘を、いま、ここに描く。

日本史上最も有名な戦いである関ヶ原の戦いの直前には各地で東西軍が激突した幾つもの攻城戦が発生しました。
その中でも大津城の戦いは畿内から戦場がある関ヶ原までの通り道に位置する関係で重要な戦であったとされます。
攻める西軍は主将・毛利元康に加えて猛将・立花宗茂を始めとする九州勢ら四万*1の大軍であったのに対し、大津城は戦国終盤の比較的平和な時代に築かれた平城は攻めるに易く守るに難しい城。
対して守る京極勢は三千ほど。しかも城主は戦場働きではなく閨閥で出世したがために「蛍大名」と揶揄される京極高次。個人的にもあまり印象に残っていない人物でした。
そんな彼がいかにして城に籠り、大軍を引き寄せながらも持ちこたえたかを描いた内容となります。


京極氏と言えば、鎌倉時代の佐々木氏から分かれ、室町時代四職に列した近江の名門。
ただし戦国時代には下剋上によって落ちぶれ、浅井氏の庇護にあったわけです。高次の代に織田信長のもとで働き戦功をあげて領地を得るも、本能寺の変の際に婚戚の関係で明智方について敗走。匿われた先の柴田勝家も敗れるという、時流に乗れずに落ちてゆく見本のような人生ですね。
それでいて赦されたのは名門の一族であることに加えて、妹が秀吉の側室に迎えられたこと。かつ正室浅井長政の三姉妹の二女・初を迎えたことで秀吉(長女・茶々を側室)や家康(嫡子・秀忠の正室に末女の江)との関係も深まり、とんとん拍子に出世して大津6万石の大名にまで上り詰めていました。
秀吉死後、各地の大名が東西に分かれて風雲急を告げる状況の中で、大津城を訪れた家康に対して味方することを一旦約束するも、その後石田三成から来た要請をも断ることもできない。押しに弱い優柔不断な武将であることが窺い知れます。
そんな彼が一転して城に籠り西軍を迎え撃つにあたるようになった経緯として、それまでの逃げてばかりいた人生に区切りをうち、妻と部下たちのために領地を守り通そうと決意したわけです。
今までのはっきりしない性格で読んでいるこちらまでイライラさせられていたのが、ようやく決断できてスッキリしました。


そして押し寄せる西軍の軍勢。籠城戦の模様は事細かに描かれていて、舐めてかかっていた西軍が緒戦で苦戦する様子。激戦によって三の丸、二の丸と徐々に城方が追い詰められている様子などがわかります。
でもいちいち参加武将のフルネームを羅列するなど、籠城戦に入って途端にテンポが悪くなった気がしました。
また、大津城では人望ある京極高次のもとに結束しており、本拠を守るために士気が高かったことは充分わかるのですが、なぜあそこまで粘り強く戦えたのかを城というハード面や戦術的な視点で知りたかったですね。湖側からの攻撃が一切触れられていなかったのも気になったので。
まぁ、今まで武将としてまったく興味が無かった京極高次と大津城、およびその周囲の人々について、歴史的にどう関わっていたかが窺い知れて面白かったです。
確かに高次の決断とその頑張りによって西軍の参加戦力が削られ、その結果関ヶ原の戦い以降の日本史にも影響があったわけですから。

*1:実際は一万五千程度