篠田節子 『長女たち』

長女たち (新潮文庫)

長女たち (新潮文庫)

内容紹介

痴呆が始まった母のせいで恋人と別れ、仕事も辞めた直美。父を孤独死させた悔恨から抜け出せない頼子。糖尿病の母に腎臓を差し出すべきか悩む慧子……当てにするための長女と、慈しむための他の兄妹。それでも長女は、親の呪縛から逃れられない。親の変容と介護に振り回される女たちの苦悩と、失われない希望を描く連作小説。

中年の域に差し掛かった女性たちを主人公として、それぞれ長女であるゆえの呪縛を描いた3篇です。


「家守娘」
骨粗鬆症の上に痴呆が始まったらしい母の介護のために仕事をやめて恋人とも別れることになったバツイチの主人公。
プライドの高さゆえに精神科にかかることや、他人の手を患わせることを拒否して薬を飲まない母に振り回される。
しかも女の子の幻覚と会話するようになり、しまいには放火事件まで起こしてしまう。
あくまでも当の本人は気がしっかりしているつもりで、娘の為にしているというのが厄介です。
短い間でも目を離せない母を抱えて、仕事も恋人も離すことになり、二人で住むには広すぎて古い家の中で老いていく未来しか見えない主人公の暗然とした気持ちがこれでもかというくらい伝わってきます。
母に対して深い憎しみと愛情を併せ持つところが実の親子ならではの複雑な心理でしょうか。
ただ、それで終わらないのが面白いところ。
客観的に精神に異常をきたしたように思えても、その行動原理にはちゃんと理由があって、落としどころもうまく描かれていました。


「ミッション」
尊敬すべき師の最後の地である秘境の集落に医師として赴いた主人公。
そこは過酷な環境と過度の塩分摂取による栄養の偏りによって、誰もが早く老いる短命の地であった。
住民の健康改善に命を賭けた師が亡き後、あっさりと元の木阿弥となってしまったのを見た主人公はできる限りのことをしようとするが…。
先進国で生きる我々にとっては、不衛生な環境や栄養の極端な偏りこそが病のもとであり、迷信や呪いなどは過去の産物、現代的な医療技術によって治療すべきと考えます。
ただし、長らく変化の乏しい営みが続いてきた環境では主人公の孤軍奮闘でどうにかなるものではなかったわけで。
「家守娘」とは違い、親の束縛を嫌って仕事を選んだ主人公ではあっても、孤独死した父の最期の姿が重い影を落としていますね。
それもあって、暗中模索を続けているいるような重苦しい雰囲気の中、最終的に主人公は真実を知り得たものの、力及ばず去っていくあたりが虚しく思えました。



「ファーストレディ」
立派な医師を父に持つ主人公は時に父の代わりに医院のために働いていた。それはまるで夫人(ファーストレディ)の立場のように。
というのも、かつて医療事務で支えていた母はコンピュータの導入と共についていけなくなったことなどで事務員に疎まれて自宅に引き籠り、ひたすら甘いものばかり暴食した結果、重度の糖尿病に罹ってしまっていた。
本人には改善しようという気がなく、かえって疎まれて、隠れて甘いものを貪るように食べられては敵いません。
いくら手を尽くしても報われることなく、かえって敵のような扱いをされる苦しさがありありと伝わってきます。
それに父や弟は母の抱える深刻さを理解してくれない。
しまいには腎臓を移植しなければ長く生きられないところまで悪化してしまいます。
脳死以外には近親者による判定で合致すれば生体移植が可能となるのですが、父は子から親への移植なんてとんでもないと大反対。
それで当の母としては、(透析は苦しいので)娘から移植して欲しい。でも弟は大事な身体だからダメ。
それ以外にも本当は結婚したくなかったけど、お前がお腹の中にいたから仕方なく…などと本人の前で言ってしまう無神経さ。
嫁入り後の環境に同情の余地はあるけど、結局は自分のことしか考えていない母親なんだと思いましたね。
それなのに主人公は血縁という呪縛から逃れられない。
そこで主人公が取った決断というのが一種の狂気の発露でゾっとしましたね。