荻原浩 『金魚姫』

金魚姫 (角川文庫)

金魚姫 (角川文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

勤め先の仏壇仏具販売会社はブラック企業。同棲していた彼女は出て行った。うつうつと暮らす潤は、日曜日、明日からの地獄の日々を思い、憂鬱なまま、近所の夏祭りに立ち寄った。目に留まった金魚の琉金を持ち帰り、入手した『金魚傳』で飼育法を学んでいると、ふいに濡れ髪から水を滴らせた妖しい美女が目の前に現れた。幽霊、それとも金魚の化身!?漆黒の髪、黒目がちの目。えびせんをほしがり、テレビで覚えた日本語を喋るヘンな奴。素性を忘れた女をリュウと名付けると、なぜか死んだ人の姿が見えるようになり、そして潤のもとに次々と大口契約が舞い込み始める―。だがリュウの記憶の底には、遠き時代の、深く鋭い悲しみが横たわっていた。

主人公は転職した先の仏壇仏具販売会社が典型的なブラック会社で、しかも課長から目をつけられていびられる日々。
営業成績も伸びずに時間も収入も思うようにならない中で同棲していた彼女とも破局。今では鬱を患ってしまい、酒に溺れながら死を考えるようになっていました。
明日は月曜日でまた地獄のような一週間が始まる前の晩、ふと誘われるように行った近所の祭の夜店で金魚すくいをやってみます。
祖父の手ほどきを思い出して、見事に赤い琉金をゲット。
古本屋で入手した『金魚傳』の飼育法を参考にして飼い始めることにしました。
すると突然、まるで水から出てきたばかりのように身体中濡れそぼり、赤い衣装をまとう妖しい女が部屋に出現。
始めは幽霊かと思った主人公は恐慌状態に陥りますが、長い黒髪に黒目がちの目をした彼女は霊ではなく実在する女性。*1
彼女の正体はすくってきた赤い琉金
彼女は時間制限があるものの、琉金から人間へと変化する不思議な存在であり、記憶を失っていたことから、主人公によりリュウと名付けられました。
現代の常識は一切持ってなく、テレビで覚えたセリフを繰り返す彼女のことを放っておけず、苦労しながら世話をしていきます。まるで彼女がいなくなった寂しさを紛らわすように。
主人公はリュウと出会ってから死者を見るようになり、会話まで可能となったのですが、そのおかげで今まで壊滅的だった営業成績がぐんぐん伸びるようになっていくのでした。

横暴な太守・劉顥が欲したことにより、許嫁を目の前で惨殺された上に無理やり娶られようとする婚儀の途中で逃げ出し、崖の上から身を投げ出したリュウ(本名:楊娥)の過去が語られるのです。
その後、リュウはしばしば時空を超えて現れ、劉顥の子孫が沖縄から長崎へと流れていくのを執拗に追って度々復讐を仕掛けるのです。
最後は1945年8月9日、『金魚傳』の著者の手元にあり、長崎に原爆が落ちた日を最後に消息を絶っていましたが、記憶を無くした状態で主人公にすくわれたのでした。


序盤はとにかく主人公の置かれた状況が悪すぎて、心を病むとはこういうことかと思わされるくらい暗かったのですが、リュウが登場してからは雰囲気が一変しますね。
人間でいられる時間が短い上に過去からタイムスリップしてきたかと思うほどの非常識ぶりに振り回されるのですが、テレビCMから覚えた言葉や仕草をやたら使ってみたり、えびせんが大好きだったり、とにかく愛らしいです。
金魚生活が長かったリュウとの会話が微妙にずれるのも面白い。
死者の未練を知った主人公が残された家族に伝えることで結果的にセールスも上がっていくのも良くて、ブラック会社の精神的呪縛から抜け出ることもできました。
でも、ショックだったのが別れた恋人の亜結の顛末でしたね。
一方で、過去のリュウは林と名を変えて日本で暮らす子孫を追っていたのですが、主人公の勤め先の社長が林であり、主人公自身も長崎出身であることから、なんらかの因果があるように思えてきて、読むほどに先が気にかかってしまうのでした。
なんらかの修羅場があるだろうと思わせておいて、最後は意外な展開でしたね。
死や死者が身近にあったことから、一見ホラー気味でありながら、むしろ全編に漂うのは人が抱く様々な哀しみであったように思えます。
それゆえにエピローグはほのぼのしていて良かったですね。

*1:年齢は記されていないが、30歳前の主人公からすると、明らかに年下で20歳より前くらい