中山七里 『ネメシスの使者』

ネメシスの使者 (文春文庫)

ネメシスの使者 (文春文庫)

ギリシア神話に登場する、義憤の女神「ネメシス」。重大事件を起こした懲役囚の家族が相次いで殺され、犯行現場には「ネメシス」の血文字が残されていた。その正体は、被害者遺族の代弁者か、享楽殺人者か、あるいは…。『テミスの剣』や『贖罪の奏鳴曲』などの渡瀬警部が、犯人を追う。

身勝手な理由で通りすがりの女の子2人をメッタ刺しにして殺した事件、犯人・軽部亮一が見せた反省・謝罪は死刑回避のためのポーズであるのは傍目にも明らかであった。
しかし裁判では求刑された死刑ではなく懲役刑に処せられた。
検察は当然のように控訴したが、二審で覆ることなく、刑は確定。
収まりきらぬ被害者家族は民事訴訟に出たが、賠償金が支払われることなく犯人父は事故死。母親は離婚して旧姓に戻した上、行方をくらましてしまった。
それから10年後、実家のある熊谷市にてひっそりと暮らしていた犯人の母が自宅で殺される事件が起こる。
その死に様はまるで軽部が女性を殺した手口とうり二つであった。
そして、現場には被害者の血によって「ネメシス」と書かれた文字が遺された。
「ネメシス」とは語源の義憤から転じて復讐の女神として知られていた。
被害者家族が塀の中に守られている軽部の代わりに家族に対して復讐に出たのか?
事件を追う渡部警部の考えではことは単純ではなく、もしかしたら殺人犯に対してあまりにも甘すぎて、被害者より加害者の人権を重んじる日本の司法制度に対する警鐘の意味があるのではないかと危惧する。
それを証明するかのように第二の事件が発生して・・・。


主人公と渡瀬警部、それに警部と親交のある岬検察官は著者の過去作にも登場していますね。
日本の司法においては、永山基準という言葉がある通り、殺害された被害者の数が複数であることなど様々な条件を満たした場合に死刑が適用されることがありました。
しかし、作中で登場した軽部は身勝手な理由で残虐な手口で殺害したにも関わらず、心からの反省も謝罪もないまま、客観的に見ても甘すぎる懲役刑に処せられてしまう。
凶悪犯が塀の中とはいえ、のうのうと生き延びているのに対し、被害者遺族はぶつけようのない怒りを抱いたまま生きていくしかありません。
特に軽部の事件を始めとして、事件の裁判を担当した渋沢は死刑を求刑されても、ことごとく退けて甘い判決を出したことから、温情判事と呼ばれるまでになっていました。
そんな中で起きた加害者家族殺害事件は誰が何の目的で起こしたのか?
真っ先に疑われやすい被害者遺族より、正義感に駆られた第三者がネット上で情報を得て犯行に及んだ可能性も否定できず。捜査は困難を極めます。


直接事件に関係していなくても、被害者が若い女性や子供が殺された事件とその顛末はどうしても気になるもの。無差別とされながらも、実際はか弱い相手を選んでいるあたりが卑劣ですし。
だからこそ、不特定多数の匿名発言が集まりやすいネット上では犯人だけでなく、その加害者の家族や関係者まで叩かれます。*1
加害者家族殺害が連続発生して、現場には「ネメシス」の血文字。
当局は秘匿していていましたが、マスコミに嗅ぎ付けられて報道されると、捜査当局が恐れていた通りに世間は騒然となり、「ネメシス」はネット上で英雄扱いされるのでした。


いかにも現実で起こり得そうな展開で、下手なドラマよりもリアリティを感じさせられます。
法廷劇に定評ある著者ゆえに警察・検察内部の人物の動きも緻密で違和感ありませんでした。
それでいて、加害者・被害者双方が抱く感情までも生々しく描かれているために深い感慨を覚えずにいられません。
わが子を殺された親が犯人を憎む感情を吐露する場面はあまりにも重すぎるほどです。

渡部指揮による周到なおとり捜査によって、3件目の事件が起こる直前にネメシスの使者を名乗る犯人を逮捕。意外とあっさり終わるのかと思ったところ、本当の意味での復讐が為されます。
帯に書かれていたような驚愕というほどではなく、逆に納得のいく展開でした。
作中でわずかに登場した人物はそういう役割であったのかと。
むしろ、温情判事と呼ばれた渋沢の真意こそが著者の言いたかったことなのかもしれません。※ネタバレ→*2
とはいえ、昨今の残虐な殺人事件の判決とその反応、それに被害者感情を思うと渋沢のような考えに至るのは少数派でしょうね。

*1:作中で書かれていたように被害者家族までが叩かれるというあたりが理不尽。

*2:簡単に言えば、本人に死を与えるよりも、懲役刑によって社会的な死(長らく服役していると社会に馴染めなくなるし、前科者は受け入れられにくい)をじわじわと味合わせる方が極悪犯にふさわしいという考え。